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35/51

35:停止したら洒落にならない

 翌朝、食堂でニコを捕まえた。


「ニコ」

「はい」

「管理棟まで付き合ってください」

「承知しました。作業の内容は」

「外周防衛結界を、読みます」


 少し間があった。


「立ち会いますか」

「立ち会ってください。私が倒れると、面倒なので」

「承知しました」


 管理棟の広間は、埃の匂いがした。

 中枢の壁へ手をつく。


   外周防衛結界:正常


 街の結界では、二度覗いて二度倒れた。

 こちらの結界も、それと同じくらい大きい。


(……行くぞ)


 正常と出ているその先へ、意識を向けた。


   警戒値超過:記録あり


 あるに決まっている。同じ荒野に面して、同じ魔物を相手にしているのだから。


   警戒値超過記録:196,880件

   直近1年:394件


 十九万六千八百八十。去年一年だけで、三百九十四。

 五百で割った。三百九十三と少し。

 毎年同じくらい発生しているということだ。

 教会で読んだ数は、十三万二千五百三十一だった。直近一年が二百七十一。

 こちらの方が多い。年に百二十ほど多い。

 超過の記録を、一つずつ辿った。超えて、戻る。超えて、戻る。

 どれも短い。指を折るあいだに収まっている。教会で見たものと、同じ形だった。


 別のところへ意識を向けた。

 第一から第四まで、四つで外壁を分けている。まだ一人だったころに直したものだ。

 その下に、もう一行あった。


   内周防衛結界:停止


 内周。

 読んだところで、視界の端が滲んだ。


「仮管理者。生体反応が基準値を下回っています」

「……はい」

「中断を」

「します」


 手を離した。

 離すと決めてから実際に離すまでに、少し時間がかかった。もう一行だけ、と思ったぶんの時間だ。

 壁に背を預けて座り込む。天井が高い。

 前に、フィーネさんに指を三本立てられている。三回目は無し、と言われた。

 約束は守った。守ったのに、負けたような気分だった。


 * * *


 翌日、フィーネさんが巡回の帰りに寄った。

 彼女は外套を脱いで、椅子の背にかけた。


「シュウさん、顔がひどいよ」

「昨日、少し無理をしました」

「少し」

「……少しです。倒れませんでした」


 彼女は器を置いて、こちらを見た。何か言うかと思ったが、言わなかった。


「フィーネさん。外を一緒に回ってもらえませんか」

「外って、壁の外?」

「結界の内側です。壁沿いに、ぐるっと」

「いいけど、なんで」

「数の意味が、私には分からないので」


 フィーネさんの一時通行権限を発行し直した。移動範囲は外周――外壁と結界の間。


 外へ出ると、風が首から入った。

 通りの雪は片付けられ、踏み固められていたが、壁を越えると手つかずで、足首まで埋まった。

 外壁は高い。上の方は崩れかけていて、隙間から冬の空が見える。崩れた石は壁の下に落ちて、雪をかぶった山になっている。

 その外側に、半透明の膜が立っている。雪の白の上だと、かえって薄く見えた。

 二人で、その間を歩く。


「昨日、結界の記録を読みました」

「読めるんだ」

「五百年ぶん、残っていました。去年一年で、魔物が多かったのが三百九十四回です」

「……よく分かんない。それ、多いの?」

「街の壁は、二百七十一でした」

「え」

「こちらの方が、年に百二十ほど多いです」


 フィーネさんは足を止めた。膜を見上げて、それから外壁の上の方を見た。


「そりゃそうだよ」

「そうですか」

「街の外はね、隊が回ってるの。朝と夕方と、夜も一組。近づいてきたやつは、壁に着く前に減らしてる」

「……ああ」

「ここは誰も回ってない。五百年ずっと」


 街の数が少ないのは、壁が強いからではなかった。

 着く前に減らしている人がいるからだ。


「よく知ってますね」

「回る側だもん、わたし。報告書に書くのはそっちの数じゃないけどね」

「報告書、ですか」

「斬った数は書けるの。近づく前に散らしたのは書けない。何も起きてないから」


 返す言葉が出てこなかった。

 雪を踏む音が二人ぶん、しばらく続いた。


「昇級の話ね、また流れたんだ」

「……そうですか」

「怒ってるわけじゃないの。斬った数で決まるのは、そりゃそうだと思うし」

「はい」

「わたしのスキル、<危機感知>だから。近くで誰かが危ないときに分かるだけ。それだけなの」

「はい」

「それだけだと、書くことがないんだよね」


 三百九十四と、二百七十一。この差の理由が、いま隣を歩いている。


「フィーネさん」

「うん」

「さっきの百二十は、隊が減らしている分です」

「……そんなふうに数えたこと、ないけど」

「五百年ぶん積むと、六万になります」


 フィーネさんが足を止めた。


「六万」

「はい。どこにも書かれていない六万回です」

「……わたしだけじゃないよ」

「はい。五百年、ずっと誰かが回っていた分です」


 フィーネさんが、また歩き出した。


「記録に残るのは、間に合わなかった分だけです。間に合った分は、何も起きないので残りません」

「うん」


 起きなかったことは、数えられない。

 コンラート司祭に言われた言葉だ。覚えておきます、と答えた。


「異常を早く見つけられることが、一番効くんです」

「……え?」

「斬った数より、散らした数の方が多いはずです。数えられていないだけで」


 フィーネさんは、しばらく何も言わなかった。

 膜の方を向いたまま、一度だけ鼻をすすった。


「寒いね」

「はい」

「……うん。寒い」


 角を二つ曲がって、壁沿いを半分ほど来た。

 石の壁の方は、下まで崩れているところが四つあった。どれも、落ちた石を越えれば通れる。

 膜はどこまでも一枚だった。同じ厚さで、同じ高さで、ぐるりと。

 昨日の最後の一行を思い出した。内周防衛結界、停止。

 目の前のこの一枚が停止したら、その内側にあるのは外壁だ。でも、壁は崩れている。


(人が増えた以上、停止したら洒落にならない)


 * * *


 翌日はまた管理棟へ行った。途中になった一行がある。


「ニコ。内周防衛結界とは、何ですか」

「外周の内側にある、二枚目です。外周を突破されても、内側で止めます」

「動いていた記録は」

「記録はすべて五百二年前に破棄されています」


 外が突破されても、内側で止める。

 俺が昨日ようやく思いついたところに、五百年前の誰かはとっくに立っていた。慣れてきた。


「制御盤はどこですか」

「管理棟にあります」


 五百年動かしていないのだから、石は死んでいるだろう。また八つ買うことになる。

 そう思って、リタさんを呼んだ。

 呼ぶ前に、彼女の通れる建物に管理棟を足しておいた。


 制御盤は、管理棟の地下にあった。外周用と内周用の二つが並んでいる。

 開けてみて、手が止まった。

 どちらにも、石を嵌める窪みが無い。太い経路が二本、揃って床の下へ伸びている。

 ニコを振り返る。


「石はどこですか」

「この下です」


 梯子を下りた先は、天井の低い、広い部屋だった。

 真ん中に、石が一つ据えてある。拳ほどの、あの石ではない。大人が隠れられるくらいの塊が、床から生えるように置かれていた。灯りを近づけると、鈍い光が奥の方まで入っていく。

 リタさんは、しばらく黙っていた。

 やがて「は」と息を吐き出した。


「……こんなもん、見たことがない」

「作れますか」

「作れん。切り出せる場所も知らん。たぶん、誰も知らない」


 手を当てた。


   供給系統:正常

   接続口:3

   管理棟:正常

   外周防衛結界:正常

   内周防衛結界:停止


 二つ。外と内だ。

 管理棟と結界二枚が、この石ひとつから出ている。

 五百年替えずに済んだ理由が、目の前にあった。同じ石が、面倒な事実でもあった。

 結界が二枚あっても、ここが尽きれば二枚とも停止する。

 元の世界には、この形に名前がついていた。単一障害点。

 街の結界は、三年ごとに替えられる。手間が要るかわりに、替えがきく。

 こちらは五百年、手間が要らなかった。かわりに、替えがきかない。

 どちらが優れているという話ではなかった。同じものを用意できなかった人たちが、用意できないなりに考えた形が、あちらだ。


 外周と内周、二枚とも常に動かしておけば、魔物が増えても何もしなくていい。その代わり、この石が二枚ぶん減る。

 減った分は戻らない。買えないし、作れない。


 * * *


 内周防衛結界を直すのに、三日かかった。

 場所はニコに訊いた。紋様は外壁の内側を一周している。壁沿いではない。あいだに、区画ひとつぶんの幅が空けてあった。

 何もない草地だ。外が破られても、魔物はまずそこへ入る。人の寝ている区画までは、距離がある。

 雪で埋まった紋様を、ヤンさんとテオさんが掻き出す。俺が順に手を当てていく。

 一日目も二日目も、夕方になる前に頭の芯が重くなった。


「ニコ。今日はここまでにします」

「承知しました」

「明日、続きをやります。中断と、記録しておいてください」

「承知しました」


 誰も困っていない。だから、やめられる。

 やめられるうちは、やめておく。


 三日目の夕方に、内周は動かせる状態になった。


「ニコ。内周を、待機にします」

「待機」

「停止したまま置いて、必要なときにだけ動かします。条件を言います」

「承知しました」

「外周の警戒値を超えたら――」


 言いかけて、止めた。

 超えるだけなら、去年三百九十四回あった。それで動かすなら、ほとんど毎日動かすことになる。

 昨日辿った形を思い出す。超えて、戻る。どれも短い。

 一つだけ、長いものがあった。五か月前の夜。超えたまま、朝まで戻らなかった記録。あの夜、北の境目には隙間が空いていた。俺が片方だけ直したせいだ。


「言い直します。警戒値を超えて、二十数えるあいだ戻らなければ、内周を動かしてください」

「数ではなく、続いた長さで判断するのですか」

「はい。数はいつも超えます。超えたまま戻らないことの方が、いつもと違うところなので」

「承知しました」

「動かしたら記録して、私かリタさんに知らせてください。停止は、人が判断します」

「承知しました。投入の試験は」


 訊かれるとは思っていなかった。


「……三か月に一度で」

「承知しました。理由を記録に残しますか」

「残してください」


 さっそく、その日のうちに試験をやった。

 驚かせても仕方がないので、先に声をかけた。夕方、通りの突き当たりに全員で並ぶ。ハンスくんが前に出て、エマさんに襟をつかまれている。


「動かします。ニコ、お願いします」

「承知しました」


 突き当たり、空き地との境に、二枚目の膜が立ち上がった。

 その向こう、区画ひとつぶんを挟んだ先に、外の一枚が立っている。


「二つある!」


 ハンスくんが言った。レニくんが指を差して、ふたつ、と言った。

 リタさんは腕を組んで、膜の縁を下から上まで眺めている。


 * * *


 その夜、門まで歩いた。門を出て、結界に手を当てる。

 内側の一枚は、今は動いていない。動いてないだけで、ないわけではない。


   外周防衛結界:正常

   内周防衛結界:待機


 正常と、待機。

 二行になった。


 結界の膜越しに街の方を見た。遠くに灯りの列が見える。

 あちらは人がいて、隊が回っていて、三年ごとに石が替わる。記録の数も、こちらより百二十少ない。

 あちらは大丈夫だ。

 そう思って、背を向けた。


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