第20話_今のは俺の言葉
本屋の棚で、久瀬が足を止めた。
恋愛映画の原作と、知らない怪物の表紙が隣り合っている。
「両方?」
「どっちか、って思ってた」
「全然違わないか」
「どっちも気になる」
日曜の午後。
約束の駅で会ってから、一時間くらい経っていた。
彼女は今日、白い上着を着ている。
前と違う服を褒めると、ありがと、と今度はすぐ返ってきた。それから俺のシャツを見て、朝倉もそれ好き、と言った。
朝、二回着替えた分は十分戻ってきた。
久瀬は結局、怪物の方を選んだ。
怖いのは平気なのかと聞くと、物による、という返事だった。俺は何が出るか分からない暗い廊下が苦手だとは、まだ言わなかった。
買物のあと、川へ向かう。
途中で冷たい飲み物を一つずつ買い、日陰の多い側を歩いた。
「この道、来たことある?」
「ちょっと調べた。前、暑そうだったから」
「今日のために?」
「うん」
久瀬が道の先を見た。
すぐ先に木が並んでいる。その下で歩く人の影が、細かく途切れていた。
「いいね。こっち」
そう言って、彼女が隣へ寄った。
紙を持っていない手が見える。俺は自分の飲み物を持ち替え、歩く速さを少し落とした。
上手い言い方なら、昨日までにいくつか浮かんだ。
全部、家へ置いてきた。
これから言いたいのは、久瀬に読んでもらう台詞ではなかった。
川沿いの道から少し入った、木陰のベンチが空いていた。
座ると、彼女が買った本の袋を膝へ置く。
「今日、もう一回ゲームする?」
「してもいい。でも、その前に」
久瀬の手が止まった。
俺は飲み物を横へ置いた。
「久瀬が好きだ」
彼女がこちらを見た。袋の口を押さえていた指が、そこで止まった。
顔を見た途端、続きが一瞬遠くなる。それでも今の声は、取り消さなかった。
「一緒に読みたいだけじゃなくて、学校でも、休みの日も会いたい。話してると、帰ったあとも、次は何話そうかって考える」
久瀬は黙って聞いていた。
返事がないのが怖いのではなく、途中で自分が余計なことを足すのが怖くなった。
「俺と、付き合ってほしい」
言い終える。
彼女の目が一度だけ伏せられ、すぐに戻った。
「うん。私も、朝倉が好き」
声がまっすぐ来た。
「付き合いたい。ずっと、そう思って誘ってた」
紙も、マイクもなかった。
彼女は俺を見たまま、自分の言葉を言った。
俺は頷こうとして、動かなかった。
返ってきた言葉が、まだ近くで鳴っている。
久瀬の指が袋を離した。
膝へ置いた手を一度開き、それから俺を覗き込む。
「朝倉」
「……うん」
「私も好きって、聞こえた?」
聞こえた。
頷いてから、今度は声にした。
「聞こえた。すごい、嬉しい」
彼女の口元が、ようやく緩んだ。
俺の顔を見ながら笑う。その顔を見ても、もう次に何を言われるか身構えなくてよかった。
「私も、今日言うつもりだった」
「そうなの?」
「うん。会ったら言おうと思って、でも、服褒めてもらって。それで、本屋行っちゃった」
「怪物の本、ずっと見てたな」
「朝倉も見てた」
「うん。何を選ぶか気になって」
久瀬が肩を落とした。
それから、小さく、よかった、と言った。
「本の話だけで帰ったらどうしようって。さっき、ゲーム行くって聞いちゃったし」
「行っても、言うつもりだった」
「……あそこで言われたら、私、負けるよ」
まだ勝負の続きを気にしている。
俺が笑うと、彼女も笑った。膝の上の手から力が抜け、指がやっと自然な形になる。
「写真、撮らない?」
久瀬が言った。
今、と聞きかけると、彼女は鞄から先にスマホを出した。
「今日の、二人のが欲しい」
画面を内側のカメラへ切り替える。
差し出した腕の先に、俺は半分しか入らなかった。
「もう少し、こっち」
「うん」
俺は座り直した。
彼女の服の袖が近い。さっきまで空けていた分を、今は自分で詰めていた。
「持とうか。俺の方が、届く」
「お願い」
スマホを受け取り、少し遠くへ出す。
画面に二人が入った。久瀬は俺を見ていて、カメラを見ていない。
「そっちじゃなくて、こっち」
「朝倉も、今こっち見たじゃん」
言われて、また彼女を見てしまった。
目が合う。二人で笑って、撮るのが遅れた。
その一枚は、俺が目をつぶらずに撮れた。
スマホを返すと、久瀬も確かめ、画面を大きくしてから元へ戻した。
「送るね」
「うん。俺も欲しい」
すぐ隣でスマホが鳴った。
写真を保存して顔を上げると、写っていた人が、まだ近くにいた。
「明日、普通に会える?」
「会えるだろ。学校だし」
「分かってる。そういうことじゃなくて」
「ああ。……一緒に帰ろう」
「うん」
久瀬は、今度はすぐに頷いた。
「文化祭、終わっても?」
「終わっても。今日だって、練習してないし」
「そうだね」
彼女が本の袋を軽く押さえる。
それを選ぶ顔も、返事に困って動かなくなる顔も、また見たいと思った。
しばらく座ってから、二人で立った。
駅へはまだ戻らず、川沿いを歩く。
いつもの距離に並んでから、久瀬が俺を見た。
「朝倉、私の彼氏なんだ」
「……そうだな」
「自分で言ったのに、変な感じ」
「俺も」
言われた言葉を、もう一度心の中で聞いた。
嘘かどうかを確かめる質問は、浮かばなかった。
曲がり角で、彼女が先に止まった。
俺も足を止める。
「どっち?」
「まだ歩ける方」
「こっち。日陰ある」
次を決めるのは、どちらからでもよかった。
その日は、久瀬を彼女と呼べるまま、もう少し一緒に歩いた。




