8:あたしが作ろうか
翌日から、リタさんは本当に毎日来た。
日の出前に門に立っていて、こちらが起きるのを待っている。工具箱は三つに増えた。増えた分は置きっぱなしなので、機械室の隅がだんだん彼女の場所になりつつある。
直したのは、この三日で四つだった。地下の水路の弁がひとつ。居住区の扉が二つ。それから、通りの灯りをまとめて制御している箱。
どれも同じやり方だった。俺が何が起きているかを言い、リタさんが手を動かす。俺の言葉は毎回どこかで通じなくなって、そのたびに彼女は「じゃあ、こう訊く」と言い方を変えてくる。
「壊れるのはどっちだ」
「時間はかかるのか」
「触ったら何が変わる」
この人が知りたいのは、正しい答えではない。手を動かす前に、何を確かめておけばいいかだ。
三日目の帰り際に、リタさんが俺の部屋の窓を指した。
「あれ、いつからだ」
「来た日からです。ガラスは私には直りません」
「知ってる。そういう話じゃない」
翌朝、彼女は板と釘を担いできた。ガラスは高いから当分これで我慢しろ、と言って、割れた枠に打ちつけていく。手際は俺が口を挟む余地のないものだった。
部屋が暗くなった。かわりに、風が止まった。
「冬までにガラスを入れる」
「お代は」
「あとで請求する」
結局、請求は来なかった。
言わない方がいいような気がしたので、こちらからも言わなかった。
* * *
その日の夕方、フィーネさんが来た。
いつもの干し肉と、それから何かの果物を袋ごと置いていく。彼女は部屋の隅に上着を放って、床に落ちていた髪紐を拾い上げ、少し首をかしげてから、それも同じ場所へ置いた。
置き場所として認識されている。
「リタ、まだいるの?」
「下です。たぶん、日が暮れても帰りません」
「あの子、昔からそうなんだ」
彼女は壁にもたれて、袋の口を覗き込んだ。それから、こちらを見ずに言った。
「シュウさん、冬ってどうするの?」
「……冬」
「うん、冬」
言われて、言葉に詰まった。
寒くなることは分かっていた。だから寝室の壁に細工をした。温度制御も直した。だが、それだけだった。冬になる、ということをそこまで深刻に捉えてはいなかった。
フィーネさんの声は、俺の想定よりもずっと硬かった。
「ここらは雪が来るよ。そんなに深くはならないけど、街道は歩きにくくなる。荷車が減って、市に出る物も減る」
「……はい」
「そうなってから買おうとしても、無い。値も上がる。だから今の時期に、みんな仕込むの」
「仕込む」
「塩漬けとか、干すやつとか。あと薪。ここは暖かくなったから薪は要らないかもしれないけど」
俺は黙っていた。
どれも、聞けば当たり前の話だった。当たり前なのに、一つも頭になかった。
元の世界で、俺は食べ物を買うということを、たぶん一度も計画したことがない。腹が減ったら店へ行けばよかったし、店はいつでも開いていた。閉まっている店のことを考えたことがなかった。
「今、いくら持ってる?」
「……ゼロです」
「うん」
「明日から働くとしても、この街に私の仕事はないので」
言ってから、この街というのが遺跡のことなのか、彼女の街のことなのか、自分でも分からなくなった。どちらにしても無い。
「怒らないから、正直に答えてね」
フィーネさんが壁から背を離した。
「わたしが持ってこなかったら、シュウさん、いま何日もつ?」
答えられなかった。
答えは分かっていた。分かっていたから答えられなかった。
「そういうこと」
「……すみません」
「謝らなくていい。わたしが勝手にやってることだから。ただね」
彼女は袋の口を結び直して、こちらへ押した。
「わたし、冬になったら来られない日が増える。雪の日は巡回が増えるし、街の方でも人が要るから」
そういう話か、と思った。
そこまで考えていなかったのは、俺だけだ。彼女はとっくに、自分がいない冬のことを勘定に入れていた。
* * *
リタさんが上がってきたのは、日が落ちてからだった。
手を洗いながら、俺とフィーネさんを見比べて、それから鼻を鳴らす。
「なんだ、辛気くさい顔して」
「冬の話をしてました」
「ああ」
彼女は袋の中の果物をひとつ摘まみ上げ、勝手にかじった。
「金の話だろ」
「金の話です」
「いくら要る」
「分かりません。それも含めて分かってません」
「フィーネ」
「一冬なら、これくらい」
フィーネさんが指で数を作った。リタさんが頷く。
俺だけが、その数の重さを知らない。
「妥当だな」
「機械室に、工具箱が三つ置かれています」
ニコが戸口に立っていた。いつからいたのかは分からない。
「あたしのだ」
「工具の常置は、工房区画の用途です。機械室は保守作業のための場所であり、物を置く場所ではありません」
「毎日持って帰れってのか」
「……」
「なんだ、その間は」
「規定です」
トモが部屋に入ってきて、袋の匂いを嗅いで、それから俺の膝の横へ座った。ゴーレムは物を食べないのに、毎回これをやる。
リタさんは果物をもう一口かじって、それから天井を見上げた。しばらくそのままだった。
考えているときの顔だった。三日で覚えた。
「なあ」
「はい」
「お前、あの部品の中身が見えるんだよな」
「見えます」
「壊れてないやつも見えるのか」
「見えます」
「動いてる最中も?」
「はい」
彼女はまだ天井を見ていた。
「親父――うちの工房で作ってる温度調節の道具があるんだが」
「はい」
「あれ、寒い日にしか使えない」
「……というと」
「暑い日に逆へ回そうとすると、壊れる。昔から壊れる。だから寒い日専用ってことにして売ってる」
顔が、こちらへ下りてきた。
「なんで壊れるのか、五十年、誰も知らん」
俺は少し考えて、それから正直に言った。
「見れば、たぶん分かります」
「直せるか」
「原因は分かります。直し方は……私には作れないので」
「作るのはあたしがやる」
あっさりしていた。
「待ってください。今の話、たぶんそれだけじゃ済みません」
「なんだ」
「原因が分かったら、寒い日専用でなくなります。そうしたら、それはもう別の商品です」
リタさんの目が、ゆっくりと開いた。
彼女はそのまま数秒動かず、それから、果物の残りを口に放り込んで飲み込んだ。
「……お前、それを先に言え」
「今、言いました」
「あたしが作ろうか」
言い方は、ついでみたいだった。
「うちの工房じゃない。あたしが作る。お前が中を見て、あたしが形にする。売るのは職人ギルドだ。話は通せる。親父にも話はつける」
「売れますか」
「売れなかったら、あたしの腕が悪い」
フィーネさんが、袋の上で手を打った。金茶色の三つ編みが揺れた。
「それ、いいと思う!」
「フィーネは黙ってろ」
「なんで!?」
「嬉しそうにするな。調子が狂う」
俺は、まだ飲み込めていなかった。
自分の見ているものに、値段がつくという発想がなかった。
現代でもそうだった。
いや、値段がつかない仕事をしていた、というのとは違う。給料は出ていた。毎月、決まった額が。
ただ、あれは俺の生んだ分を誰かが数えて払っていたわけではない。大きな対応があった月も、何も起きなかった月も、同じ額が入った。
俺の仕事は、金を生む誰かや何かを守ることだった。だから、自分の働きが金を生むということを、俺は一度も考えたことがない。
「シュウさん」
フィーネさんの緑の目が、こちらを覗き込んでいた。
「今の顔、いいと思う」
「顔ですか」
「うん。直すものの話じゃなくて、自分の話でその顔したの、初めて見た」
言われても困る。困ったが、悪い気はしなかった。
その夜、書くものを探した。
割れた石板の裏と、炭のかけらが見つかった。この世界の文字は書けないので、元の世界の字で書く。読めるのは俺だけだ。
誰にも読めないものは、記録ではない。ただの覚え書きだ。だが今夜要るのは、そっちだった。
明日から調べること。温度調節の道具。壊れる条件。逆へ回すというのが、何をしているのか。
冬までに、いくら要るのか。
最後の一行だけ、まだ数字が入らなかった。




