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45/51

45:あっちは自動じゃない

 二日目の夜だった。

 寝入ってすぐに、扉の外でトモが鳴いた。にゃあ、ではなかった。


「警告」


 起き上がると、廊下にニコが立っていた。灯りを背にしているので、金色の目だけが見えた。


「仮管理者。外周の警戒値が、超えたまま戻りません」

「数えていますか」

「十七。十八」


 上着を引っ掛けて、部屋を出た。ニコが後ろからついてくる。

 通りへ出たところで、彼女が言った。


「二十。内周防衛結界を動かします」


 足が止まった。

 通りの先、屋根の列の向こうに、半透明の膜が立ち上がっていく。下から順に上がって、旧市街をぐるりと囲んだ。上がるあいだ、雪の上を薄い色が滑っていった。

 待機にしたのは俺だが、条件で動くところを見るのは初めてだった。

 試験のときは、俺が動かせと言った。今夜は、言っていない。


 管理棟へ走った。広間に入って、中枢の壁へ手をつく。


   外周防衛結界:正常

   内周防衛結界:正常

   警戒値超過:継続中

   継続時間:1分


 一分。

 二日前、街で読んだのは四分だった。あれは長いものの記録で、しかも戻っている。

 今はそれが戻らない。


   継続時間:3分

   継続時間:7分


 数字が伸びていくのを、手を当てたまま見ていた。

 外周は正常のままだ。壊れてはいない。壊れてはいないが、来ている魔物が減らない。


「仮管理者。外周の処理が追いつきません」

「追いつかない、というのは」

「一度に来た魔物が、処理できる数を超えました。超えたぶんは、そのまま通ります」


 表示が一行増えていた。


   外周通過:14


 十四。

 止まってもいないし、穴が空いたわけでもない。間に合わなかったぶんが、そのまま内側へ入ってくる。

 警戒値は、危ない線そのものではない。その手前に引いてある線だ。この半年、遺跡でも何度も超えていて、入られたことは一度もない。

 今夜は、入ってきている。

 街なら、入り込んだものは守備隊が片づけるのだろう。ここには、それをやる人がいない。九人と、戦わない端末が二つだ。


「通ったものは、緩衝帯に入りました」

「内周は」

「正常です」


 窓の外で、通りに灯りが動いた。

 ヨナスさんが桶を提げて走っていく。その後ろをヤンさんとテオさん。エマさんが子供二人を連れて、工房区画の方へ歩いていた。ハンスくんが振り返って、こちらの窓を見た。最後にダグさんとリタさんがいた。

 誰も叫んでいなかった。夕方に決めた順で動いている。灯りを点ける場所も、列を作る場所も、二日前に紙へ書いてある。

 俺がいま管理棟にいることは、たぶん誰も気にしていない。


 手のひらの下で、字が増えた。


   外周防衛結界:正常

   内周防衛結界:正常

   外周通過:31

   内周通過:0


「仮管理者。緩衝帯の魔物は、内周防衛結界で止まっています」

「……保(も)ってる」


 声が出てから、自分が言ったのだと分かった。

 外周は動いていた。動いたまま、間に合わないぶんだけを通している。

 内周も動いている。通ったぶんを、そこで止めている。

 俺がやったのは、仕様どおりに直して、待機にしたことだけだ。それがいま、魔物を止めている。


 しばらく、何もしなかった。

 することが無かった。俺が何もしなくても、全部動いていた。

 俺がいまできることは、数を見ることだけだった。

 いつのまにか、ニコの足元にトモが来ていた。丸くなって、動かない。


 * * *


 リタさんが入ってきた。前掛けのままで、片手に灯りを持っている。

 管理棟の中は明るい。それで彼女は灯りを消した。


「どうなってる」

「何匹かは外周を抜けました。それも内周で止まっています」

「内周ってのは、あの空き地の手前の二枚目か」

「はい」

「じゃあ、抜けてきたのは、あの空き地にいるわけか」

「はい」

「あそこ、なんで空いてるんだ」

「五百年前の設計です」

「ふうん」


 彼女は窓の外を見た。何も見えない。膜は音を立てない。


「何匹きてる」

「外に何匹来ているかは、深く読めば推測できます。ただ、そこまで読むと、私は動けなくなります」

「やめとけ」

「はい。分かったところで、やることは変わりません」

「抜けたのは」

「さっきで三十一。内周が止めています」

「増えるのか」

「増えます。外に来ている数が減らないかぎり」


 それから、言っておくべきことを思い出した。


「石は減ります。二枚動かしているので、二枚ぶん」

「どのくらい保つ」


 頭の中で、地下にある巨大な魔石を思い出した。あれを見たときのリタさんの顔も。


「分かりません」

「そればっかりだな」

「……すみません」


 言いながら、頭の別のところが動いていた。

 二日前に読んだ数のことだ。街の外周は、四分で戻っていた。戻ったから記録になった。戻らなかったらどうなるのかは、あの表示に書いていない。

 こっちは二十数えて、勝手に二枚目が動いた。

 あっちは――。


「リタさん」

「なんだ」

「街の結界にも、同じ警戒値があります」


 彼女は少しだけ目を細めた。

 構わずに、俺は言葉を続ける。


「同じ荒野に面してますから、同じものが来ています。数は、あっちの方が多いくらいでした」

「じゃあ、向こうも内周を動かしてんだろ」

「動きません。あっちは自動じゃない」

「は」

「切り替えるのは人です。手順を踏んで、誰かがやることになっています」

「じゃあ、やってんだろ」

「その手順が、教会に無いんです」

「無い」

「冬の初めに訊きました。手順書に載っているのは、朝の目覚めの祈りと、灯火の継承の二つだけだそうです」

「切り替えるやつは」

「載っていません。記録の方も、五百年、一度も切り替えた跡がありません」


 彼女は口を開いて、閉じた。


「今ごろ、同じ数字が出ているはずです。誰も切り替えないまま」


 そして、その数字を見ることができるのは、俺だけだ。


「行きます」


 リタさんは、赤茶色の髪の毛をかき回した。


「一人でか」

「魔物が来ているのは荒野の側で、街道とは反対側です」

「そっちに一匹もいないとは限らんぞ」

「はい」

「そういう話じゃない」

「はい」


 それでも、止まるつもりはなかった。

 彼女も止めなかった。代わりに、丸くなっていたトモを抱え上げて、俺の腕に押しつけた。


「持ってけ。声が切れたら走らせろ」

「……はい」

「何かあれば、呼べ」

「ありがとうございます」


 管理棟を出る。ニコについてきてもらった。

 通りを走りながら、ニコに言った。


「街から人が来たら、一時通行権限を出してください」

「照会は」

「要りません。来た人には、全員出してください」

「条件は」

「南門から居住区まで。機械室と管理区画には入れません。設備の操作もできません。期限は三十日です」

「変更の要請があった場合は」

「断ってください。私が戻るまで、条件は変わりません」

「承知しました」


 自分の部屋に戻って、外套を手にする。

 部屋の隅にあるフィーネさんの上着が目に入る。一瞬、動きを止めてしまった。

 扉を閉めた。

 外套を着ながら、ニコに訊く。


「外周を抜けたものは、どこにいますか」

「内周防衛結界への接触から推測すると、北側の緩衝帯です」

「南門の側は」

「内周防衛結界への接触はありません」


 接触はない。その言葉に賭けるしかなかった。

 灯りは持たなかった。持てば、こちらが見える。


 内周の結界を通り抜けた。抜けた先が、空けてある土地だ。

 膜の色が地面まで届いていて、きれいなままの雪が見えた。魔物はここまで来ていないらしい。

 それでも、外壁に向かって走った。雪を蹴り上げて、転びそうになる。

 二度、壁の方で雪が落ちる音がして、二度とも足を止めた。動かないでいるあいだ、自分の息の音が大きかった。

 外壁の門をくぐるまで、たぶん二百も数えていない。もっと長かった気がした。


 門の外も、雪がきれいなままだった。

 守備隊も、一人もいなかった。これは、前に決めたことだった。

 遺跡の外周防衛は遺跡側で持つ。だから今夜、街の側は誰もこちらへ人を割いていない。

 あの日は、書式の話をしているのだと思っていた。


 * * *


 街道は凍っていた。

 走ると滑るので、端の雪を踏んだ。トモを抱えているので両手が空かない。二日前と同じだ。

 荒野の側から、音が聞こえていた。低くて、途切れなくて、遠い。何の音なのかは分からない。分からないまま、足だけ動かした。

 半年ほど前、俺はこの荒野で丸腰だった。あのときは何も知らなかった。今は少し知っていて、それでも丸腰だ。


 枯れた木を過ぎたところで、腕の中へ声をかけた。


「ニコ」

「はい」

「まだ聞こえますか」

「聞こえています」


 二十歩進んで、もう一度呼んだ。返事はなかった。

 ここから先、トモが自分で言えるのは三つだけだ。危険。警告。異常。

 抱え直して、また歩き出した。


 街の膜は、遠くからでも見える。

 半年前、俺はその外側にいて、これを見上げていた。半透明の薄いものが空へ立ち上がっていて、触れていないのに、そこに何かがあると分かった。

 今夜も、同じように見えた。

 端から目で追っていくと、二箇所、途切れていた。そこだけ何も無い。


 * * *


 南門は閉まっていた。

 壁の上に人がいて、下りてきた一人が松明をこちらへ向けた。守備隊の外套だった。


「名前を」

「相楽修です。古代遺跡から来ました。結界管理官のコンラート司祭に、話があります」

「遺跡は無事か」

「無事です」


 その人は一度だけ振り返って、上へ何か言った。脇の小さな戸が開いた。

 通されるとき、こちらの顔をもう一度見られた。

 その人に訊いた。


「フィーネさん……エルフィーネ分隊長は、どちらに」

「西です」


 それだけだった。二日前にあの紙へ書いた四つの門の、西だ。

 人が走っている。荷車が通りの端に寄せてある。石を積む音がどこかでしている。叫んでいる人はいなかった。

 戸を閉めようとしていたその人を、呼び止めた。


「すみません。紙と、炭はありますか」

「何に使う」

「一行だけ書いてほしいんです。私は字が書けません」


 その人は詰所から紙を一枚持ってきて、炭を舐めてから構えた。俺が言い、その人が書いた。


『街に着いた。外から見て、膜が何箇所か消えている。トモを返す。休ませたら、また寄越してほしい』


 折りたたんで、トモに咥えさせた。


「落とさないでください」


 トモは一度こちらを見上げて、それから戸の隙間から出ていった。雪を蹴る音が、すぐに聞こえなくなった。


「その猫は」

「遺跡とやり取りできます。また来ると思います」


 門の内側で、結界を見上げた。意識を向けると、文字は浮かんだ。


   外周防衛結界:異常

   警戒値超過:継続中

   継続時間:2時間5分

   非常時運用への切替:実行記録なし


 遺跡の外周は、正常のままだった。処理が追いつかないぶんを通していただけだ。

 ここは、異常と出ている。二時間、同じことをやり続けて、追いつかないぶんを抱えきれなくなった側から、膜が消えている。

 最後の一行は、冬の初めと同じだった。二日前とも同じだ。

 通常のまま、二時間五分。

 左手の空で、膜がまた一段、下から消えた。


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