↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/51

41:お前、全部自分でやろうとしてるだろ

 目が覚めたとき、廊下が静かだった。

 子供の足音がしない。桶の音もしない。それで、朝の時間はもう過ぎたのだと分かった。

 昨日は遅くまで眠れなかった。決まらないことを、ずっと考えていた。どれだけ考えても、決まらないものは決まらない。


 食堂へ行くと、鍋はもう下ろしてあった。

 エマさんが布巾を絞っていて、俺を見て、それから壁際を指した。器が一つ、湯を張った桶に浮かせてある。


「取っておきました」

「……すみません」

「いいえ」


 食べながら、外の音を聞いた。

 通りで子供の声がする。ハンスくんが「三十九」と数を言って、レニくんが同じ数を繰り返していた。今日の当番はハンスくんだったはずだ。地下へ下りて針を読み、数をニコに言って、もう終わっている。それでも言い足りないらしい。

 食堂を見回す。水は出ている。灯りも点いている。廊下は掃いてあって、建物の空気は暖かい。

 俺が寝ているあいだ、この街は普通に動いていた。

 一人で住んでいたころは、俺が寝込めば何もかも止まっていた。止まっても、困るのは俺だけだった。


 器を水場へ置いて食堂を出ると、廊下にヨナスさんが立っていた。


「シュウさん、起きたか」

「はい。遅くなりました」

「いや、いいんだ。急ぎじゃない」


 彼は少し言いにくそうにした。


「二階の廊下、灯りがいくつか点かなくてな」

「いつからですか」

「朝いちばんだ。明るいから困ってない」


 もう昼を過ぎている。


「見てもらおうと思って、待ってた」

「触ってみましたか」

「触っていいのか、分からんかった」


 二人で廊下を歩いた。灯りがいくつか、確かに消えている。

 手を当てた。


   魔力系統:正常

   魔力伝達:停止

   原因:依存関係不整合


 すぐには分からなかった。しばらく辿って、思い出した。

 十五人が街へ戻った日に、廊下の灯りが、いくつか一緒に落ちた。あの日は暗い廊下を子供たちが走っていたので、俺は灯りを、もう人のいない部屋と同じ経路に割り当て直した。一時的な処置のつもりだった。手早く済ませて、それきりだった。

 割り当て直した先が、今度は新しくハンスくんとレニくんの部屋になった。

 昨日、その経路に手を入れた。それが原因だった。

 <デバッグ>で見て、廊下の灯りを別の経路に割り当て直した。それで点いた。

 直すのはすぐだった。思い出すまでの方が、長かった。


「悪いな、こんなことで」

「いえ。元はと言えば私のせいです」

「そうなのか」

「はい」


 ヨナスさんは灯りを見上げて、それから頷いて、階段を下りていった。

 半日、誰も触らなかった。


 * * *


 部屋へ戻って、しばらく座っていた。


 難しくはなかった。原因も直し方も、すぐに分かった。

 ただ、その前で手間取った。冬が来る前に自分がやった応急処置を、自分が忘れていた。

 誰も触らなかったことを責める気はない。ヨナスさんは正しい。触っていいか分からないものに、勝手に触らない方がいい。

 引っかかっているのは、そこではなかった。

 あの灯りがなぜ消えたのかを辿れる人が、この街に俺しかいない。


 数え始めたら、止まらなかった。

 どの区画がどの経路から魔力を引いているか。この半年近くの間、何をどこまで変えたか。なぜそう変えたか。冬に止めてはいけない順番。内周の結界を動かす条件が、警戒値を超えて二十数えるあいだ戻らなかったとき、であること。地下の針が、どの数になったら何をすればいいのか。

 ニコは記録を持っている。持っているが、訊かれないと出さない。

 何をどう訊けば出てくるかを知っているのも、俺だけだ。


 元の世界に、こういう数え方があった。

 この人が明日いなくなったら、仕事は何日止まるか。何人抜けたら、完全に止まるか。


(バス係数、と言っていたな)


 担当が明日バスに轢かれる前提で数えるから、そう呼ぶらしい。物騒な名前だ。教わったときは笑っていた。

 今は笑えない。この街のバス係数は、一だ。


 この世界にバスは走っていない。

 それでも五百年前には、戻らなかった人が一人いる。


 昨日、俺は閉じた輪を見たばかりだった。最後の一人が抜けたら、二度と増やせない作り。

 同じことを、俺がやっている。

 規模はまるで違う。九人と、千人だ。それでも形は同じだった。


 教会は、意味を失っても手順を残した。だから五百年、結界が生きている。

 俺が残したのは、変えたことの記録だけだった。どこを、どう見て、どう辿るか。手順の方は一行もない。頭の中にある。頭の中は、誰にも読めない。


 怖い、というのが正しかった。


 ずっと、この街のどこかが壊れることを心配してきた。

 壊れるのは、一つずつだ。一つずつなら、直せる。

 俺が抜けたら、一度に全部が直せなくなる。


 * * *


 夕方、フィーネさんが来た。鎧のままだ。

 食堂のいちばん手前の椅子に座った。荷物から書類の束を出してテーブルに置いた。

 エマさんが器を出したが、口をつけなかった。


「今日は、街から三つ持ってきた」

「三つ」

「ギルドから一つ、教会から一つ、隊から一つ。全部、こっちに訊いてくれって言われて」


 順番に見た。どれも急ぐ話ではなかった。伝令でも届くし、二つは街の側で片づく話だった。片づけずに、こちらへ持ってきている。


「フィーネさんが来なくても、これは届きます」

「うん」

「はい」

「でも、わたしが行った方が早いから」


 リタさんが食堂へ来たのは、そのすぐあとだった。前掛けに煤がついたままだ。

 テーブルの上のものを見て、それからフィーネさんを見た。


「フィーネ」

「ん」

「お前、いつ寝てる」

「寝てるよ」

「いつ」


 フィーネさんは答えなかった。

 リタさんは椅子を引いて、逆向きに座った。


「お前、全部自分でやろうとしてるだろ」


 フィーネさんが口を開いて、閉じた。


「……そんなことないよ」

「あるだろ。昔からだ」

「昔の話でしょ」

「昨日の話だ。夜中まで街に戻らなかっただろ」

「……壁沿いに一周してから帰っただけだよ」

「そこを回るのは、お前の受け持ちじゃないだろ」

「ついでだよ」

「街まで一時間あるぞ。ついでにはならん」


 はじめて聞く話だった。

 結界の内側は、こちらの持ち分だ。この前、あのテーブルでそう決めた。決めた側が寝ているあいだに、決めていない人が夜中に歩いていた。

 フィーネさんは、自分の受け持ちでないところまで歩いている。俺は、今日の昼に数えあげたものを、誰にも渡さないまま持っている。

 言われているのは彼女だ。それなのに、俺の手は器を抱えたまま止まっていた。


 リタさんがこちらを見た。


「おい」

「はい」

「お前もだぞ」

「……はい」

「本当に分かってるんだろうな」


 分かっている、とは言えなかった。

 フィーネさんも、それきり何も言わなかった。

 しばらくして立ち上がって、「明日も来るね」と言って帰っていった。


 部屋へ戻って、隅に置かれたフィーネさんの私物を眺めた。

 置いていった上着。髪紐が何本か。鞘を手入れしていた布。傷薬。

 今日も保留のままにした。


 * * *


 その夜、作業場へ行った。

 台の上は片付いていて、工具箱が壁際に寄せてある。


「なんだ」

「書いてほしいものがあります」

「今からか」

「はい」


 リタさんは紙と炭を出して、座った。


「何を書く」

「この街で、私が変えたことを、全部です」


 炭を持ったまま、彼女はこちらを見上げた。


「全部か」

「はい。何を、いつ、なぜ変えたか。それから、次に何かあったとき、どこを見るか」

「変えたやつは、ニコに記録させてるだろ」

「記録させています」

「じゃあ足りてるじゃないか」

「ニコは、訊かないと出てきません」

「訊けばいい」

「何をどう訊くかを知っている人が、要ります」


 言ってから、それが全部だと思った。

 ニコは正しく持っている。正しく持っていて、正しく黙っている。取り出す訊き方を知っているのが俺だけなら、記録があることと無いことの差は、ほとんど無い。


「紙なら、勝手にめくれるってことか」

「はい。それと、ニコは分からないことを書きません」

「量があるぞ」

「あります」

「何日かかる」

「分かりません」


 彼女は紙を一枚めくって、上の端に線を引いた。


「一枚目はなんだ」

「二階の廊下の灯りです」


 思いついたところから、書くことにした。順番を決めると、たぶん途中で嫌になる。

 二枚目の半分ほどで、リタさんが手を止めた。


「これ、あたしが読んで分かるように書くのか」

「はい」

「じゃあ、分からんところは訊くぞ」

「お願いします」

「内周だ。なんで二十数えるまで待つ」

「数はいつも超えるからです。超えたまま戻らないことの方が、いつもと違うので」

「それは分かる。なんで二十だ」

「……」

「十でも三十でもいいだろ」

「……はい」

「なんで二十にした」


 答えられなかった。

 決めたのは俺だ。あの日、記録を並べて、短いものと長いものの差を見て、そのあたりだと思って決めた。思っただけで、根拠はない。


「後で調べます」

「そう書いとくぞ。分からん、と」

「はい。そう書いてください」


 この世界の文字が書けないことを、今日ほどありがたいと思ったことはなかった。

 書けていたら、俺はきっと一人で書いていた。一人で書けば誰も訊かないし、分からないことは残らない。


 三枚目で、炭がまた止まった。


「第二系統、なんで北の棟の下にある」

「同じ部屋に本系統と予備を置くと、片方を壊した事故で両方が止まるからです」

「……ああ」

「これは私が決めたことではありません。五百年前の人が、そう置きました」

「じゃあ、そう書く」


 紙が四枚になったところで、その日は終わりにした。

 一枚目の上には、二階の廊下の灯り、と書いてある。その下に、冬の前にやった処置と、昨日それに触れたことと、今日それが出た理由が並んでいた。

 四枚のうち二枚に、分からん、が入っている。


 俺の頭の中では、それは説明の要らないことになっていた。要らないと思っていただけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。