十二. 白昼のハニートラップ
ジョーと私はポトマック川を越えてワシントンDCの対岸にあるアーリントンのホテルに移っていた。ここからペンタゴンまでの距離はたった二マイル。この国の安全保障の要から目と鼻の先にサイバーセキュリティや政府関連テックの集積地がある。そして全世界に四十億人のユーザーを抱えた世界最大のSNSプラットフォームΣを運営するAzTech社のヘッドクォーターもここに位置していた。外は丁度お昼時を過ぎた頃で雲一つない青空が広がっていたが、ジョーと私は遮光カーテンを引いた部屋の中でPC画面を食い入るように見つめていた。
「あいつよ」
私は小型カメラの粗い映像の中からターゲットの男を認めて言った。しかし肝心のカメラの撮影者からは何の応答もない。
「聞こえてる? あいつよ、モニター上でポップアップされてるでしょ?」
返事をする代わりに、撮影者は私に軽い舌打ちをした。ジョーが痺れを切らしたようにPCを両手で引き寄せると、苛立たし気な口調で内臓マイクに向かって話しかけた。
「聞こえてるのか、ガル? 聞こえてるなら返事くらいしろ」
ヘッドフォン越しにガルの大きな溜息が聞こえる。
「何で私がこんなことしなきゃいけないの……!」
「君しかいないだろ。あのエロ親父を俺やアイが落せると思うか?」
「しかも何よこのボディコン!? 娼婦みたいじゃない!」
「何かあれば連絡してくれって言っただろ」
「ボディコンは想定外よ」
「ガル、全てはナディアのためよ。あなたをプロと見込んで頼んだんだから」
私の言葉にガルは何も応えなかったが、やっとカメラ映像が動き出した。たった今カメラの前を通り過ぎたボブ・スチュアートの背中をガルは一定の距離を置いて歩いていく。ボブはAzTech社で数少ないMaxのプログラムを含めたΣのシステムへのアクセス権限を持つ開発部門のディレクターだ。同社創業時からの社員であり、当時から持っていた株の価値は今ではマンハッタンのマンションを一棟丸ごと買ってもお釣りがくるほど膨らみ、羽振りのよさは社内でも有名のようだ。一方でボブの女癖の悪さを知らない人もいないようで、よほど金のためと割り切った女でなければ近づくこともなかった。脳天ハゲ、低身長、巨漢のボブに着飾られたアルマーニのスーツはお世辞にもイケてるとは言えない。そして彼が、改造したスマートグラスで街中を歩く人びとを裸の姿に変えて見て歩く悪趣味を持っていることは、さすがにガルには黙っていた。
なぜ私たちがボブを狙っているのか。それは私がナディアについて調べて直ぐにあることが分かったからだ。それはナディアが偽名を使って母国で禁止されていたはずのΣを失踪直前まで使っていたということだ。まあ、十四歳の女の子なら当たり前と言えば当たり前だけど。そしてこの事はナディアを追っているガルも当然知っていたことだけど、まさか政府間で公然とナディアの会話ログの開示を依頼するわけにもいかず、かと言って強固なAzTech社のセキュリティを破ってログを盗むこともできず、ナディア失踪の手がかりを掴めずにいたというわけだ。諦めの悪い私はAzTech社へのハッキング方法を考える中で、ある決定的な脆弱性を見つけたの。その脆弱性こそが、このボブ・スチュアートよ。
ボブは遅めのランチかと思いきや、白昼堂々と一軒のバーへ入っていった。彼のお気に入りの〈ジュリア〉という店だ。要は午後二時から開くこの店に来るために、ボブはわざわざほぼ毎日遅めのランチに出かけてるってこと。ボブに続いてガルも店内に入ると、ボブが客のいない薄暗い店内で一人カウンターに座ってる後ろ姿の映像が映し出された。馴染みの店主が大きなグラスに注がれたピルスナーを一杯ボブの前に置いた。ボブはグラスを口に運んで何口か飲むと、暫く店主と他愛のない世間話に興じた。間もなく店の電話が鳴り、店主がカウンターから姿を消した時だ。
「ここ、宜しいかしら」
どっかで聞いたことのある台詞とともに、ガルがボブに話しかけた。ボブは点けたばかりのスマホから視線をガルに向けると、途端にむせた。例のスマートグラス越しにあられもないガルの姿が目に飛び込んできたようだ。ボブは咳をしながら隣のストゥールを勧める。ガルはボブのいやらしい目つきに裾を直しながら隣の席に座った。
「見ない顔だな」
ボブは何度か咳払いをしてからそう言うと、ガルの全身を舐め回すように眺めた。
「最近この町に来たの。一杯おごってくださる?」
「ああ、いいとも。何がいい?」
「マンハッタンで」
「おい、チャーリー! こちらのレディーにマンハッタンを一杯くれ!」
電話を終えてグラスを磨いていたチャーリーはボブに頷いて返事をすると、カナディアン・ウイスキーのボトルに手を伸ばした。
「私マンハッタンに住むのが夢なの」
「マンハッタン? 何でまたマンハッタンなんかに」
「同名の映画、見たことあるかしら?」
「ウディ・アレンのか? もちろん。名作だよ」
ボブはそう言うとガルの胸元を横目にグラスの中身を飲み干した。チャーリーがマンハッタンをガルの前に置くと、ボブはピルスナーをもう一杯注文する。
「私があの映画を観たのが丁度十七歳。私もあそこでトレイシーのような一途な恋愛をして言ってみたいの————あなたはもっと人を信じた方がいいわって」
ミカンの皮のように分厚いボブの頬が緩み、一気に警戒感が薄れた様子だ。
「それはいい夢だ。君のような美しい人ならアイザックだって別れ話なんかしないさ」
「嘘よ! 結局男はみんなアイザックと同じ。いつも別の女のことばっかり考えてる!」
ガルはマンハッタンを一口飲むと突然嗚咽を漏らして泣きだした。一方、ジョーはマイクを慌ててミュートにすると額に手を添えながら笑いを必死にこらえている。
「何だか……その……悪かった。辛いことを思い出させてしまったみたいで……」
ボブはガルの背に手を添えて申し訳なさそうに言った。
「そうだ、もしよければ俺の家に今度来ないか。マンハッタンに一部屋持ってるんだ」
「嘘よ、そんな都合よく持ってるわけないじゃない。あなたも私の体目的なんでしょ!?」
「ち、違うって! 本当だって! いや、家を持ってる方が本当だってこと!」
ボブは突然大きな声を出したガルをなだめると、スマホを開いてマンハッタンの家の写真を見せた。ガルはスマホをスクロールしながら、次第に笑い声を上げた。この女…プロね。
「嘘じゃないわよね、夢みたい! あなた本当にマンハッタンに家を持ってるの!?」
「ああ、別荘みたいなもんだけど」
「凄い! お金持ちなのね。男らしくて素敵だわ」
「そんなことないさ。俺より金持ちはもっとたくさんいるよ」
ボブが照れた様子で二杯目のピルスナーを勢いよく飲み始めると、ガルはボブの手元にスマホを置いた。そして艶やかな人差し指の爪でスマホ画面をコツコツ叩きながら、ガルは顔をボブの耳元へ近づけていった。
「連絡先入れておいたから……」
ガルはそう吐息混じりに言うと、腰をくねらせながら店を後にした。ボブはスマートグラスに指を添えながらガルの後ろ姿を見送った。ガル、グッジョブ! ここまでは上出来よ。
ボブはその後三十分もせずにバーを出るとそそくさとオフィスに戻っていった。オフィスの廊下を歩きながらステップを踏むご機嫌な様子が、ビル内のCCTV経由で私のPCに送られてくる。ガルとの出会いがよほど嬉しかったらしい。そうこうしてるとガルからボブのスマホのOSのバージョン情報がテキストで送られてきた。さあ、これで準備完了。
「アイ、頼むぞ」
ジョーは拳に力を込めながら、PCの前に座ったボブのカメラ映像を見て言った。
「任せなさいって」
私はそう言うと、ガルがボブのスマホに登録したメッセージアプリをPC上で開いた。ダミーでガルのために作ったIDでログインすれば、はい、これで私はガルに変身よ。さて、ボブがのぼせてる内にご挨拶といきますか。私は百を超える大量のハートやキスの絵文字と共に、簡単なプログラムの書き換え命令と私のC2サーバーのアドレスを差し込んでボブに送った。ボブはデスクトップ画面をいじっていた手を止めると、私がガルを装って送った熱いラブレターをスマホ上で見ながらニヤニヤしてる。自分のスマホが偵察されてるとも知らずに、呑気な男ね。ボブのスマホは今大量の絵文字を送り付けられてフォントエンジンがバグってるはずよ。スマホがバグると、スマホのOSはご丁寧に問題をアプリ運営側のサーバーにレポートするんだけど、もうそのレポート先は私のサーバーにすり替えられちゃってるのよね。はいはい、来た来た。それでこのレポートの中に書いてあるスマホのメモリアドレスの断片情報と、ガルが送ってくれたボブのOSのバージョン情報を組み合わせれば、あら不思議、メモリアドレスの全体像がパズルを解くように分かっちゃうの。メモリアドレスっていうのはスマホのプログラムが作業をする時に使用する作業台の住所よ。現代のスマホOSの大半は、セキュリティ上この作業台の住所をシャッフルするASLRっていう機能があるんだけど、そのアドレスの基本的な位置関係はOSのバージョンごとに決まってるの。だから、ガルにOSのバージョン情報を送るように頼んでおいたのよ。ここが基点のベースアドレスだとすると……ヒープの入口はここね。
「ジョー、偵察は終わったわ。さーて、行くわよ!」
私はガルのビキニ姿のエロエロ画像を人工知能で生成した。そしてこの画像のヘッダー情報でわざと画像サイズを巨大な数値に設定して、画像の後半には私からの命令コードを忍び込ませて……はい、完成。この爆弾をさっきのメッセージアプリでボブに送る。
「アイ、ボブはスマホに気づいてないみたいだぞ。大丈夫か?」
「大丈夫。気づいても気づかなくても、ボブのスマホが私の送った画像を画面上にサムネイル表示すれば私のハッキングは始まるの。これがゼロクリック攻撃の恐ろしいところよ」
多くのメッセージアプリでホーム画面でのサムネイル表示設定をしてる人は多いものよ。念のためにさっきバーでガルにも確認しておいてもらったけど、ボブのスマホも同様の設定になってたわ。スマホは受け取ったデータをサムネイル表示するだけでも自動で画像処理をしてるの。でもその画像データが余りにも巨大だと描画エンジンがバグっちゃう。このバグってる隙を突いて私の命令コードはボブのスマホにとある魔法をかけたのよ。
「ボブがスマホをちら見して……開いた」
そりゃ、ガルのエロエロ画像だもの飛びつくわよ。でもご愁傷さま。
「[!]Escalating privileges to UID: 0(root)...SUCCESS.」
私のコマンド画面に次々とログが流れ、魔法が発動したことを告げていた。そしてものの数秒でボブのスマホは完全に私の制御下に置かれた。私の魔法とは、ボブがホーム画面を開いてアプリがバッググラウンドに回った瞬間、スマホの心臓部であるカーネル領域の脆弱性を突いて私の権限を管理者権限に書き換えさせること。そしてバックグラウンドでネットワーク・ソケットを開き、私のC2サーバーに電話をかけさせて通信路を確保する。道ができれば、後は私のスパイウェアをダウンロードさせれば支配完了よ。どれどれ…それじゃ、ブルートゥースでスマホとボブのスマートグラスを接続させて、スマートグラスのカメラを起動させれば……。
「おお、見えた! これがボブの見てる景色か」
私のPC画面にスマートグラスのカメラ映像がリアルタイムで表示されると、ジョーがはしゃいだ声を上げた。哀れなボブはPCでマンハッタンのお薦めデートコースを調べていたが、開発チームからの内線電話を受けてやっと管理者画面を開いた。やっと仕事を始めるようね。そして私たちに見られているとも知らずに、管理者IDとパスワードを打ち込む。パスワードは非表示だけど指の動きで察しは付く。そして二要素認証としてボブのスマホに送られてきたパスワードも当然私のPCへ転送されてきた。こうして私たちは高々数時間の間で、世界最大のSNSプラットフォームであるΣの管理者キーを手に入れたのだ。世の中便利になるっていうのも考えものね。
「アイ、そろそろ待ち合わせ場所にいくか」
ジョーはそう言うと遮光カーテンを一気に開け放った。
ご一読いただきありがとうございます!本作は、今、私達が問うべき人類とAIのあり方について一石を投じるべく執筆しています。
現在、個人で利用できる最新のAI技術を駆使し、本作の『公式プロモーションビデオ(実写映画風PV)』を鋭意制作中です! 完成版は私のX(https://x.com/RIGHTTHINGADAY)やYouTubeで公開し、こちらのページでもお知らせします。ジョーとアイの凸凹コンビの謎解き、ハッカーたちの息詰まる攻防を、ぜひ映像でも体感してください。よろしければ、今のうちにブックマークや評価で応援していただけると励みになります!




