↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
51/51

51:ニコです

 フィーネさんが目を開けたのは、それからしばらくしてからだった。

 鎧のまま眠っていたので、起き上がるときに肩が鳴った。

 彼女は何度か瞬きをして、それから俺の顔をじっと見た。


「起きてる」

「はい」

「三日寝てたって」

「そう聞きました」


 彼女は椅子に座り直した。

 指は立たなかった。

 手の甲が汚れている。切れているのは指の付け根で、埃と混ざって黒くなっていた。半年前にも、同じところを見た。


「怒らないんですか」

「怒るよ。あとで」

「……はい」

「いま怒っても、シュウさん、聞いてないでしょ」


 そのとおりだったので、黙った。


 窓の外で、荷車の音がしていた。壊れた家の材木を運んでいるのだろう。三日前まで、この音は無かった。

 彼女は膝の上で手を組んで、しばらくそのままでいた。


「西でね、二日目の夜に、感じたの」

「はい」

「すぐそこ。二本先の通り」

「はい」

「走った。着いたら、もう終わってた」


 彼女は膝の上で、指を組み直した。


「うちの若い子が、下敷きになってて。でも、別の隊が入ってて、荷車をどけてた」

「はい」

「わたし、いらなかった」


 言葉が途中で止まった。止まってから、続いた。


「あの隊、三日前にわたしが置いたんだ。紙に線を引いて、こことここ、って」


 彼女は、そこで初めて手のひらを見た。

 黒くなった指の付け根を、もう片方の手で押さえている。


 俺は何も言わなかった。


「あのね、シュウさん」

「はい」

「わたしが分かるの、すぐそこだけなんだよ。二本先とか、そのくらい」

「はい」

「あの夜、街には何百人もいた。わたしが分からない場所の方が、ずっと多い」

「……はい」

「そっちも、助かってた」


 彼女はそこで、初めて笑った。疲れた笑い方だった。


「わたし、ずっと自分が行かなきゃって思ってた。家訓だから」

「一人も見捨てるなって、言ってましたね」

「うん。……でも、あれ、わたしが行けって意味じゃないのかも。誰かが行けばいいんだ。行ける形にしておけば」

「はい」

「だから、そういうのを作る。走るのは、そのあとでいい」

「遺跡には、来ないんですか」

「行かないよ。ここでやる」

「はい」

「シュウさんが向こうを直したみたいに、わたしはこっちを良くするから」


 半年前、崩れた家の前で、この人には三人が同時に分かった。一人しかいないので、順番をつけた。

 あのときできなかったことを、今度は仕組みの側でやろうとしている。


「シュウさんと同じだよ」

「私は、直しただけです」

「ほら、それ」


 彼女は少し身を乗り出した。


「シュウさんもでしょ。壊れてるもの、放っておけないんだから」


 彼女の緑の瞳が、俺の顔を覗き込んでいた。


 * * *


 落ちていた四つを戻したのは、それから三日かけてだった。

 供給を止めて、原因を辿って、繋ぎ直す。一つ目に二日かかって、残りの三つは半日ずつで済んだ。壊れ方が同じだったからだ。

 五百年、誰も辿らなかった経路が、五百年ぶんの理由でそうなっていた。書き取ったのはラウルさんで、紙は教会に置いた。


   外周防衛結界:正常

   稼働系統:11

   境界重複:あり


 全部戻った。

 それから、聖典をもう一度開かせてもらった。今度は急いでいない。


 三つ目の手順書の脇に、あの書き足しがある。日付と、名前。

 ヴェルナー。

 一つ目まで遡って、日付の並びを追った。旧市街の記録の最後の方に、同じ字がある。指示を出す側の字だ。それが途中で止まって、二つ目の、新しい街を作る話の中でまた出てくる。

 間に、空白がある。


「ニコに訊いたことがあります」


 コンラート司祭が顔を上げた。


「あちらの管理者は、記録には残っているのに、登録が消えていました。理由は上位の権限が要るので、私には読めません」

「では、こちらには」

「書いてあります」


 規定どおりだった。

 避難に際して、管理者は権限を返上する。返上した。そこまでは正しい。

 次の者を登録する前に、都市が放棄された。


「やっぱり、引き継ぎ失敗か」


 声に出してから、こちらの言葉ではなかったことに気づいた。

 コンラート司祭が何かと訊いたので、言い直した。


「渡す人はいました。受け取る人が、決まらないうちに終わったんです」

「……それだけ、ですか」

「それだけです」


 五百年、正式な管理者が不在だった理由がこれだ。

 誰も裏切っていない。誰も怠けていない。手続きが途中で止まって、そのまま誰も戻らなかった。

 俺に出たのが仮の管理者だったのも、同じ理由だった。空いていたから、埋まった。それだけのことだ。

 選ばれてはいない。

 少しだけ、ほっとした。

 選ばれていたのなら、なぜ自分なのかを説明できなければならない。説明のつかないものを、半年背負ってきたことになる。

 空いていたから埋まった、なら、次に誰かが来たときに渡せる。渡せるものを持っている方が、俺には楽だった。


 * * *


 街を出る前に、いくつか寄った。

 飯屋は板が外れていた。中は暗いままだが、火鉢が出ていなかった。

 代わりに、奥のテーブルに見覚えのある金物が置いてあった。摘まみのついた、手のひら二つ分ほどの箱。椅子は、今度は奥のテーブルに寄っていた。

 誰が作ったものかは、たぶん誰も気にしていない。


 教会の中枢部屋では、ラウルさんが若い人を三人連れて壁の前に立っていた。


「箱の左隣からです。外側から内側へ」

「なぜそこからですか」

「大元に近い方から見るためです。先に入る量を見て、それから出る量を見ます」


 答えたのは、ラウルさんではなかった。もっと若い声だった。

 コンラート司祭は、少し離れたところで記録帳を開いている。いつもどおり、法衣は上まできっちり止まって、隙がない。

 何も言わずに、何かを書いている。

 俺もそうだ。何も言う必要が無かった。


 守備隊の詰所には、紙が貼ってあった。

 街の形が炭で描いてある。門が四つ、番号が振ってある。前に見たときより線が増えて、左の端に遺跡が足してあった。街道が一本、その二つを繋いでいる。

 誰かが図の前で言った。


「こうして見ると、もう別の街って感じじゃないよな」


 別の誰かが、紙の束をめくっていた。


「遺跡は、結界が止まらなかったらしいな」

「二百人入れて、一晩な」

「要塞だろ、それ」


 あの夜の伝令を探した。いなかった。

 訊くと、二度目に教会へ来たあと、肩をやられて下がったのだという。命に別状はない、と言われた。

 三度目に別の人が入ってきた理由が、これだ。

 家にいるというので、見舞いに向かった。

 話はできた。肩が戻るかは分からないと言っていた。

 名前を訊いた。それしか、できなかった。


 職人街の奥に、炉が一つだけの工房がある。

 粗悪品が出回ったとき、話を聞いてその場で回収を決めた親方の店だ。肩が厚くて、若い弟子が二人いた。

 行ってみると、炉が二つ点いていた。積み直したらしい。弟子は三人になっている。リタさんが床に金具を並べて、その真ん中にいた。

 彼女は喋りながら、ずり落ちそうなゴーグルを片手で元の位置に戻した。


「型は写せばいい。だが、なんでこの厚みなのかは、写せねえ」

「……はい」

「だから訊け。作ったやつに訊け」

「作ったやつが、いなくなったら」

「そのときのために、理由を書いとくんだよ」


 彼女は俺に気づいたが、手は止めなかった。顎で戸口の方を示された。行け、ということらしい。

 俺は頭を下げて、外へ出た。


 街道へ出て、一度だけ振り返った。

 端から目で追った。どこも途切れていない。半年前に初めて見上げたときと、同じ形だ。


 歩きながら、考えていた。

 紋様を読む人がいる。図を描く人がいる。厚みの理由を訊けと言う人がいる。どれも俺がいなくても続く。

 半年前、読めるのも、気づけるのも、俺だけだった。読んだところで、言う先が無かった。手順書に無いと言われ、前例がないと言われた。

 いまも、俺にしか読めないものはある。ただ、読んだあとに何をするかを知っている人が、この街に何人もいる。

 要塞だ、と言われた。

 そんなものを作ろうと思ったことは、一度もない。住むところが無かったので直して、人が来たので受け入れて、足りないものを作っただけだ。

 それでも、こうなった。


 * * *


 遺跡の食堂は、朝の音がしていた。

 半年前、ここは廊下の奥の空き部屋だった。埃と、水の出ない口と、点かない灯りがあった。水だけ出るようにして、自分の部屋で一人、保存食をかじっていた。

 エマさんが鍋を掻き回している。ハンスくんとレニくんが器を運んで、途中でぶつかって、ヨナスさんに笑われていた。この部屋の顔ぶれは、変わっていない。

 通りの向こうの棟からも、同じ音がしている。

 九人だったのが、いま何人なのかを俺は数えていない。数えているのはニコで、朝に棟ごとの数を読み上げる。あとは、棟ごとに鍋の数になる。

 端に座って、出されたものを食べた。味は毎朝同じだ。同じであることが、たぶん一番の成果だった。


 誰かが、三階の灯りが一つ点かないと言った。

 俺が顔を上げるより先に、ヤンさんが立ち上がった。東側だろ、と言って、道具を取りに行く。

 そういう順番になっている。


 食べ終えると器を片付けて、通りへ出た。

 トモが足元を抜けていく。追いかけている子がいた。街から来た子だ。名前はまだ知らない。


 その子が、通りの先で止まった。

 ニコが立っていた。いつからいたのかは、もう訊かないことにしている。


「あなたは?」


 子供が訊いた。

 ニコは少しのあいだ、動かなかった。考える、というのが彼女の機能にあるのかは、いまも分からない。ただ、考え込んでいるような長さだった。


 それから、首を傾けた。青い髪が、揺れた。


「ニコです」


最後まで読んでくださってありがとうございます。

ブックマーク、評価などいただけると、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。