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42/51

42:お前がいなくても

 朝のうちに支度をした。

 街まで一時間。用は一つで、日のあるうちに帰ってこられる。


「ニコ」

「はい、仮管理者」

「今日、街へ出ます。教会に行ってきます」

「承知しました」

「留守のあいだですが、もし何かあったら――」

「記録して、お戻りを待ちます」


 昨日の灯りと同じだ、と思った。

 待たれる。半日でも、一日でも、俺が戻るまで。


「待たなくていいものは、待たないでください」

「判断の基準を」


 すぐには答えられなかった。

 どこまでが待たなくていいもので、どこからが待つものなのか。考えたことがない。考えなくても、俺が全部見ていたからだ。


「……止まったものが暮らしに関わるなら、すぐに。関わらないなら、記録して待ってください」

「暮らしに関わる、の定義を」

「灯り。水。温度。扉。それ以外は待ってください」

「承知しました」


 線は引けた。引けたが、粗い。粗いままでも、渡すしかない。

 少し考えて、付け加えた。


「動いているものが止まったら、リタさんに言ってください」

「リタさんに」

「はい。私が戻るより早いので」

「承知しました」


 それでも、落ち着かなかった。

 街まで一時間。往復で二時間。そのあいだ、俺は遺跡の様子を見れないし、遺跡から何か届くこともない。


「ニコ。留守のあいだ、連絡を取る手段はありますか」

「補助端末を経由すれば、私の声を出せます」

「……初めて聞きました」

「照会がありませんでした」


 足元を見ると、トモがいた。抱えると重い。見た目のわりに、いつも重い。


「では、連れて出ます」

「補助端末は、施設の外でも動作します」

「声は」

「届く範囲であれば、そこから出せます」

「範囲は」

「試したことがありません」


 五百年前も、外へ持ち出す用事が無かったのだろう。


 作業場を覗いて、出かけると言った。


「ああ、行ってこい」


 リタさんは炭で線を引きながら、顔も上げなかった。

 誰も引き留めなかったし、心配もされなかった。しばらく前なら、出る前に見て回るものがいくつもあった。今日は、見なくていい。


 * * *


 街道は踏み固められていた。夜に凍った表面が、冬の薄い日でまだ溶けきっていない。

 トモを抱えていると両手が空かない。転べばトモごと転ぶ。歩幅を狭くした。

 しばらく行ってから、腕の中のトモに声をかけた。


「ニコ」

「はい」


 トモの口が開いて、ニコの声が出た。口はそれきり動かない。喋っているようには見えなかった。


「聞こえますか」

「聞こえています」


 少し歩いて、また呼んだ。返事があった。

 道が下りにかかる手前に、枯れた木が一本ある。そこを過ぎたところで、三度目の返事が無かった。

 二十歩ほど戻ると、また出た。


「ここまでですね」

「はい」


 覚えておく。ここから先は、トモが自分で走ることになる。片道一時間。速くはないが、無いよりはいい。


 教会に着くと、朝の祈りが終わったところだった。

 中庭にいたコンラート司祭は、俺を見ると襟元に手をやって、それから腕の中のトモに目を向けた。

 棚のある部屋へ通された。机と椅子とソファ、記録帳の詰まった壁。座るのは久しぶりだった。

 トモは膝の上で、おとなしく丸くなった。

 それをひと撫でしてから、切り出した。


「紙を書き始めました」

「紙」

「この半年で、私が何をどう変えたか。次に何かあったとき、どこを見るか」


 彼は少し黙って、それから頷いた。


「よいことです」

「それで、お願いがあって来ました。写しを一部、こちらに置かせていただけませんか」

「理由を伺っても」

「あそこで分かっているのが、私一人なので。私が抜けたら、一度に無くなります。ここに置いてあれば、紙だけは残ります」


 コンラート司祭は座り直して、しばらく棚の方を見ていた。


「お預かりはできます。ただ、たぶん、意味がありません」

「……意味」

「うちにも、旧市街から来た書き物がございます」

「はい」

「五百年、棚にあります。字は残っております。何のための手順かは、残りませんでした」


 訊き返さなかった。今日はその話をしに来たのではない。

 コンラート司祭は、視線をこちらに戻した。


「同じ五百年で、朝の祈りは残りました」

「……」

「残ったのは、書いてあったからではありません。毎朝、同じ順で人が動いていたからです。使う者の手元にあるあいだだけ、手順書は意味があります」

「そう……ですね」


 俺は、置く先を間違えていた。

 外に置くのではなく、読む人の側に置くしかない。


「では――」


 俺の言葉を遮るように、コンラート司祭が、指を一本立てた。


「ただ、一つだけ、うちのやり方で使えるものがあります」

「……なんでしょうか」

「毎日読ませることです。意味が分からなくても、読ませる」

「分からなくても、ですか」

「はい。分かる者が現れるまで、形だけでも残ります」


 礼を言って、立ち上がった。


 教会を出たところで、守備隊の巡回とすれ違った。フィーネさんがいた。

 こちらに気づいて、片手を上げて、そのまま行った。


 * * *


 日が傾く前に戻った。

 抱えていたトモを下ろすと、管理棟の方へ走っていった。

 通りは静かで、食堂から鍋の音がしている。いつもと同じ様子に見えた。

 部屋へ荷を置きに行った。


「戻ったか」


 振り返ると、リタさんが戸口にいた。紙の束を抱えている。


「食堂、四日前から夕方だけ寒くなってた」

「夕方だけ、ですか」

「そうだ。もう寒くない」

「直したんですか」

「いや」


 彼女は部屋へ入ってきて、机に紙を広げた。炭を一本、指に挟んだままだ。


「出た時刻を書いた。三日ぶんだ。全部、日が落ちてからだった」

「はい」

「昨日は出なくて、一昨日は出た。違いを探した」

「何が違いましたか」

「鍋だ。エマさんが二つ使う日と、一つの日がある」


 俺は黙って聞いていた。

 四日前から夕方の食堂が寒かったことを、知らなかった。


「最初は温度の仕掛けが悪いと思った。だが朝も昼も何ともない」

「壊れているなら、朝から寒いはずですね」

「そうだ。だから仕掛けじゃない」

「はい」

「鍋が二つの日に、灯りを半分消してみた。寒くならなかった」

「はい」

「灯りを全部点けて、鍋を一つにした。それも寒くならなかった」

「両方揃ったときだけ、寒くなる」

「そうだ」


 彼女はもう一枚出した。ゆうべ俺が口述した紙だった。居住区の供給の割り当てを、この半年でどこへどう振ったか。


「あんたの紙の、四枚目だ。冬の前に、食堂の灯りを煮炊きと同じ線へ足してる」

「……はい。経路が切れたので」

「切れたやつを直したのはあたしだ。あたしは、それがどこの線かは気にしてなかった」


 二人でやった仕事だった。二人ともその場にいて、二人とも忘れていた。


「そのときは足りてた。四日前までは」

「四日前に、何かありましたか」

「鍋が二つになった。弟子どもが遅く戻るんで、エマさんが二つに分けて作ってる」

「……なるほど」

「灯りと煮炊きと温度が、同じ線で一度に動く。夕方は、煮炊きが増える。それで足りない」

「はい」


 そこで、彼女は炭を置いた。


「そこまでだ」

「そこまで」

「原因は分かった。だが、どの線が空いてるかは、あたしには見えない。だから、そこで止めた」


 紙を持って、二人で地下へ下りた。箱に手を当てる。


   供給系統:正常

   供給上限:160

   現在:42


 リタさんは針と紙を見比べていた。

 針はいつも四十前後だ。区画単位では大きく余っている。

 箱から建物へ入る経路のうち、一本を辿った。


   魔力伝達:容量不足


 建物の中で経路が分かれて、食堂の灯りと、煮炊きと、温度が、同じ一本に乗っている。

 リタさんが直した経路は、そのまま空いている。

 どこも壊れていない。

 彼女の言うとおりだった。

 別の経路へ繋ぎ替えれば済む。ただ、いまは食堂が使われている。灯りを止めれば、夕食の途中で暗くなる。

 朝にやることにした。


「リタさん」

「なんだ」

「今日、分かったことがあります。トモは外へ出られます。街道の途中までなら、ニコの声も届きます」

「途中まで、ってのは何だ。距離か」

「たぶん距離です。枯れ木のところで切れて、二十歩ほど戻ったら、また出ました」

「何度やった」

「二度です」

「二度じゃ分からんぞ」


(確かに、そうだ)


 二度なら、たまたまでも起きる。


「次に行くとき、何度か試して書いとけ」

「そうします」

「で、それが何になる」

「切れた先も、トモは自分で走ります。次からは、私を呼べます」

「呼んでどうする。あんたが歩いて帰るあいだに、三枚は書ける」


 彼女は紙を揃えて、俺の方へ差し出した。


「お前がいなくても、ここまでは調べられるようになった」


 返す言葉が出てこなかった。

 嬉しい、で合っている気がする。合っているのに、少し手持ち無沙汰だった。

 俺がいなくても、ここまでは進む。進んだ先で止まっていたのは、どの経路が空いているか、という一点だけだった。


「あたしにできるようになった、って話じゃないぞ」

「……はい」

「順番が分かっただけだ。順番なら、ほかのやつにも教えられる」


 粗悪品が出回ったときと同じだ、と言いかけて、やめた。

 自分にしか作れないものを手放した人が、今度は自分が見つけた順番を、最初から抱えないと言っている。


 * * *


 翌朝、人が入る前に、リタさんと二人で、食堂の灯りを別の経路へ回した。すぐ済んだ。

 変えたことと、なぜ変えたかを、その場でリタさんに書いてもらった。紙がまた増えた。


「シュウさん」


 鍋を運んできたエマさんが、こちらを見ている。


「今夜は、鍋二つでもいいですか」

「はい。もう寒くなりません」

「良かった」


 食堂のテーブルの端に、紙の束が置いてあった。

 ハンスくんが上から順に見ている。読めない字の方がまだ多いはずだが、一枚目の、線を引いたところで指が止まっていた。


「これ、なんの紙?」

「二階の廊下の灯りの話です」

「なんで、灯りの話?」

「灯りが壊れたので、直しました。なぜ壊れたかが、そこに書いてあります」

「ふうん」


 毎日読ませること、とコンラート司祭は言った。意味が分からなくても読ませる。

 昨日の夜にリタさんへ話して、当番の紙と一緒に、朝に一枚ずつ読むことになった。読む人は日替わりで、今日はヨナスさんの番だ。それ以外はまだ決まってない。


 ヨナスさんが束から一枚取って、ハンスくんの隣で読み上げた。二度読み間違えて、二度とも言い直した。


 次に何かあったときは、たぶん誰かが時刻を書く。

 書いたものを、誰かが読む。読んだ人が、また別の誰かに読ませる。

 五百年もたせるのに必要なのは、そういうことらしい。


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