7:見えているのと、作れるのは、別です
日の出に門へ行くと、リタさんが地面に座り込んでいた。
工具箱が二つ置いてあって、片方を開けて、中の工具を一本ずつ布で拭いていた。空はまだ半分暗い。
「早いですね」
「日の出って言っただろ」
「言いましたけど、これは日の出前です」
「歩く時間を勘定に入れてないお前が悪い」
筋は通っていなかった。
言い返す言葉を探しているあいだに、彼女は工具を片付けて立ち上がった。
通行の許可を出し直す。今度は範囲を少し広げた。第一居住区と、そこから地下へ下りる機械室まで。設備の操作は、やはりできない。
「昨日より広いな」
「見せたいものがあるので」
* * *
機械室は、居住区の下にある。
天井が高い。石の柱のあいだに、人の背丈の三倍はある筒が四本並んでいて、そこから太い管が壁の中へ吸い込まれている。埃をかぶってはいるが、割れているところは一つもない。
リタさんは入口で立ち止まったまま、しばらく動かなかった。
「これは何だ」
「たぶん温度制御ですね」
「たぶん?」
「正常に動いてないので、正確にはまだ」
彼女は俺を押しのけるようにして中へ入り、いちばん手前の筒に手をついた。それから膝をついて、根元をのぞき込み、指で表面をなぞって、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、最後に耳を当てた。
俺には真似のできない調べ方だった。俺は見れば分かってしまうので、こういう順番を踏む必要がない。踏む必要がないから、身についていない。
「動いてないな」
「はい」
「でも、外から見えるところは、どこも壊れてない。ここから先は、開けてみないと分からん」
「先に、見てみます」
筒の根元へ手を当てる。前に見たのと同じ文字が、同じ順で浮いた。
供給系統:容量不足
原因:依存関係不整合
前はここで引き返した。四本まとめて動かそうとして、その先の広さに怯んだ。
だが今日は、動かしに来たわけじゃない。足りないと言っているのが何なのか、そこだけ辿ればいい。
容量が足りない。足りないということは、どこかが余計に使っているか、配る側が配れていないかのどちらかだ。
(配る側だな)
手を根元から少し上へ移した。太い管が四本に分かれる、その付け根。
温度制御:停止
原因:物理破損
思わず息を吐いた。
あのとき見えていたのは、足りないという症状だけだった。原因はもっと手前にあって、しかもずっと小さい。
小さいのに、俺の手には負えない。
「一箇所だけ、壊れてます。この部品を交換すれば直ります」
「どれだ」
「これです。ここの、指の先くらいの」
「何の部品だ?」
「……分かりません」
「は?」
「この世界の部品、今日まで一個も作ったことないんです」
リタさんが真顔になった。
「作れないのか」
「作れません。何でできているのかも分かりませんし、どこで売っているのかも知りません」
「見えてるのにか」
「見えているのと、作れるのは、別です」
言ってから、少し情けない気持ちになった。
これが元の世界だったら、電気屋に行くとか通販で頼むとかメーカーに問い合わせるとか、やりようはあった。でも、この世界のことは何も分からない。
リタさんは何も言わずに、その部品を外した。
工具ベルトから細い鉤を抜いて、二回動かしただけだった。俺は一日かけても外せなかったと思う。
彼女は手のひらの上でそれを転がし、割れ目に爪を当て、それから目を閉じた。
手のひらが淡く光る。
「<修復>ですか」
「黙ってろ」
光が数秒続いて、消えた。
部品は、割れたままだった。
「……駄目だ」
「効かないんですか」
「効かない。<修復>は、元がどうだったか分かってるものにしか効かない」
彼女は割れた部品を指で挟んで持ち上げた。
「これが何なのか、あたしには分からん。分からんものは、元に戻す先が無い」
なるほど、と思った。
俺は原因が分かるのに直せない。彼女は直せるのに、何なのかが分からない。
二人とも、片側だけ持っている。
「何をするものかは、分かります」
「言え」
彼女は割れた部品を作業台の上に置いて、腰から短い炭を抜いた。台の板に、そのまま書き始める。
「奥へ流れる魔力の速さを、決まった以上に上げないようにしています」
「絞りか」
「たぶん、それです」
「どのくらい絞る」
「……分かりません」
リタさんの炭が止まった。
「数字は見えるんです。ただ、この世界の単位に直せない。私の見ている数と、あなたの使っている尺が、繋がらないので」
「ふん」
彼女は炭の先で頬を掻いた。頬に黒い線が残る。
「じゃあ、こう訊く。絞りが弱すぎたら、何が起きる」
「奥の系統が焼けます。たぶん、この四本全部」
「強すぎたら」
「暖まりません。それだけです」
「壊れはしないんだな」
「壊れません」
炭が、また動き出した。速い。
「上等だ。それだけ分かれば作れる」
「え」
「強い方から試す。焼けないんだから、いくらでもやり直せる。暖まらなかったら少しずつ緩めていく。どこかで暖まる。そこが答えだ」
俺は少しのあいだ、何も言えなかった。
数字が要ると思い込んでいた。正しい値が分からないなら渡せない、と。だがこの人が欲しがったのは値ではなく、外したときにどっちへ転ぶかだった。片側が安全だと分かれば、安全な側から詰めていける。
数字が見えているせいで、そのやり方に気づけなかった。
「素材が足りん。持ってきた分だけじゃ無理だ。……おい」
「はい」
「そこの奥、同じ形のがもう三つ並んでるだろ。あれの一つ、もらっていいか」
訊いてきた。
昨日、触りたくなったら先に言ってくれと頼んだばかりだ。この人はちゃんと、覚えていた。
「確認します。少し待ってください」
奥の三つを順に見て回った。どれも同じ系統の予備で、そのうち二つは元から止まっている。一つ抜いても、残り二つで足りる。
とはいえ、抜いたことを、どこかに書いておかなければならない。俺が忘れたころに誰かが困る。そして、この世界の文字は俺には書けない。
「いいです。ただ、抜いたことを記録に残したいので、あとで代わりに書いてもらえますか」
「書くのは構わんが、なんで自分で書かない」
「……字が書けないんですよ、この世界の」
「読めるのに?」
「読めるのに」
リタさんは、この日初めて声を出して笑った。
* * *
一つ目は絞りすぎで何も起きず、二つ目は少しだけ空気が動いて止まり、三つ目は動いたものの十分くらいでぬるくなった。緩める方へ、一つずつ。そのたびに俺が筒へ触れて、何が起きているかを読み上げ、リタさんが作業台へ戻る。
四つ目を差し込んだとき、壁の中で低い音が鳴った。管の内側を、何かが流れ始める音だった。
風が出るのは居室の方だ。二人で階段を上って、俺の部屋に入った。
部屋の壁にある摘まみを回すと、天井近くの通気口から、風が降りてきた。
埃くさい。だが、暖かい。
「温度制御、正常化を確認しました」
いつのまにか、扉の向こうにニコが立っていた。足元にトモがいる。
彼女は一度だけ天井を見上げて、それから続けた。
「記録します。第一居住区、温度制御、稼働再開。五百二年ぶりです」
「……五百二年」
「はい」
数えていたのか、と思った。
誰も見ていない五百二年のあいだ、この施設は止まっていることを記録し続けていたわけだ。今日、その記録に一行だけ違うことが書かれた。
リタさんは筒に手をついたまま、しばらく黙っていた。それから、片手を通気口へかざした。
俺も同じようにした。
「……五百年ぶりだぞ、これ」
「そうですね」
「あたしが作った部品で、五百年ぶりに動いてる」
「そうですね」
「お前、もうちょっと感動しろ」
「感動してます」
していた。
していたけど、リタさんにはすがめた目で「そうは見えん」と言われた。
その夜、寝室の壁の中の管を、細工する前の形に戻した。あの応急処置は、もう要らない。
割れた窓から風の音がする。それでも部屋は前より暖かくて、なんだか広く感じた。
それから、ふと気づいた。
暖かい部屋で寝られるようになったところで、明日の食べ物が増えるわけではない。
フィーネさんが置いていった干し肉が、袋の中で二切れになっている。
床には、髪紐が落ちていた。置いていったのか、落としていったのかは分からない。
明日また、彼女は来るだろう。
それに甘えている限り、俺は何ひとつ稼いでいない。




