↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/51

9:閾値に遊びがないですね

 翌朝、リタさんは布に包んだものを抱えて門に立っていた。

 包みを開くと、手のひら二つ分ほどの箱が出てきた。同じものが、もう一つ。金属の枠に、磨いた石が三つ嵌まっている。側面に小さな摘まみがついていて、そこだけ手垢で色が変わっていた。


「これが例のやつだ。うちの工房で三代売ってる」

「三代」

「型は五十年前のままだ。あたしが生まれる前からある」


 一つ受け取ると、思ったより重かった。

 摘まみを回す。こつん、と軽い手応えがあって、箱の表面がゆっくり温かくなっていく。仕組みは分からないが、良い作りなのは分かった。継ぎ目が詰まっている。


「これ、温度は決められるんですか」

「できない。熱くなりすぎたら自分で戻す」


 なるほど、と思った。

 決まった温度を守ろうとする道具ではない。摘まみの位置がそのまま火力で、あとは使う人間が見ている。単純だが、単純なぶん、間違いようがない。


「逆はどうやるんですか」

「逆へ回すだけだ。誰でもできる。……やめとけ。壊れる」

「壊してもいいですか」

「は?」

「壊れる瞬間を見ないと、原因が分かりません」


 リタさんは数秒、俺の顔を見ていた。それから箱を指さした。


「一個、売り物一個ぶんだぞ」

「分かってます」

「……いいだろう。あたしも五十年ぶんの答えが欲しい」


 * * *


 地下の機械室へ下りた。トモが足にまとわりつくように、ついてきた。

 作業台の上は、この数日ですっかりリタさんのものになっている。工具箱が三つと、炭のかけらと、削りかけの金具が並んでいた。その端を空けてもらって、箱を置く。

 トモは作業台の下に入った。


 摘まみを逆へ回した。

 箱の表面が、今度はゆっくり冷えていく。文字が視界の端に浮いた。


   温度制御:正常

   加熱側保護:正常


(あー……)


 溜息が出た。

 この箱には、安全のための仕組みがちゃんと入っている。温めすぎたときに止まる仕掛けだ。作った人間は、暴走することを想定していた。

 ただし、温める方向にしか付いていない。

 逆へ回したときに何が起きるかは、誰も考えていない。考えていないから、止める仕掛けもない。


「危険」


 足元でトモが鳴いた。作業台の下から出てきて、俺の脛を前足で叩いている。

 それで、手のひらが熱いことに気づいた。

 冷えるはずの箱が、逆に熱を持っている。慌てて作業台へ置いた。

 枠の継ぎ目から、細い煙が上がった。


   出力:上昇継続


「止まりません。放っておくと、たぶん最後まで行きます」

「離れろ」


 箱の中で、乾いた音が鳴った。それきり、熱が引いていく。

 摘まみをどちらへ回しても、もう何も起きなかった。


「……五十年だぞ」


 リタさんが、焼けた箱を覗き込みながら言った。


「五十年、これを『そういうものだ』で済ませてきた。うちの親父も、その親父も」

「止める仕掛けはあるんです。片側にだけ」

「片側」

「温める側です。冷やす側には、何も入っていません」

「なんで片側にしか入れなかった」


 俺は少し考えて、正直に答えた。


「分かりません。ただ、たぶん、最初は温める道具として作られたんだと思います」


 冷やすのは、後から見つかった使い方だったのだろう。誰かが逆へ回してみて、冷えると気づいた。動くから使った。動くけれど、守られてはいなかった。


「……両側に入れれば、逆でも使えるのか」

「使えます」

「そんな話か」

「そんな話です」


 リタさんは焼けた箱を持ち上げて、割れた枠の隙間を覗き込んだ。それから短く笑った。笑い方が、ちょっと怖かった。

 箱を置くより先に、もう次のことを言い出している。


「冷やす側にも同じものを付ければいいんだろ。加熱側のと同じ形で、向きだけ逆にして」


 もっともな話だ。彼女が毎日作っている部品を、もう一つ、逆向きに据えるだけで済む。

 それでも気になることがあった。確認したかったが、焼けた箱では中身がもう見えない。


「先に見せてください。できれば新しいものを」

「こっちは、壊すなよ」

「はい。見るだけです」


 リタさんがもう一つを作業台に置いた。

 摘まみを回して、触れる。仕組みを辿る。加熱側保護の、先だ。


   加熱側保護:上限のみ


 上しか見ていなかった。

 決めた温度を超えたら止める。仕掛けとしてはそれだけで、超えたかどうかを比べる先が、上にしか無い。冷やす側で止めたいのは下がりすぎたときだから、同じものを逆さに据えても、下は見えないままだ。

 摘まみを戻す。


「同じものでは無理です。上を見る仕掛けなので、逆さにしても上を見ます」

「……向きの問題じゃないのか」

「向きではなく、何と比べるかの問題です」


 リタさんは炭を持ったまま、しばらく黙っていた。


「じゃあ、下を見る仕掛けを一から考えるのか」

「いえ」


 一から考える必要はなかった。動いているものが、同じ部屋に四本も立っている。

 作業台を離れて、いちばん手前の筒に手を当てた。

 両側に入っていた。温めすぎたときにも、冷やしすぎたときにも、それぞれ別に止まるようになっている。五百年前の設計は、そこまでやっていた。

 ただし、区画をまるごと賄う大きさのままだ。あれを手のひらに載る箱へ落とし込む必要がある。

 それと、もう一つ。

 温める仕掛けと冷やす仕掛けが両方揃うなら、摘まみで決めた温度へ寄せて、そこで保たせることができる。上がりすぎたら冷やし、下がりすぎたら温める。使う人間が箱を見張らなくてよくなる。

 その話をしたら、リタさんは炭を落とした。


「勝手に決めるのか。道具が」

「決めます」

「……気に入らんな」

「やめますか」

「やる」


 次の三日は、その話だった。俺が中の仕組みを言葉にして、リタさんが図を引く。

 図そのものは読める。文字も数も追える。ただ、そこに引かれた線が正しいかどうかは、俺には分からない。紙は動いていないので、触っても何も出てこない。

 だから、作ってもらうしかなかった。形になって、動き始めて、初めて俺は中を見られる。

 一つ説明するたびに、質問がいくつも飛んできた。


 そのあいだに、フィーネさんは二度来た。

 機械室は彼女の通れる範囲の外なので、そのたびに上の部屋まで戻る。

 一度目は、炭で汚れた手と、削り屑だらけの服を見て、それから食べ物を置いて帰った。

 二度目には、俺が手に持ったままでいた図を、首を傾けて覗き込んできた。


「それ、できたら何がすごいの?」

「夏に、部屋が涼しくなります」


 フィーネさんが三秒ほど黙った。


「……え、それ、すごくない?」

「すごいです」

「すごいって顔してよ!」


 そして三日目の夕方に、最初の試作品ができた。


「点けるぞ」


 摘まみが回る。

 箱が温まり始める。設定した温度に近づいていく。

 そこまでは良かった。


 かちり。かちり。かちり。かちり。


 箱の中で、細かい音が鳴り始めた。止まらない。


「なんだこれ」

「切り替わってます」

「切り替わりすぎだろ」


   温度制御:動作中

   切替回数:毎分214回


「毎分二百十四回だそうです」

「壊れる」

「壊れますね」


 リタさんが摘まみを戻した。音がやむ。

 彼女は箱を睨みつけたまま、指で作業台を叩いている。


「温度は合ってる。合ってるのに、こうなる」

「合ってるからです」

「は?」


 言い方が悪かった。

 目標の温度を、この箱は正確に守ろうとしている。少しでも下がれば温める。温めれば上がる。上がればすぐ止める。止めれば下がる。下がればまた温める。

 正確であろうとすればするほど、細かく往復することになる。


「閾値(いきち)に遊びがないですね」

「……いき、なんだって?」

「すみません。切り替わる境目のことです」


 リタさんが顔を上げた。眉が寄っている。


「境目に、遊びがないってことか?」

「はい」

「遊びってのは、軸とか蝶番の話だろ。温度に遊びなんてあるか」

「同じです。温め始める温度と、温めるのをやめる温度を、少しずらします」


 彼女の指が止まった。


「……ずらす」

「はい。下がったら温め始める。少し上がりすぎるまで、止めない。行き過ぎてから止める」

「わざと、狙いを外すのか」

「外すというより、狙う的を大きくする、ということです」


 リタさんは口を開けて、閉じた。それからもう一度開けた。


「そんなもん、雑な作りって言われるぞ」

「……雑ですか?」


 本当に分からなかった。

 一点を守ろうとして毎分二百十四回鳴る箱と、幅を持たせて三回で済む箱があったとき、雑なのは前者の方だと思う。


「……だが、動くのか」

「動きます。往復が減るぶん、長持ちもします」


 沈黙が、たっぷり十秒ほどあった。

 それから彼女は、作業台の炭を掴んで図の上に何か書き足した。二本の線を、少しだけずらして引いている。


「下がりきったら温め始めて、上がりきってから止める。その二つを、別の高さで持つ。そういうことだな」

「はい、それです」

「……気持ち悪いな」

「作れば、分かります」


 * * *


 二つ目の試作品は、静かだった。

 箱が温まり、少し行き過ぎて、止まる。しばらく何も起きない。ゆっくり冷めて、また温まり始める。

 かちり、と鳴る間隔が、指で数えられるくらいになっていた。


   温度制御:正常

   切替回数:毎分3回


「三回です」

「二百十四から三か」

「はい」


 リタさんは箱に手をかざしたまま、しばらく黙っていた。それから、摘まみを逆へ回した。

 箱が冷えていく。今度は、煙は出ない。

 両側に、止める仕掛けが入っている。


「……売れるな、これ」

「売れますか」

「夏に使える温度調節の道具なんて、この街に一つもない」


 彼女は箱を布で包み直しながら、こちらを見もせずに言った。


「明日、ギルドへ持っていく。お前も来い」

「私がですか」

「作り手として登録がいる。あと、向こうが技術のことを訊いてくる。あたしは中身を説明できん」


 それはそうだった。

 俺も説明できる自信はなかったが、少なくとも見えてはいる。


「分かりました」

「言っとくが、あそこは面倒くさいぞ」

「面倒くさい、というのは」

「明日分かる」


 リタさんは笑わずにそう言って、帰っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。