50:三回目だ
トモが出てから、待っているだけにはできなかった。
六つの手順のうち、切替器が要るのは四つ目だ。三つ目までは、こちらで進められる。
「三つ目の手順まで、先にやります」
コンラート司祭が、半歩踏み出した。
「私は、何をいたしますか」
この人は、順番を知っている。日付の書き方も、印の置き方も知っている。二十年、それで守ってきた。
彼にしかできないことは、ある。でも、今じゃない。
「あとで、お願いします」
二つ目の聖典を開いた。新しい街を作るときの話の中に、紋様の並びの図があった。四十四のうち、手前の二十二までが外周の系統にあたるらしい。十一の系統に、受け取る量と、次へ送る量で二つずつだ。
図と壁を突き合わせながら、箱の左隣から順に手を当てていく。外側から内側へ。三つ目で、北が出た。
外周防衛結界:異常
稼働系統:7
脱落系統:4
継続時間:23時間51分
増えても減ってもいない。
まだ七つある。七つあるうちにやらなければ、六つになる。
「先に、生きている七つを全部切り離します」
「七つとも、ですか」
「はい。次に、動いていない四つへの供給を止めます」
「順が、逆では」
「逆にすると、動いている側まで巻き込みます。聖典に、そう書いてあります」
コンラート司祭は頷いた。
頷きのあと、もう一つ訊かれた。
「切り離しているあいだは、どうなりますか」
「七つとも動いています。ただ、継ぎ目が重ならなくなります」
「重なり、ですか」
「隣り合った系統が、少しずつ覆い合っています。だから、いまは隙間がありません」
「切り離すと」
「継ぎ目が七箇所、同時に空きます。その隙間から、魔物が入ってくるかもしれません」
「どのくらい」
「分かりません。幅は、たぶん狭いです。遺跡では、指を差し込めるほどでした。ここでも同じかは分かりません」
彼は、それきり何も言わなかった。
生きている七つを切り離した。
紋様に手を当てて、一つずつ切っていく。
切るのは、隣への問い合わせだ。そちらはどこから受け持ちますか、と尋ねて、返ってきた答えの少し先まで端を伸ばす。それで継ぎ目が埋まっている。
尋ねるのをやめれば、伸ばす先が決まらない。七つとも、自分の受け持ちのぶんで止まる。
隣が落ちている系統は、問い合わせの途中で止まっていた。尋ねて、答えを待ったままになっている。それを止めるのが、この手順の目的だった。
次に、落ちた四つへの供給を止めた。
こちらは早かった。止めた瞬間、四つへ流れていた魔力が止まる。紋様の光が、目盛りの上で動いた。
順番が逆だったら、と考えて、やめた。考えなくていい。書いてある。
ラウルさんが、木箱を抱えて入ってきた。中に石が一つ、布に包んである。
「これが予備の石です」
「ありがとうございます。お願いします」
コンラート司祭とラウルさんが箱の前へ移った。留め具を外して、蓋を開ける。片方が支えて、片方が外す。石を挟むように両側から支えて、傾けずに運んだ。
「新たな灯を、隣へ」
「隣へ」
石を左の空いている方の窪みへ置いて、二人で頭を下げた。
三年ごとに、この人たちがやっていることだ。手順は、そのままだった。
違うのは、そのあとだ。二人とも、右の石へ手を伸ばさなかった。
二つとも、埋まったままになる。
俺は息を吐いた。
「三つ目まで、終わりました」
「はい」
「あとは、切替器です」
壁から手を離した。
離してすぐ、床が近くなった。膝はついていない。ついていないが、目の高さが下がっていた。
「サガラさん」
「大丈夫です」
外で音がした。さっきより近い。
戸口の方から足音がして、若い守備隊員が入ってきた。膝から下が泥で黒い。息が上がったまま喋る。
「北の線を、一つ下げました。荷車を並べ直しています」
「西は」
「動いておりません」
それだけ言って、走って出ていった。
* * *
リタさんが着いたのは、それから一時間ほど後だった。
外套の肩に雪を乗せたまま、部屋へ入ってきた。腕に工具の袋を抱えている。トモが足元にいた。
「どれだ」
「そこです。紋様の列の、途中に」
挨拶はなかった。俺もしなかった。
紋様を辿った先に、腰までの高さの台がある。そこだけ紋様ではない。
彼女は把手を握って、両手で引いて、それから膝をついて金属の枠を覗き込んだ。灯りはラウルさんが持った。
「軸が焼き付いてる。錆じゃない。動かないまま固まったやつだ」
「作れますか」
「同じものは無理だ。この形は削り出せん」
「同じでなくて構いません。何をするものかを言います」
「言え」
「上がっている方の把手を倒すと、中で軸が回って、区画ごとの結界へ魔力が行くようになります。倒したあと、戻らないでいてくれれば足ります」
「戻らなきゃいいのか」
「はい。一度倒れて、そのまま止まっていれば」
彼女は少しのあいだ、枠の中を見ていた。
「なら、回すのをやめる」
「……は」
「回すから焼き付くんだ。押して、噛ませて、そこで止める。戻す仕掛けは要らんのだろ」
「要りません」
「なら簡単だ」
彼女は鑢と金具を床に並べ始めた。
何をするものかは分かる。作れない。作れる人には、何をするものかが分からない。半年前、区画一つを暖めるときも同じだった。あのときは箱一つで、いまは街一つだ。
リタさんが床に座り込む。俺を見上げた。
「あんた、顔が」
「知っています」
「知ってて言ってんのか」
答えなかった。答える言葉が出てこなかった。
彼女は舌打ちをして、それきり手元だけを見た。
削る音が始まった。
壁へ戻って、手をついた。内側の結界を組み立てる前に、七つの状態を確かめておかなければならない。切り離したあと、そのまま置いてある。置いてあるあいだに何が起きているかは、見なければ分からない。
稼働系統:7
境界重複:なし
重なりは無い。
当たり前だった。切り離したのだから、七つは七つで別々に立っている。戻して初めて重なる。
それでも七つ、動いている。減っていない。
その小さな安心のために、いま読んだ。目の奥が痛む。
(あと何回だ)
数えようとして、やめた。数えたところで、減らせない。
二度目の伝令は、削る音が始まってしばらくしてから来た。
同じ隊員だった。膝から下が、来たときより黒い。
「北の線をまた下げました。西へ回られないよう、抑えています」
「西」
「三隊が入りました」
言い終わる前に、もう戸口の方を向いていた。
* * *
三度目に入ってきたのは、別の人だった。
「交代しました」
訊く前に、そう言われた。
交代の理由は言われなかったし、俺も訊かなかった。
「西へはまだ入られていません」
それだけ言って、走って出ていった。
「シュウ」
リタさんの声だった。台の脇に、金具が置いてある。荒い。磨いてもいない。
「入るぞ」
「では、入れます」
枠へ収めるのは彼女で、繋ぐのが俺だった。
手を当てる。
待機状態:正常
駆動部:正常
二行目が、変わっていた。
把手を握って、押した。両手で押した。それから体重を乗せた。
動かない。
リタさんが横から手を添えた。二人で押すと、倒れた。倒れたまま、戻らなかった。
次は、内側の結界を組み立てる。
どこまでを内側に入れるかは、まだ決めていない。
この街には、区画ごとに結界を動かす仕掛けがある。遺跡は輪が二枚あるだけだが、こちらは繋ぎ合わせて形を作れる。
旧市街の何を繰り返さないようにしたか、と二つ目に書いてあった。石を替えのきく形にしたのと、同じ考えだ。
いくつ動かせるかは、余っている量で決まる。
壁へ手をついた。
供給上限:240
現在:70
石が二つとも繋がったので、上限が倍になった。使っているのは、生きている七つぶん。
半分は外周に残す。いまは七十だが、落ちた系統が戻れば増える。
残りは百二十。図には、区画ひとつに二十とある。
割れば六。余りは出ない。七つ目に回すものがない。
ただ、作れる形には条件がある。
「六区画です。それ以上は届きません」
コンラート司祭が、目を伏せた。
「……六つ」
「はい。ただ、どれでもいいわけではありません。隣り合っていないと、輪になりません」
「……輪に」
「途中が開いていれば、そこから入られます。六つは、繋がっている六つです」
そこで一度、区切った。
「決め方が書いてあります。人の少ない側を、外に置く、と」
彼は、そこで初めてこちらを見た。
「今夜の数で、よろしいのですか」
「今夜の数です。五百年前の数ではありません」
「書いた者は、そのつもりで」
「そのつもりで書いています。だから、決め方だけを残したんです」
彼は目を閉じた。開くまでに、十は数えた。
「すでに入られている北の二区画。それから西と、北西を外に置きます」
「理由を」
「西には、いま人がおりません。南門へ移しました。じきに街道へ出ます」
「北西は」
「職人街です。炉を落とした家から順に、街道へ出ております。今日で、ほとんど」
「繋がりますか」
「繋がります。東から回って、六つで閉じます」
リタさんの実家が、そこにある。
言うべきかを、一瞬だけ考えた。
言っても決め方は変わらない。人の少ない側から、と書いてある。少ないのは、あの人たちが出ていったからだ。
基準は正しい。正しいから、あそこが外に出る。
組み立ては、思っていたより長かった。
六つを一つずつ動かして、そのたびに隣との重なりを確かめる。一つ動かすごとに読む。読まずに次へ行けば、どこかで隙間が空いたまま組み上がる。
三つ目で、同じ紋様を二度読んだ。二度目を読んでから、今読んだところだと気づいた。
四つ目のとき、指が滑った。壁に当てているだけの手が、滑るはずがない。
「サガラさん。少し、お休みを」
「止まると、六つとも止まります」
自分の声が、遠く聞こえた。
「止まったところから、また始めることはできません。途中まで動かしたものは、輪にならないまま残ります」
言いながら、六つ目に手を当てた。
コンラート司祭が、俺の背中に手を添えた。支えられているのだと、しばらく経ってから気づいた。
第二防衛線:6
境界重複:あり
重なった。
膜が、六つぶん繋がった。
「最後です」
最後に、切り離した七つを繋ぎ直した。
切り離したときと逆に、隣へ尋ねるのを戻していく。返事が来れば、端がまた伸びる。返事がなければ、待つままなのは変わらない。
外周防衛結界:異常
第二防衛線:正常
外周は異常のままだ。四つは戻らない。抜けたぶんを、内側が受ける。
形だけは、遺跡と同じになった。あそこでは半年かけて自分で辿り着いた。ここでは、五百年前の紙に書いてあった。
窓の外が、少し明るい。
壁から手を離した。離したところまでは、覚えている。
* * *
宿舎の、右から三つ目の部屋だった。三度目だ。
窓が明るい。外は静かだった。
「三日、経っております」
声の方を見た。コンラート司祭が椅子に座っている。膝に記録帳があった。
「魔物は」
「昨日の昼を最後に、来ていないそうです。守備隊が残りを片づけております」
「結界は」
「動いております。外周が減らして、抜けたぶんを内側が止めております」
「リタさんは」
「昨日、遺跡へお戻りになりました」
彼は記録帳を開いて、こちらへ向けた。
日付。名前。印。その横に、数が三つずつ並んでいる。
「毎朝、読みました。幅ごと見るように、と教わりましたので」
三日とも、同じところに収まっていた。
俺は読んでいない。読める人が、読んでいた。
扉の脇の椅子で、フィーネさんが眠っていた。鎧のままだ。
三回目だ。起きたら、たぶん怒られる。




