第16話_まだのあとで
「傘、結局返すんですか?」
金曜の昼休み、知らない男子にそう聞かれた。
教室の戸口で、昨日貼り出された案内を指している。
「これの人、ですよね」
「ああ。うん」
同じ学年の、別のクラスの生徒だった。
写真を頼りに来たらしい。俺を見てから、案内をもう一度見る。似ていなかっただろうか。
「放送、聞いて。あれ返したら、もう会えなくなるってことですか」
俺はすぐに答えられなかった。
後ろの席へ届けた原稿を褒めてもらった時とは違う。
まだ全部読んでいない人が、先のことを考えていた。
「会えるとは思う。学校、同じだから」
「じゃあいいじゃん」
「うん。でも、帰り道に喋るのは別だから」
自分で答えたあと、その先まで喋りそうになった。
書く時には悩んだのに、聞かれると全部説明したくなる。
男子は頷き、案内の時刻を指した。
「十二時十分なら行けそう。名前って、予約した方がいい?」
「取り置きもできる。決まってたら書くよ」
「じゃ、一人で」
俺は教室へ戻り、来場予定のノートを持ってきた。
今までの七人の下へ、新しい名前が入る。
「これ、誰が書いたんですか」
「俺」
「え。読むのも?」
「そっちも」
答えてから、少しだけ背筋が伸びた。
まだ、この人には面白かったと言われていない。それでも、本番を見たいと名前を書いてくれた。
久瀬が放送室から戻ってくる。
俺の手元を見て、足を止めた。
「来てくれるんだ」
「うん。放送、久瀬さんだったんだね」
「写真にもいるよ」
「ああ、そうだった」
男子が笑う。
久瀬も笑って、案内の前へ並んだ。
「二人でやってるんだ」
「そう」
「二人って、付き合ってるの?」
「まだ」
返事が、先に出た。
久瀬の手が止まる。
男子は、あ、そう、とだけ言って、ノートの自分の名を確かめた。
「じゃ、文化祭で」
去っていく背中へ、俺も頷いた。
そのあと、ノートを閉じるのに少し時間がかかった。
「……まだ?」
聞こえた言葉を、そのまま聞く。
久瀬は案内を指で押さえていた。
「今は、って言おうとした」
「うん」
「まだって、出た」
笑って取り消すこともできた。
あの人が言った、二人で、という言い方を、今はもう少し聞いていたい。
「俺、嫌じゃなかった」
久瀬が顔を上げた。
「それ、何が?」
「聞かれたのも。今のも」
返した声が、自分でも小さかった。
彼女の指が案内から離れる。
「……そっか」
先に教室へ戻ったのは久瀬だった。
席につくまでを見送ってから、俺も入る。自分の机まで、いつもより長かった。
午後の授業前、三枝から短い連絡が来た。
文化祭の仮案内に、瀬戸たちの紹介文が古いまま残っているらしい。『駅の向こう側』という題名だけだった。
放課後、俺は瀬戸の席へ行った。
「案内、まだ前の題になってるって」
「マジか。先生に直し出したつもりだった」
瀬戸がスマホを出す。
送った文を確かめ、窓際の掲示用紙にも目をやった。
「こっちにも出すのか。分かった、今日言っとく」
「頼む。今の稿、俺の名前にはしないで」
「そこはしてない。俺が書いたやつで出してる」
瀬戸は担当へ連絡し、直した掲示用の文面を俺にも見せた。
三枝へも伝え、やり取りを閉じる。
もう、それで終わる話だった。
鞄を持つと、久瀬が教室の外からこちらを見ていた。
俺もそちらへ歩く。
「練習?」
「うん。今日、最後の方まで読みたい」
いつもの頼み方に聞こえた。
でも階段を上がる間、彼女は一度も先へ急がなかった。
俺も、隣を離れずに歩いた。




