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38/51

38:これ、鍵です

 ニコと一緒に第二居住区へ入った。

 名前だけは前に見ている。十三ある居住区の二つ目。用途、居住。

 現時点で生活に使っているのは第一居住区だけだ。それ以外の居住区はどこも五百年前のまま止まっている。

 いま困っているわけじゃない。困っていないうちに、何がどれだけあるのかを調べておくと、後が楽だ。


 供給は止まったままなので、灯りを提げて歩く。

 通りの造りは第一と同じだった。戸を開けて、廊下を覗いて、床が抜けていないかを見る。

 一軒目は床が抜けていた。窓が割れていて、雨が入ったのだろう。二軒目は、見た限りでは無事だった。


 どちらの建物も、開けた扉の内側に、第一居住区では見なかったものが付いていた。

 拳ほどの窪みがあって、中に魔石が一つ嵌まっている。

 外からは触れない。閉めてしまえば、扉ごと内側だ。

 手を当てた。


   認証機構:正常


 五百年経って、まだ動いている。

 こちらが誰かを確かめるだけの仕組みなら、使用量は少ないのだろう。

 第一居住区の建物に、これは無い。同じ都市の中で、区画ごとに考え方が違うらしい。


 他にも違うところはあるかと、入り口付近を眺めてみた。

 戸口の内側に、糊の跡が四角く残っていた。何か貼ってあったらしい。紙の方は無い。


 三軒目の扉は、動かなかった。

 押しても引いても、指一本ぶんも動かない。

 扉の面に手をついた。窪みは中だ。手は届かないが、これくらいは出る。


   認証機構:正常

   原因:権限不足


 鍵がかかっている。

 ほかはみんな、鍵をかけずに出ていったのに、この家だけきちんとかけていったことになる。

 扉も認証機構も壊れていない。俺が通れないだけだった。


「ニコ」

「はい」

「ここ、私では開けられませんか」

「開けられません。この建物の開放には、上位管理権限が要ります」


 最初の日に、管理棟の扉は俺を通した。

 あれは設備を収めた建物だ。こちらは人の家で、俺は入れない。

 災害復旧のために出る権限は、機械までしか届かないようにできている。

 よくできている、と思った。


「上位管理権限は、誰が持っているんですか」

「正式な管理者です」

「その人は」

「登録されておりません」


 上位管理権限。

 ニコを直した日、同じ言葉を聞いている。

 あのときは期限が消えるだけで十分だった。上位管理権限が何を指すのかを、考えたことがない。


 残りの建物を見て回った。同じような建物がほかに四軒。どれも扉は開いた。それと、第一居住区にもあった保管棟。

 その日は帰った。確認しにきただけだった。開かない一軒があっても困らない。

 困らないのに、気になって毎日、見にいってしまった。


 * * *


 三日目の夕方、フィーネさんが来た。

 巡回の帰りらしく、鎧のままだった。食堂で行き先を聞いて、こちらまで歩いてきたらしい。

 一時通行権限を、この区画まで広げた。三度目の広げ直しになる。


「何してるの?」

「開かないんです」

「壊れてる?」

「壊れていません。だから開かないんです」


 説明しながら、扉の合わせ目を指した。埃が入り込んで、五百年ぶんの線になっている。

 フィーネさんが扉に手をついて、顔を寄せた。


 音がした。

 その手の下で、扉が内側へ指一本ぶんだけ動いた。


「え」

「……開きましたね」

「開いた。なんで」

「動かないでください」


 彼女は手をついたまま止まった。

 扉のふちに手を当てる。何も出てこない。壊れていないものは、直すところがない。

 それから、彼女の姿を見た。いつもの軽装鎧。金茶色の三つ編み。扉に触れている手は剣を握る人のものだ。

 ふと、手首が目に留まる。

 いつも着けているブレスレットがある。飾りの石が一つ。親指の先ほどの大きさで、細かい文様が彫ってある。留め具だけが新しい。替えたのだろう。


「フィーネさん。それ、いつから持っているんですか」

「これ? うちに代々あるやつ。ばあちゃんが母さんに渡して、母さんがわたしに」

「何のためのものだと」

「知らない。誰も知らない。綺麗だから着けてるだけ」


 理由は残らなかった。物だけが残って、まだ動いている。

 フィーネさんは扉から手を離すと、手首を目の高さまで持ち上げた。なぜか嬉しそうだった。


「え、え、これ、わたしの血に反応したとか?」

「いえ。これ、鍵です」


 フィーネさんの肩が下がる。


「……鍵」

「はい」

「もうちょっとこう……ないの?」

「何がです?」


 フィーネさんは口を閉じて、それからブレスレットを外した。こちらへ差し出してくる。


「はい」

「いいんですか」

「試すんでしょ」


 受け取って、扉を閉めた。開いたままでは試せない。

 窪みのあたりへブレスレットを当てる。内側で、かちりと音がした。

 持ったまま離れる。フィーネさんが押した。動かない。

 俺が戻って押すと、開いた。


「やっぱりこれです」


 フィーネさんは今度はぽかんとした顔になった。


「……ほんとに鍵なんだね」

「はい」


 彼女は少し考えるように首を傾けた。

 それから、眉を寄せた。


「わたし、いま何の役にも立ってない」

「持っていたのはフィーネさんです」

「持ってただけだよ」

「持っていた人が、五百年ぶん誰かいたということです」


 ブレスレットを返した。彼女は受け取って、指の腹で一度撫でた。


 灯りを持って中へ入った。

 寒い。外より寒い。五百年ぶん動いていない空気は、こういう冷え方をするらしい。

 窓は割れていなかった。雨も風も入っていない。


 散らかっていなかった。

 それが、いちばん先に分かったことだった。

 あまりに生活がそのまま残っていて、勝手に入るのはためらわれた。

 フィーネさんと二人、部屋の入り口で止まって、灯りだけ入れる。

 そうやって一部屋ずつ見ていった。


 廊下に扉は四つあった。一番奥に階段が見える。

 三つは、居間や台所、物置みたいな家族で使う場所に見えた。

 器が伏せて重ねてある。炉の灰は掻き出してあって、底が見えている。

 どれも、次に使う人のためというより、戻ってくることを想定しているように見えた。


 残りの一つに、寝台があった。寝具は畳んである。

 布が残っている。俺の部屋には、何も残っていなかった。


「この部屋の人、階段を使わなかったんだね」


 フィーネさんが入り口から覗き込んで、言った。灯りを少し下げる。


「わたしも同じことするよ。上がれない人がいたら、下の部屋で寝てもらう」


 階段を上がって二階を見る。廊下に、同じ形の扉が六つ並んでいた。

 寝室だった。どの部屋にも寝台が一つ。寝具はその上で畳まれている。

 どの部屋も同じように片付いていた。


「片付けてる」


 フィーネさんが言った。灯りを高く持ち上げて、部屋の隅まで照らす。


「逃げたんじゃないんだ」

「そう見えます」


 持っていかなかったものが残っていた。

 重いもの。大きいもの。割れやすいもの。歩いて運ぶには向かないものばかりだ。

 抱えて出た荷の中身が、残ったものの側から見えてくる。


 台所の隅に桶が二つ、重ねて置いてあった。

 誰かの部屋では窓の下に糸巻きが並んでいた。使いかけの一つだけ、糸が半分残っている。

 別の部屋の台の上には、蓋の合わない壺が一つ。

 どれも、置いていくと決めた人が、決めたなりに揃えた並びだった。

 工房区画のようなものは何も無い。ここに住んでいたのは、道具を作る側の人ではなかったらしい。


 階段を下りたところで気づいた。

 廊下の壁に、横向きの小さな傷が並んでいた。

 俺の腿の高さほどのところに一本。その少し上に一本。また少し上に一本。四本目で止まっている。

 背の高さを刻んだ跡だ。四本目のあとが無い。


 俺は目を逸らした。

 この家にあるもののうち、いちばん見なくていいものだった気がした。


 物音がしない。俺たちの足音だけが、廊下の奥まで行って跳ね返ってくる。

 フィーネさんは、台所をしばらく見ていた。

 動かなかった。俺も何も言わなかった。


 * * *


 帰りぎわに、戸口の内側で足が止まった。紙が一枚貼ってある。

 糊は乾いて、端が反り返っている。字は大きい。誰にでも読めるように書かれていた。


『ヴェルナー様の指示を待つこと』


 その下に、別の字で書き足してあった。細くて、急いでいる。


『ヴェルナーさんは、まだ戻らない』


 同じ紙の上で、様がさんに変わっていた。

 待っているあいだに、呼び方の方が近くなったらしい。

 一軒目にも二軒目にも、同じ大きさの糊の跡があった。どの戸口にも貼ってあったのだろう。


「ねえ、シュウさん」


 フィーネさんが紙を見たまま言った。


「うち、代々言われてるんだ。一人も見捨てるな、って」

「聞きました」

「その言い伝え、ここから出たんだと思う。うちの家系、旧市街から逃げた人たちの子孫だから」

「はい」


 彼女は一度、紙から目を離した。それからまた戻した。


「この人たち、ちゃんと片付けて出てったよね」

「はい」

「順番も決めて、待つ人は待って」

「そう見えます」

「……それで、街は捨てたんだよね」


 何か言おうとして、やめた。

 俺が言うことではない。

 人と街は別だ、とでも言えば形にはなる。ただ、この部屋でそれを言うのは違う気がした。


 彼女は紙の前から動かなかった。


「わたし、これ、強い言葉だと思ってたんだ」

「はい」

「一人も見捨てるな、って。かっこいいでしょ」

「はい」

「でもさ。……置いていったからなのかもしれない」


 フィーネさんは、それきり何も言わなかった。


 紙は、そのままにしておいた。貼った人が貼った場所に、貼ったままでいる方がいい気がした。

 扉を閉めた。フィーネさんに、ブレスレットを窪みのあたりへ当ててもらう。かちり、と鳴る。押しても、もう動かなかった。

 彼女は、それを着けなおした。


 * * *


 フィーネさんが帰ってから、ニコに訊いてみた。


「ニコ」

「はい」

「ヴェルナーという人を知っていますか」

「住民登録にはありません。登録は、都市の放棄と同じ時刻に全件破棄されています」

「管理の側の記録には」

「あります」

「ヴェルナーの記録ですか」

「はい。最後の正式な管理者です」

「なぜ、いまは登録が無いんですか」

「上位管理権限が要ります」


 扉と同じだ。壊れてもいないし、消えてもいない。あるのに、俺には出せない。

 俺の権限では開かなかった扉。

 その中に、その扉を開けられた人の名前が残っていた。

 指示を出す側にいて、みんなが待っていて、戻らなかった人。

 なぜ登録が残らなかったのかは、記録の側にある。俺には読めない。

 俺は仮の管理者だ。ヴェルナーという人は、仮ではなかった。


 どこかで、何かが終わっていない。分かるのはそこまでだった。


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