第22話_笑っても続けられる
「お名前」
紗月が小道具の紙を出した。
こっちへ向いた面は、真っ白だった。
「知ってるだろ」
俺が返すと、彼女の口元が緩む。
受取証が裏なのに気づいたらしい。
笑いが漏れた。
紙を直す指を見て、俺は一瞬だけ次の行を探しかけた。
でも、顔を上げたまま待った。
紗月がもう一度息を吸う。
「……忘れた」
「じゃあ誰を待ってたんだよ」
今度は、その返事を聞いて言えた。
女の子は傘を待っていたと言う。男は、傘を連れてきただけかと問い直す。
そこで止めずに、先へ進んだ。
金曜の放課後。
明日使う共用教室で、最後の通しをしていた。
前へ二つの譜面台を並べる。
家にあった台が使えないか父さんに聞いたら、先生に借りられるか先に聞いてみろと言われた。結局、学校の備品を二つ借りられた。
これなら紙を下げても、次の行を見つけやすい。
傘を開く場所も、客席へ先が向かない位置に決めた。
読み終えると、後ろに座っていた三枝がペンを置いた。
「返してもらったあと、まだ話あるんだなって分かった」
紗月が、どこ、と聞く。
三枝が指したのは、傘を受け取ってから弁当の話をする所だった。
「おかず決めたのに、まだ帰らないから」
「ああ、うん」
俺もそこを見る。
今の紗月は、こちらが動くまで待てる。俺も返事を言いながら、先の台詞へ逃げなくなっていた。
「最後の写真の所、好き。犬は見えないけど」
そう言って、三枝は鞄を持った。
「明日、最初の受付だけ手伝える。次は自分の展示に戻るね」
「ありがと。あとは二人でやる」
紗月が予定の紙を開く。
十二時十分と十三時。自分の放送担当は十三時四十分。もう一度指で確かめる。
来場予定は二回に分かれている。
最初の十三人、次の十七人。空いた席は当日入れる。来てくれると思う人と、本当に座っている人は、明日まで同じにならない。
三枝が去ったあと、俺はさっきの受取証を机へ置いた。
「ここだけ、やり直す?」
「いや。今、続いたから、そのままでいい」
「……そうだね」
紗月が笑った。
俺が笑うと、それを見てまた少し笑う。付き合い始めてから、こういう時間が増えた。
「律、最近、こっち見すぎ」
「見るようにしたんだろ」
「うん。そうなんだけど」
彼女が台本を閉じる。
顔を隠せなくなってから、窓の方を見た。
「今は、いいけど」
「本番は?」
「本番も。……見て」
小さい声だった。
俺は頷き、傘を持ち直した。
「見る。だから、俺が早かったら止めて」
「台詞の途中で?」
「そこまで行く前に」
「分かった。たぶん、顔で言う」
分かるようになってきた顔だった。
それでも明日、客が座ったらどうなるかは知らない。
片づけを終え、戸締りを確認する。
廊下へ出ると、別の教室からも準備を終える人が出てきた。誰にとっても、明日が本番らしかった。
「母さん、来るって」
「うん。私、ちゃんと挨拶できるかな」
「普通でいいよ」
「普通にするけど」
俺を見てから、彼女は鞄を肩へかけた。
「私の母は明日仕事。よろしくって」
「分かった。終わったら話して」
「うん」
俺は窓の外へ目をやった。
校門の掲示には、明日の開始時刻が大きく書いてある。
「明日、全部終わったら、一緒に帰ろう」
「一緒のつもりだった」
「じゃ、途中、少し寄り道したい」
紗月が俺の腕の横へ手を寄せた。
教室から人が出てきたので、触れる前に鞄の紐へ戻る。
「する。どこ行く?」
「まだ決めてない」
「じゃ、明日決めよう」
彼女は先に階段へ向かった。
俺は灯りの消えた教室を一度見てから、その後を追った。
明日ここには、二十四の席が並ぶ。
俺は紗月と、一番後ろの人にも聞こえる声で話す。




