第17話_台本を置いてきて
久瀬が台本を閉じた。
俺はまだ鉛筆を持っていたので、顔を上げるのが遅れた。
「今日は、そこまで?」
「うん。五時半」
教室の時計を見る。
ちゃんと終わる時刻だった。慌てて印を一つ書き、紙を揃える。
金曜の練習では、新しく足した場面を一つ読んだ。
返事を待てる所もあれば、考えすぎて空く所もあった。来週までの直しは決まっている。土日に二人で集まる用事はない。
それでも明日は会う。
レモンケーキを買いに行く、という約束がある。
「十時でいい?」
「店、十時からだから、少し前でどう」
「調べたんだ」
「俺も調べるって言っただろ」
久瀬はスマホへ時刻を入れた。
前の買物の日も、ここで同じように決めた気がする。今日は俺の方が、行先まで先に送れる。
椅子を戻してから、彼女が言った。
「買った後、すぐ帰る?」
手を止める。
久瀬は窓際の机を少しだけ押し、ずれていないか確かめていた。
「帰らなくていいけど」
「じゃあ、遊ぼう。台本、置いてきて」
俺は鞄へ目を落とした。
「持ってくつもりなかった」
「よかった。出てきたらどうしようと思った」
「ケーキの前で読み合わせはしないぞ」
「朝倉、気になる所できたら、すぐ書くから」
それはする。
でも明日までに直す所と、明日その場で書きたいことは別だった。
「メモも駄目?」
「思いついたのは、いいよ。ずっと紙だけ見ないで」
言い終えてから、彼女は鍵を持った。
扉を閉める。その顔がこちらへ戻るのを待った。
「じゃ、食べた後も何かしよう」
「うん」
「川の方、座れる所あるよな。その先の店に、ゲームもあった」
駅前の小さな商業ビルだ。
前に航と行った時、上の階にエアホッケーがあった。久瀬がやるかどうかは分からない。
「そういうの、好き?」
「やる。下手だけど」
「俺も特別うまくはない」
「じゃあ、勝てるかも」
「俺の方に?」
久瀬が頷いた。
同じ台本で組んでいる相手が、明日は敵になるつもりらしい。
「負けても、もう一回って言うなよ」
「それは分かんない」
先に言っておいてよかった。
久瀬は廊下を歩きながら、自分のスマホで店を探し始める。
「ここ、十時にはまだ開いてない」
「ケーキ食べてからでいいだろ」
「そうだった」
俺も画面を出し、地図を送った。
用意するのが俺だけだった頃とは違い、久瀬からも別の店の写真が来る。
駅までに三つ候補が増え、二つ消えた。
歩いて疲れたらその時考えることにした。何も決めない時間まで、無理に埋めなくてよかった。
改札を通る前、久瀬が少し後ろに残った。
「朝倉」
「うん」
「明日、デートのつもりで誘ってる」
画面を持つ手が止まる。
昼の、まだ、という声を思い出した。
都合のいい意味に受け取るのが怖くて、そこまで考えないふりをしていた。それを今、本人が言っている。
「……俺も、そのつもりで行く」
久瀬が息を吸った。
すぐに笑うかと思ったのに、口を閉じたまま俺を見た。
「そっか。じゃ、ちゃんと起きて」
「それ、前も言った」
「明日は早いから」
電車の案内が流れる。
彼女は改札へ向きかけ、また一度戻った。
「服、どうしよう」
「この前の青、好きだった」
思ったまま言った。
久瀬の目が一度、下へ動く。今は制服で、同じ袖はそこにない。
「……同じでもいいの?」
「いい。見たいし」
短い沈黙のあと、彼女が俺の横へ来た。
「朝倉も、ちゃんと選んできてね」
「何がいい?」
「そこは、自分で」
家へ帰って、俺は先に台本を直した。
終わらせてから閉じ、明日の鞄へは入れない。
洋服棚を開けた。
普段、何を着ていたんだろう。
よく着るシャツを取ってから、まだ洗濯したばかりの別の一枚まで引っ張り出した。




