34:分からないことのために、どれくらい我慢するの
灯りが戻って三日経った。
誰も困っていない。当番は回り、数はニコのところに溜まっていく。朝の食堂は前と同じ音がする。
困っていないうちに動けるのは、たぶん、いましかない。
「ニコ」
「はい」
「この前、伝達経路が停止しました。そういう事態への備えはありますか。例えば代わりの経路などです」
「あります」
即答だった。
「……あります、というのは」
「第一居住区の供給系統は二系統です。第一系統と第二系統。両方を常に動かしています。片方が停止しても、問題は発生しません」
「常に、両方をですか」
「はい。そういう仕様です」
しばらく、言葉が出なかった。
もしそれが動いているなら、あの日、灯りは消えてなかったはずだ。
「なぜ、あのとき言わなかったんですか」
「照会がありませんでした」
そのとおりだった。
ニコはいつもそうだ。仕様は持っていて、訊かれない限り出さない。責める先があるとすれば、五百年前にそれを渡した側だ。
「第二系統は、どこにありますか」
「第一居住区の北、保管棟の下です」
「保管棟」
「はい。備蓄用の倉庫です」
通りの突き当たりに、窓の少ない建物があるのは知っていた。人の住む造りではないので、調べるのを後回しにしていた。
いつもの地下にあったなら、とっくに見つけていた。離れているから、見つからなかった。
「うちの区画の中ですね」
「はい。区画をまたぎません」
なぜ離してあるのか、と訊きかけて、やめた。
訊くまでもない。同じ部屋に本系統と予備を並べたら、片方を壊した事故が両方を壊す。あの夜、区画が切ってあったおかげで工房区画が生きていて、九人が凍えずに済んだ。同じ理屈を、区画内でもやっている。
五百年前の誰かは、俺が考える程度のことは、とうに考えていた。
* * *
建物は寒かった。
入口に吹き溜まった雪を、ヨナスさんが先に片付けた。ヤンさんとテオさんが二人がかりで扉を開け、リタさんが手燭を掲げて中へ入る。
階段の下に、同じ形の箱があった。地下のものと、面の大きさまで同じだ。
手を当てた。
供給系統:正常
供給上限:160
出力:0
出力がゼロのまま動かない。これまで見た出力の値はいつも細かく動いていた。それが、全く動いていない。
蓋を開けた。石が八つ、横に並んで嵌まっている。
左から順に、手を当てていった。八つとも正常だった。
正常で、それでいて動いていない。
「リタさん」
「見せろ」
一つ外して渡した。彼女は手燭の火へ近づけて、目の高さで止めた。
「白いな」
「薄い、ではなく」
「薄いを通り越してる。抜けきってる」
前に交換した機械室の八つは、薄いだけだった。あれはまだ動かせた。
こちらは空っぽになって、そこで止まっている。
「八つ、要ります」
「また八つか」
「はい、八つです」
「ギルドに言っとく。値は張るぞ」
「魔道具を売った金から出してください」
「そうしとく」
* * *
石が入って、第二系統が動いたのは、それから二日後だった。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:38
経路は途中で止まっていない。
必要な量も届いている。
あとは仕様どおり、両方動かしたままにしておけばいい。そうすれば、片方が落ちても、途切れる瞬間すら無い。
五百年前の作り方だ。間違いようがない。
その話を、夕方の食堂でした。
フィーネさんが、巡回の帰りに寄っていた。
「じゃあ、もう大丈夫なんだね」
「はい。両方動かしておけば、どちらかが停止しても途切れません」
「両方って、石も両方使うの」
「使います」
言ってから、リタさんの手が止まっているのに気づいた。
「十六、回すのか」
「はい」
「なら、買う間隔が半分になるな」
そのとおりだった。
石は使えば減る。二組回せば、二組ぶん減る。ずっとだ。
俺はその値段を知らない。
「八つで、幾らですか」
「銭で言っても、あんたには分からんだろ」
「……はい」
「うちの温度調節が四個だ。四個売った銭が、八つで消える」
「月に二十作って、そのうちの四個」
「そうだ」
テーブルの向こうで、エマさんが手元へ目を落とした。ハンスくんとレニくんは、器を持ったままこちらを見ている。
その金で買えるものが、頭の中に並んだ。ガラス。寝具。冬の食い物。ハンスくんの靴は、たしか先が擦り切れていた。
「で、次に替えるのはいつになる」
前にも同じことを訊かれた。あのときは、分かりませんと答えた。
「まだ言えません。数は溜まってきていますが、二組を回した数は一日ぶんもありません」
「そうか」
リタさんは、それ以上は訊かなかった。前のときと同じだった。
「シュウさん」
フィーネさんが言った。責める声ではなかった。
「その、問題が起こるのって、どのくらいあるの?」
「……分かりません」
「分からないことのために、どれくらい我慢するの」
言われて、答えが出なかった。
俺がやろうとしているのは、いちばん堅牢なやり方だ。技術としては正しい。
ただ、いちばん堅牢なやり方は、いちばん高価なやり方でもある。そして払うのは俺ではない。
「……考えます」
「うん」
「今日中に、別の形を出します」
* * *
夜、地下で針を見ていた。
五百年前の設計は、千人が住む都市のものだ。あの規模なら、二系統を回し続けても釣り合いが取れたのだろう。
いまここには九人しかいない。同じ作りを、九人の暮らしから払うことになる。
仕様が間違っていたのではない。前提の方が変わった。
両方動かし続ける必要はない。
第一系統が止まるまで、第二系統は止めて待たせておけばいい。止まっているあいだ、石は減らない。
代わりに、間が空く。第一系統が止まって、第二系統が動くまでの間、灯りも水も温度制御も止まる。
止まらないようにするほど、高くつく。元の世界でも同じだった。
高くついても止めないか、少し止まることを引き受けて安くするか。
どちらが正しいかではなく、どちらを選ぶかだった。
「ニコ」
「はい」
「第二系統を、待機にします」
「待機」
「止めたまま置いて、第一系統が停止したときに投入します」
少し間があった。
「そのように運用した記録はありません」
「無いですか」
「ありません。ですが、状態としては指定できます」
できるようにはなっていた。誰も、そうしなかっただけだ。
「では、指定します。条件を言います」
「承知しました」
「第一系統の出力が、上限の一割を下回ったとき。……いえ」
言い直した。ゼロを待つと、ゼロになるまで誰も気づかない。
「二割です。二割を下回って、三つ数えるあいだ戻らなければ、投入してください」
「承知しました。投入後の扱いは」
「投入したことを記録して、私かリタさんに知らせてください。止めるかどうかは、人が決めます」
「承知しました」
入れっぱなしにはしない。入ったことを、必ず人へ返す。
この前の夜、ニコは俺を探して階段を上がってきた。次は、上がってくる前に片方が入る。
俺が起きていなくても、灯りは消えない。
もう一つ、決めた。
「それから、三か月に一度、第二系統を実際に投入してください。動くかどうかを、そのとき確かめます」
「通常運用への復帰は」
「確かめたら戻します。半日で足ります」
「承知しました。理由を記録に残しますか」
「残してください」
言いながら、これは俺が作った穴だと思っていた。
五百年前の作りには、この穴が無い。両方回っているのだから、動くかどうかは見れば分かる。
待機という状態を作ったのは俺だ。そして、待っているものがちゃんと動くかどうかは動かしてみないと分からない。
安くする代わりに、確かめる手間を引き受ける。それが釣り合いだ。
階段を上がると、食堂にまだ灯りが点いていた。
フィーネさんがテーブルに肘をついて、リタさんと何か話している。
「決まりました」
「早いね」
「常に両方は動かしません。片方が停止したときだけ、もう片方が動きます。待っているあいだ、石は減りません」
フィーネさんは、少し考えるような顔をした。
「じゃあ、いつもは今までどおりなんだ」
「はい」
「それで、何かあったら勝手に動く」
「動きます。動いたら、私かリタさんに知らせが来ます」
「うん。それがいい」
リタさんが器の底を鳴らした。
「石は八つのままか」
「減るのは八つだけです。今までと変わりません」
「よし」
それだけで、話は終わった。
外へ出た。
雪が止んで、星が出ていた。門まで歩いて、外周の防衛結界を見上げる。半透明の膜が、いつもと同じ厚さで立っている。
外周防衛結界:正常
正常だ。ずっと正常だった。
(……このやり方は、こっちにも使えるな)
普段は止めておく。必要なときだけ動かす。今夜決めたのは、そういう形だ。
考え方だけなら、この膜にも適用できる。
ただ、そのためには、数字が必要だった。
供給の方は決められた。毎日読んできた数があって、普段がどのあたりにいるかを知っていたからだ。二割という線は、だから作れた。
この膜について、俺は何も知らない。
魔物は普段どのくらい来るのか。どのくらい増えたら危ないのか。一度も見ていない。
ずっとそれどころじゃなかった、というのは言い訳でしかない。
巨大なものを見ると、倒れる。だから見ないようにしていた。
膜の向こうは真っ暗だった。
内側では、九人が寝ている。
明日、結界を読む。




