第15話_一分だけ続きを隠す
「俺の声、こんななのか」
確認用の録音を止めると、航がイヤホンを外した。
「普段からそうだぞ」
「もう少し、何か」
「何を変えるんだよ」
水曜の昼休み。
放送室の隅で、俺は自分の声に少しがっかりしていた。
文化祭の有志企画には、昼に一分だけ予告を流せる枠がある。
原稿は昨日、担当へ出した。放送部にも使用を認めてもらい、今は本番前の音の確認だ。
航は記録班の機材を返すついでに寄ってくれた。
聞こえ方だけを頼んだのに、俺がいつもの俺なのまで確かめてしまった。
「音は変じゃない。ちょっと遠いけど」
「こっち。もう少し」
久瀬に手招きされ、机の横へ寄る。
マイクが近くなる。隣も、近い。
「息、直接当てないでね」
「分かった」
航は弁当を食べに戻った。
俺も昼食を先に済ませてあるのに、今は口の中に何も残っていないことまで気になった。
久瀬は壁の時計を見ていた。
髪はいつもどおり結んでいる。昨日の写真を思い出す余裕があったのは、放送開始の灯りがつくまでだった。
「本日の文化祭企画紹介は、『傘の返し方』です」
聞き慣れた校内放送の声。
そのすぐ横で、俺が紙を持っている。
久瀬が頷いた。
俺は畳んだ傘を返すつもりで、息を吐いた。
「ごめん。返すの遅くなった」
「開いて」
「ここで?」
「壊れてないか確認」
「八日間、普通に借りてたんだけど」
「八日も借りてたんでしょ」
「……はい」
短くした予告用のやりとりだ。
いつもの仕事声と違い、久瀬の語尾が俺へ向く。
「破れてない」
「うん」
「骨も大丈夫」
「じゃあ、返します」
「待って。ここに名前を書いて」
「何これ」
「受取証」
彼女が紙を一枚、俺へ押した。
聴いている人には、その手は見えない。
「返すだけで、こんなの書くのか」
「書いてくれないと、受け取れないから」
「……俺が来た時、毎日それ持ってた?」
女の子は返却のために紙を用意した。
そのあと何を話すかまでは、紙に書いていない。
「お名前」
久瀬が言い切った。
顔が、少し上がる。
続きの返事が欲しくなった。
紙にはある。だが、俺の番は、ここで言う一つまでだった。
「……知ってるだろ」
彼女は俺を見たまま、一度だけ頷いた。
次に時計を見て、放送の声へ戻る。
六月十三日。三階の共用教室。十二時十分と十三時の二回。
一回十分以内、入場無料、各回二十四席。
「傘を返したら終わるはずの話です。続きは、教室で」
灯りが消えた。
久瀬が小さく息を吐き、俺も紙を置いた。
「終わった」
「うん。ありがとう」
窓の向こうでは、知らない鳥が普通に飛んでいた。
いま校内に声が流れたなんて、ここにいるとよく分からない。
「早くなかった?」
「最後の返事?」
「うん」
「大丈夫。聞こえたよ」
久瀬は原稿を見ずに言った。
俺もようやく時計から目を離せた。
放課後、借りた教室で録音を聴いた。
確認用に残していた予告の音源だ。久瀬は二人分の台本を机へ置いたまま、スマホを真ん中へ寄せる。
聞こえる自分に、まだ少し慣れない。
けれど、久瀬の声が変わる所は分かった。
「ここ、好き」
俺が言うと、彼女が一時停止した。
「どこ」
「お名前、って所。知らないわけないのに、書かせようとしてる」
「そこ、私も好き」
もう一度流す。
俺の返事まで来て、久瀬が笑った。
「今の、すごい困ってる」
「実際、困ってた」
「知ってる台詞なのに?」
知っていた。
あの声で言われる所まで、書いてはいなかった。
「放送、緊張するな」
「私もしたよ」
「いつもやってるのに」
「今日は隣に朝倉いるから」
彼女は言ってから、音量を下げた。
「……どんな声で返ってくるか、知ってるつもりだったのに」
こっちが緊張を教わる方だと思っていた。
久瀬は画面へ目を落としたまま、再生を押す。
もう一度、俺の返事が聞こえる。
今度は自分の声だけを消したいとは思わなかった。
「これ、残しておこう」
「うん」
劇の続きを開く前に、俺たちは最後まで一分を聴いた。
顔を知らない誰かにも、こんなふうに聞こえていたんだろうか。




