↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/51

6:完成術式だ、中身を見るものじゃない

 フィーネさんは、本当に毎日来た。

 巡回の帰りに寄って、干し肉やら硬いチーズやらを置いていく。

 毛布も彼女が置いていったものだった。何も言っていないのに、二日目に背負ってきた。

 置いていくだけならまだいいのだが、そのついでに上着を脱いで、水を飲んで、そのまま忘れて帰る。俺が寝起きしている部屋の、扉に近い側の隅には、彼女の上着と、空になった水筒と、なぜか鞘の手入れ用の油が溜まり始めていた。

 通行の許可の方は、初日に出したものが二十四時間で切れた。二日目も三日目も門の前で出し直していたら、四日目に「毎朝これやるの?」と呆れられた。

 それで、期限だけひと月へ延ばした。範囲は変えていない。南門から第一居住区まで。設備の操作はできず、管理区画には入れない。

 期限を延ばすのと、通れる場所を増やすのは、別の話だ。


 六日目の昼、フィーネさんの私物をどうするかで、ニコに詰められていた。


「一時通行の許可で入った方の物が、居住区画に残っています」

「はい」

「規定違反です」

「……はい」

「撤去しますか」


 答えられなかった。

 人の物だ。しかも、女性の物だ。積み直すだけでも、どこかで線を越える気がする。

 ニコが、唐突に顔を上げた。


「入口結界が、通行の要求を拒絶しました」

「人ですか」

「人です。女性。工具を携行しています」

「工具」

「はい。要求は継続中です。これで二十三件目になります」

「二十三件目」

「一件目で報告すべきでしたか」

「そうしてください。……その人、いま何をしてるんですか」

「結界を叩いています」


 叩いている。

 結界を。


 * * *


 門まで行くと、本当に叩いていた。

 結界の向こう側に、女の人がひとり立っている。俺と同じくらいの歳に見えた。赤茶色の癖っ毛が短く跳ねていて、額に押し上げたゴーグルがずり落ちかけている。革のエプロンに、金具の詰まったベルト。指と前腕に、古い火傷の痕がいくつも走っていた。

 その手が、細い金属の棒で結界の表面を叩いている。こつ、こつ、と間隔を測るように。


「おい」


 こちらに気づくなり、彼女は棒の先を俺へ向けた。


「これ、どうなってんだ」

「……こんにちは」

「音が返ってこない。硬いものを叩いた音でも、柔らかいものを叩いた音でもない。何を叩いてるんだ、あたしは」


 挨拶は返ってこなかった。

 街道の方から足音が近づいてきて、フィーネさんが走り込んできた。息が上がっている。


「リタ! 待ってって言ったでしょ!」

「待ってたら日が暮れる」

「一人で来ちゃだめだって言ったの!」


 二人は顔見知りらしい。というより、この距離の詰め方は、たぶん昔からの知り合いだ。

 その人はフィーネさんを一瞥してから、俺へ視線を戻した。


「あんたか。フィーネの剣を直したの」

「はい」

「リタだ。街の工房の」

「相楽修です」

「シュウな。で、どこを直した」


 名乗りから本題まで、間が無かった。


「柄の中の、術式です」

「柄の中身ならあたしが組んだ。魔力を刃へ通すやつと、強さを決めるやつ。二つ入ってる」

「はい。その二つです」

「あれは触れない」

「え?」

「完成術式だ。中身を見るものじゃない」

「その中を見ました」

「……中?」


 名乗りのあいだも俺へ向いたままだった棒の先が、そこでようやく下りた。


 リタさんの目つきが変わった。鋼みたいな色の目が、俺の顔から手元へ、それから足元へ動いて、また顔へ戻ってくる。値踏みされているのではない。測られている、という感じだった。


「あたしは十三から工房にいる」

「はい」

「あの剣も、うちで打った。柄の中身も、あたしが組んだ」

「はい」

「そのあたしが見て、直せないと言った。故障じゃないからだ。壊れてないものは<修復>じゃどうにもならない」

「そうだと思います」

「……だったらお前は、何を直した」


 良い質問だった。

 こういう訊き方をする人は、現代でもそう多くない。壊れていないものを直したと言われたときに、嘘だと決めつけるのでも、すごいと持ち上げるのでもなく、では何をしたのかと訊く。


「壊れているものは、何もありませんでした」

「だろうな」

「あの二つは、それぞれの中で、魔力の経路を掴む順番が決まっていなかったんです」

「……順番」

「普段は起きません。フィーネさんが自分に強化をかけた瞬間だけ、二つが同時に掴みにいく。片方が離すのを待っていない。だから一瞬だけ抜ける」

「それを、どうした」

「片方が掴んでいるあいだ、もう片方が待つように書き換えました」

「書き換え……いや、待て」


 リタさんが片手を上げて、俺の言葉を止めた。それから、自分のこめかみを二本の指で押さえる。


「順番、って言ったな。さっき」

「はい」

「あれの中に、順番なんてものがあるのか」


 あります、と答えかけて、ためらった。

 この人にとっては、無いのだ。柄の中の二つは、それぞれが完成した術式で、その内側は開けるものではない。開けるものではないから、開けた人間がいない。開けた人間がいないから、中に何があるかを語る言葉が、この世界には無い。

 俺が見ているのは、たぶん、この人が「底」だと思っている場所の、さらに下だ。


「……あります」


 結局、それしか答えられなかった。

 リタさんは長いこと黙っていた。ゴーグルを額から鼻の上まで下ろして、また額へ押し上げる。


「見せろ」

「何を?」

「お前が見ているものをだ」


 そこで、初めて困った。


「見せられません」

「は?」

「これは私にしか見えていないので」


 我ながら、ずるい言い方に聞こえた。もったいぶって隠しているように取られても文句は言えない。

 だが、リタさんの反応は違った。


「じゃあ喋れ」

「え」

「見えてるんだろ。だったら口で言えるはずだ。あたしが分かるまで、何度でも言え」


 フィーネさんが横で吹き出した。


「リタ、それ、初対面の人に言うこと?」

「初対面だから言ってる。二度目からは言わない」


 意味が分からなかったが、たぶん本人の中では筋が通っているのだろう。

 フィーネさんが俺の袖を引いて、リタさんから少し離れたところまで連れていった。


「あの子、ああなると止まらないから。困ったら追い返していいからね」

「……大丈夫です。たぶん、こちらも似たようなものなので」

「うん。それは、なんとなく分かってた」


 彼女は笑って、それから鎧の留め具を直した。


「わたし、まだ巡回の途中だから戻るね」

「はい。ありがとうございます」

「リタ、無茶させちゃだめだよ!」

「聞こえてる」


 フィーネさんは街道の方へ駆けていった。

 あの人は、いつもこうやって、自分の持ち場のあいだに人の心配を挟んでくる。


 * * *


 中へ入れるまでに、もうひと悶着あった。


「南門から第一居住区まで。設備の操作はできません。管理区画には入れません。有効期限は二十四時間です」

「工具は」

「持ち込みは構いません。ただ、こちらの設備には触らないでください」

「触るなと言われて触らずにいられる人間が、この仕事をやってると思うか」

「思いません」

「正直だな」

「……なので、触りたくなったら先に言ってください。一緒に見ます」


 リタさんは少しのあいだ考えて、それから鼻を鳴らした。


「いいだろう」


 膜が薄くなる。彼女は迷いなく足を踏み入れて、草地を横切った。石畳に乗ったところで足が止まった。足元をじっと見る。それから壁を見て、地面に伸びる管を見た。


「……五百年、ここが」

「はい」

「触っていいものと、悪いものを、全部教えろ」

「順番に言います」


 その日、リタさんが帰ったのは日が落ちてからだった。

 帰り際、彼女は門のところで振り返って、明日は何時から始めるのかと訊いた。

 俺は少し考えて、日の出でいいですかと答えた。


「早いな」

「早い方が長く見られるので」

「……気が合うじゃないか」


 悪くない気分だった。

 ここへ住み着いて六日で、初めて、技術の話が通じる相手ができた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。