39:ここの人たちは、街の住民なんですか
夕方、いつものようにフィーネさんが来た。
「明日、隊長が来る」
「隊長」
「わたしの上。ディーターさん」
「はい」
「あと、ギルドの人と、教会の人も」
三つ並んで出てきたので、少し考えた。
「同じ日にですか」
「同じ日に。伝えに来たのがわたしなのは、三つとも、わたしのところに来たから」
彼女は少し笑った。
「便利に使われてるんだよ、わたし」
* * *
翌朝は晴れていた。雪はやんでいて、風だけが冷たい。
門の外に、三人立っていた。
法衣の上に外套を着た人。白髪を短く切り揃えている。ヨハンナ司教だった。
その隣に、背の低い人がいる。鎧は着ていない。守備隊の外套だけを羽織って、紙の束を抱えていた。この人がディーターさんだろう。
もう一人は、知っている顔だった。職人ギルドの白髪交じりの人。今日もノートを持っていた。
「フーゴさん、こっち」
フィーネさんが呼んだ。
名前を、俺はこの日まで知らなかった。あの帳面に自分の名前を載せてもらっておいて、相手の名前を訊いていなかった。
「一時通行の許可を出します。少し待ってください」
「こちらから伺ったのですから、待つのが筋でしょう」
ヨハンナ司教が言った。
息が白い。彼女は法衣の裾を風に取られながら、動かずに立っている。
ディーターさんは紙の束を外套の内側へ入れ直した。濡らしたくないものらしい。
門の内側へ入ると、ニコが立っていた。呼んだ覚えはない。
「一時通行権限を発行します。三人です」
「承知しました」
入口の操作盤に手を当てた。
正式管理者:不在
仮管理者:1
一時通行権限:4
四件とも、いま門の外にいる。フィーネさんも、まだ一時通行権限のままだ。
外へ戻って、条件を伝えた。南門から第一居住区まで。設備の操作はできない。管理区画には入れない。期限は二十四時間。
四人が中へ入ってくる。
一時通行権限を出すのは、もう何度目か覚えていない。
* * *
食堂へ通した。
朝の片付けが終わったところで、テーブルは空いていた。エマさんが湯を運んできて、何も訊かずに戻っていった。レニくんが戸口から覗いていた。ハンスくんが、レニくんの襟を引いて連れていった。
ニコはテーブルの横に立った。椅子を勧めても座らないのは、いつものことだ。
トモがテーブルの下で丸くなる。ヨハンナ司教が一度だけそちらを見た。
フーゴさんが先にノートを開いた。
「型の写しを配っている。作りたいと言ってきた工房が七つだ」
「はい」
「作り手を載せる欄がある。所在も載せる」
彼は羽根ペンの先で、空いた行を指した。
「所在は」
「遺跡……いや、旧市街でしょうか」
「……それは、どこの管轄だ」
答えられなかった。
「先に、うちの紙の話をさせてください」
ディーターさんが紙の束をテーブルへ置いた。指にインクの染みがある。洗って落ちなくなったものに見えた。
「守備隊は、街の者を紙で持っています。番号と名前です」
「はい」
「こちらに住んでいる九人が、全員、まだそこに載っています」
彼は紙をこちらへ向けた。番号が縦に並んで、その横に名前が書いてある。エマさんの名前があった。
「……こちらにも、住民登録というものがあります。ニコ」
「はい」
「住民登録を、説明してください」
「住民登録は施設の機能です。登録された者は、居住区画に部屋を持ち、設備を使えます。五百二年前に全件が破棄され、以後は使用されておりませんでした。現在は九人が登録されています」
ディーターさんは、しばらく紙を見ていた。
「同じ九人が、二か所に載っている」
「はい」
「では、どちらが本当ですか」
答えたのは、俺ではなかった。
「三か所です」
ヨハンナ司教が、器に手を添えたまま言った。
「教会にも登録がございます。異世界人の登録が一件。それから、こちらへお移りいただいた被災者の記録が十九件」
「……はい」
「うち十五件は、街へ戻られたときに終わっております。残る四件を、いつ終わりにしてよろしいのか。こちらでは決めかねております」
数えたことがなかった。
俺も含めて同じ人たちの名前が、街の二つの帳面と、この遺跡の一つに、別々に載っている。
「税はどうなる」
フーゴさんが言った。
「売った品の分は、ギルドを通るからうちで数える。だが、住んでいる場所で納める分がある。あれは街に納めるのか、納めんのか」
「……分かりません」
「事故のときは、誰に訊く」
彼はノートを閉じずに続けた。
「この前は、うちが取り持って戻した。次に何かあったとき、訊く先が要る」
「はい」
隣で、ディーターさんが紙を一枚めくった。
「うちも同じです。遺跡で怪我人が出たとき、隊は出るのか。そこも決まっていません」
誰も答えなかった。
湯が冷めていた。
途中から、自分が何を訊かれているのか分からなくなっていた。所在の話をしていたはずが、税になり、事故になり、隊の話になっている。全部が同じ一つのものに繋がっているのは分かる。ただ、その一つが何なのかが分からない。
分からないまま、口に出した。
「ここの人たちは、街の住民なんですか」
その場が静かになった。
「そこではないと思います」
ヨハンナ司教が言った。
「先に、この場所が誰のものかが決まりませんと、その問いは決まりません」
「……はい」
「五百年前にここを捨てたのは、いまの街の者の祖先です。その意味では、街のものだと言えます。一方で、五百年のあいだ誰も入れませんでした。誰も入れないものを誰のものと決める必要が、どこにもございませんでした」
「はい」
「あなたは、どうお考えですか」
少し黙った。
「私は、住むところが無かったので直しました」
ヨハンナ司教は頷いた。
「はい」
「そのあとに人が来て、住み始めました。……それだけです」
「では、あなたが持ち主ですか」
「そう思ったことはありません」
言ってから、これでは答えになっていないと分かった。
誰かが持ち主でなければ、ここにいる九人は宙に浮いたままだ。
ディーターさんがこめかみのあたりを指先でかいた。
「しかし、こちらの責任者はあなたでしょう」
俺は視線を器に落とした。
「私は仮の管理者です」
「……仮」
「はい」
彼はそれを紙に書かなかった。書く欄が無かったのだと思う。
このままでは進まない。
誰のものかは、今日は決まらない。決める人がいないからだ。
なら、決める人が決まるまで、運用だけ先に決めておけばいい。決まらないものを先に決めようとすると、決まるはずのものまで止まる。
原因が分かるまで手を止める、というやり方はしない。分かるまでのあいだ困らない形を先に作って、そのあとで元を直す。
暫定対応だ。
(暫定って、大体そのままになっちゃうんだよな)
それでも、いまは進めた方がいい。
暫定だと分かったまま置いておく分には、困らない。困るのは、暫定だったことを忘れたときだ。
息を吸った。
「決まらないところは、後にしませんか」
三人がこちらを見た。
言葉を続ける。
「明日困ることから決めませんか。誰のものかは、決まってからで構いません」
ディーターさんが、紙の束を手元へ寄せた。
「明日困ること」
「ここには九人住んでいます。その九人が困ったときに、誰が動くのか。それだけ決まれば、明日は回ります」
フーゴさんが羽根ペンを持ち直した。
「欄は作る」
それだけ言って、彼は新しい行を引いた。
「作れば済む」
* * *
決まったことは、多くなかった。
住民登録は街の側に置いたままにする。九人は街の住民で、遺跡の登録は施設の中の名簿として別に持つ。どちらが本当かではなく、どちらを元にするか決めただけだった。教会の収容の記録は、終わりにしてよいことになった。
遺跡の中の暮らしは、俺とニコが見る。治安と、街との間のことは街が持つ。商いはギルドの規約に従う。所在の欄には旧市街と書いて、管轄の欄には街と書く。
欄がもう一つ増えた。訊く先、と読めた。フーゴさんはそこに俺の名前を書いた。管理者ではなく、何かあったときに訊く先だ、と言われた。断る理由が思いつかなかった。
「最後に、防衛です」
ディーターさんが言った。
「遺跡の外周の結界と、中の安全は、そちらで持てますか」
この冬、外周の結界が突破されたときのために、内側にもう一枚用意した。動作試験もした。動かしていないだけで、動かせる。
「できます」
「結界が二枚あるとは、エルフィーネから聞いています」
「はい」
ここまでで街の側が知っていたことは、だいたいフィーネさんから出ていた。九人が住んでいることも、工房が動いていることも、結界が二枚あることも。
誰かが調べに来たわけではない。彼女が両方に出入りしていて、両方で訊かれるので、そのつど答えていたのだと思う。
フィーネさんは何も言わなかった。
「では、うちは遺跡の外と、人の側を持ちます。街道もうちです」
彼は紙にそれを書いた。書きながら、一度だけ手が止まった。
「これは、書けます」
書けるかどうかで決まるらしい。
フィーネさんが、その紙を横から覗き込んでいた。
「今日決まりましたのは、当面のことです」
ヨハンナ司教が立ち上がりながら言った。
「何かが起きたときに、これで足りるとは限りません」
「はい」
「そのときは、また集まりましょう」
門まで送った。
三人が出ると、扉は閉まった。フィーネさんは残らずに、ディーターさんと並んで帰っていく。少し行ってから一度だけ振り返って、手を振った。
テーブルを片付けた。器が六つあって、二つは減っていなかった。ニコは飲まない。俺は口をつけそこねていた。
決まったのは、明日のことだけだった。
誰のものか、は決まらなかった。決めるには、決めることができる人が要る。
仮の管理者です、と言ったのは初めてではない。フィーネさんにも、ダグさんにも同じことを言っている。
あのときは、それで話が終わった。
今日は終わらなかった。終わらないまま、訊く先の欄に俺の名前が残っている。




