47:俺が直したいんです
話が終わって、二時間もしないうちに、南門の前に列ができた。
守備隊が名前を書き取って、番号を渡す。番号は紙の切れ端に書いてあって、遺跡の門でそれを見せることになっている。半年前に決めた形が、そのまま使われていた。
俺は列の横に立って、訊かれたことに答えた。灯りは点くのか。水は出るのか。火は使っていいのか。
同じことを何十回も答えた。答えられないことは、二つあった。いつまでいられるのか。戻ってこられるのか。
子供を負ぶった人が、荷を三つ持とうとして、一つ置いていった。
置いていったのは鍋だった。荷車には積めない、と言われたらしい。通りの端に、そういうものが並び始めていた。桶、石臼、板を打ちつけた箱。壊れているものは一つもない。運べないだけだ。
日が傾くころ、ディーターさんが来て、紙を一枚見せた。
「まずは北西の区画、百八十人。終われば次は西の区画、三百人です」
「はい」
「街道は、いまなら守れます。西側へ回り込まれたら、移動を一度止めます」
「……西側」
「西から南に来る可能性があります。そうすれば街道まですぐです。守れないところへは出せません」
それだけ言って、彼は紙をおろした。
「サガラさんも、そろそろ向こうへ戻っていただいた方がよいのでは」
そのとおりだった。
受け入れは俺の管轄だ。ニコもリタさんもいるが、灯りと水を通せるのは俺だけで、それをやらないかぎり、向こうに住める人数は増えない。
やることは決まっていた。決まっているのに、足が動かなかった。
「……もう少し、こちらにいます」
「そうですか」
彼はそれ以上訊かなかった。
入れ替わりのように、足元にトモが来た。
紙を落として、その上に座った。座られると取れないので、どかしてから開いた。
『こっちは回ってる。エマさんが仕切ってる。あんたはいつ戻る』
今すぐに、トモを抱えて戻ることもできる。
それでも俺は、動き出せなかった。
返事も出せなかった。何を書けばいいかが分からなかった。
トモを抱え上げた。重い。
「もう少し、待ってください」
言っても届かないことは分かっていた。
トモが「にゃあ」と鳴いた。
* * *
トモを抱えたまま、南門から離れる方へ歩いた。
人はみんな門へ向かっているので、逆に歩いているのは俺だけだった。何度か肩がぶつかって、そのたびに謝った。
二本入った通りの、軒の低い店は閉まっていた。
戸に板が打ちつけてある。中は見えない。火鉢のまわりに椅子が寄っていたはずだが、それも見えない。
二十年、同じ味です、とコンラート司祭は言った。俺が食べたのは一度だけだ。次は私が出します、と言って、その次はまだだった。
職人街の奥まで行った。
間口の広い、看板の出ていない工房だ。炉が三つあって、二つはもう火が落ちていた。残る一つの前に、ゲルトさんが立っていた。
クラウスさんが炭を掻き出している。若い職人が二人、道具を布に包んでいた。
「サガラさん」
ゲルトさんが先に気づいた。目つきはやっぱり、リタさんに似ていた。
「娘は」
「向こうにいます。受け入れをやっています」
「そうですか」
それだけ言って、彼は炉を見た。
クラウスさんが手を止めた。
「親父、そろそろだ」
「ああ」
ゲルトさんは、火掻き棒で炉の底を一度だけ均した。それから蓋を閉めた。
音は小さかった。
「祖父の代からです」
「はい」
「三代、落としたことはない」
前に紙を一枚ずつめくっていたときと、喋る速さが同じだった。顔も上げない。
「また点けられますか」
「炉は、冷えると割れる。割れたら積み直しだ」
「……はい」
「積み直せばいい。それだけのことです」
それだけのこと、と言った人の手が、蓋の縁を撫でていた。
俺は頭を下げてから、工房を出た。
冷えると割れる。割れたら積み直す。積み直すには、人と、時間が要る。
この街の炉が全部冷えるまでに、何日かかるのかを考えて、やめた。考える意味がない。俺には積み直せない。
* * *
教会は人でいっぱいだった。
廊下にも中庭にも人が座っていて、奥には毛布が敷き詰めてある。子供の声がしていた。遺跡の廊下でハンスくんが走っていたときと、音が似ていた。
コンラート司祭は、棚のある部屋にいた。ノートが三冊、開いたまま机に積んである。
「サガラさん。まだこちらに」
「はい」
「向こうは」
「昨夜で二十二人。これから、百八十人。次に三百人です」
「……そうですか」
椅子を勧められた。座らなかった。座ると、たぶん出られなくなる。
「ヨハンナ司教からは」
「まだお答えがありません」
「そうですか」
訊きたいことは、それではなかった。
言うことは、詰所を出たときから決まっていた。
「コンラート司祭」
「はい」
「街の結界を、私に見せてもらえませんか」
「見るだけなら、これまでも」
「見るだけではありません。手を入れます」
彼はノートから手を離した。
「直せるのですか」
「分かりません」
正直なところだった。
「切替の方法があることは、分かっています。五百年、一度も動いていないことも。ただ、その先を辿ったことがありません。辿ればどうなるかも、辿った先に何があるかも、私は知りません」
「では、直せるとは言えないと」
「言えません。調べさせてほしい、というだけです」
自分でも、通らない頼み方だと思った。
やろうとしていることに対して、できると言い切れることが少なすぎる。計画にも手順にもなっていない。
言葉を探して俯いたけど、それ以上は何も出てこなかった。
「サガラさん」
呼ばれて、顔を上げる。
「はい」
コンラート司祭は、まっすぐに俺を見ていた。
「なぜです」
技術者としての答えなら、いくつも並べられる。読める人間が俺しかいない。時間がない。数字は既に出ている。どれも本当だった。でも、どれも、俺の言いたいことではなかった。
頭の中は整理がつかないまま、口が動いた。
「街の人が、全部向こうへ移ります」
「はい」
「向こうは、灯りも水もありません。冬です。それでも死なないので、正しい判断だと思います」
「……はい」
「さっき、飯屋の前を通りました。板が打ってありました。リタさんの実家の炉も、落ちました。三代、落としたことがなかったそうです」
結界の話をしているのに、炉の話になっていた。どうしてかは、自分でも分からなかった。
「五百年前に、たぶん同じことがありました。そのとき捨てられた街に、いま私が住んでいます」
「はい」
「五百年経てば、たぶん誰かが直しに来ます。今度はこっちが、直されるのを待つ側になります」
息を吸った。意識はしてなかった。ただ、苦しかった。
「それが嫌なんです」
理屈になっていないと思った。
「直せるかどうかは、まだ分かりません。分からないまま手を出すのが良くないことも、分かっています。それでも」
めちゃくちゃだとも思った。でも、口は止まらなかった。
「俺が直したいんです」
言ってから、気づいた。俺、と言っていた。
私と言うのは、仕事中の癖になっている。直そうと思ったこともない。
息を吐いた。抱えているトモが、重かった。
コンラート司祭は、しばらく何も言わなかった。
それから、ノートを一冊ずつ閉じた。三冊とも閉じてから、立ち上がった。
「上へ参ります」
「……はい」
「サガラさん。私は、二十年分からないまま守ってまいりました」
「はい」
「分からないまま終わらせるのは、気が進みません」
彼は襟元に手をやって、そのまま歩き出した。




