33:私には直せません
寒さで目が覚めた。
息が白い。ガラスの内側に、細かい霜が張っている。
壁際の摘まみへ手を伸ばした。回しても、何も起きない。灯りも点かなかった。
部屋の温度は、温度制御を直してからは、勝手に保たれていた。
廊下へ出ると、真っ暗だった。
常夜灯が消えている。それだけで、何かまずいことが起こっているのが分かった。
下の階から声がした。子供が何か言って、エマさんが宥めている。
階段の途中で、暗がりの中に立っているものにぶつかりかけた。
「仮管理者」
「ニコ」
「第一居住区の供給が停止しました。灯り、給水、温度制御、すべてです」
「いつからですか」
「十分ほど前です。お知らせに上がるところでした」
「工房区画は」
「動いています」
そこは動いている。
頭の隅に置いた。
* * *
地下へ下りた。ニコが灯りを持って先に立つ。
箱の正面に手を当てた。三つ数える。急がない。急いでも同じだ。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:0
正常。上限も変わっていない。
要る量が、ゼロ。
顔を上げた。針は二つとも、目盛りのいちばん下で止まっている。揺れてもいない。
要る量がゼロなら、石は出す必要がない。針は正しく、無いものを無いと指している。
蓋を開けて、石を左から順に当てていった。八つとも正常だった。
箱は壊れていない。石も生きている。
だが、ゼロはおかしい。
上では九人が起きて、灯りの摘まみを回している。使おうとしている人がいるのに、要る量がゼロになるはずがない。
上で必要としている分が、この箱まで届いていない。
箱から出ていく側へ意識を向けた。
魔力伝達:停止
原因:物理破損
見慣れた字だ。
割れた窓にも、外れた蝶番にも、水の管にも出た。そのたびに職人へ回して、それで済んできた。
俺に直せないことは変わらない。変わったのは、直らないあいだに凍える人の数だ。
もう少し奥へ入ってみた。どこで切れているのかを知りたかった。
出てこない。系統は映るが、石の下は映らない。
どこかで一箇所、繋がっていない。分かるのはそれだけだった。
「ニコ」
「はい」
「私には直せません」
言葉にすると、思ったより短かった。
「承知しました」
「リタさんとダグさんとヨナスさんを、起こしてください。それから」
そこで一度、息を吸った。
直せないのなら、直せるまでのあいだを持たせるのが仕事だ。
「住民全員、工房区画へ移動します」
* * *
「工房区画は、居住用途ではありません」
ニコが言った。予想はしていた。ダグさんたちが工房の隅で寝た朝にも、同じことを言われている。
「はい。理由を言ってください」
「仕様には、理由までは書かれておりません」
「では、ニコが思うことを」
ニコが何度か瞬きをした。
「火気です。それと、寝るための設備がありません」
「火気は、炉から離れたところに寝床を作ります。近づかないよう縄を張ります」
「承知しました」
「寝具は運びます」
「承知しました」
「一つ、こちらから。排気口は六つとも開いていますか」
「確認しておりません。設置されていることは、仕様にあります」
「では、私が全部見ます。人が寝るなら、そこは見ておきたいので」
「承知しました」
ニコは少し黙った。それから、いつもの調子で言った。
「登録上は、工房区画のままです」
「はい。緊急の一時避難ですから、用途を変える必要はありません」
「承知しました」
規則を曲げたわけではない。規則が守ろうとしていたものを、一つずつ別の形で埋めただけだ。前にも同じことをした。あのときは炉の置き場所で、教えてくれたのはニコの方だった。
「全員の移動範囲を工房区画まで広げます」
「承知しました」
これまで、必要のない人には第一居住区までしか移動できないようにしていた。
一度広げた範囲を後で戻すかは、考えてない。
通りは雪が積もっていた。
旧市街の反対の端まで、九人で歩いた。エマさんがレニくんを背負い、ハンスくんはヨナスさんと手を繋いでいる。ヤンさんとテオさんが寝具を担ぎ、リタさんが先頭で灯りを掲げていた。
息が白い。誰も文句を言わなかった。
工房区画は、扉を開けた瞬間から暖かかった。
火は落としてあるのに、粗くて厚い石の壁が昼の温度を抱えている。
「ここ、あったかい」
ハンスくんが言った。レニくんが背中で目を覚まして、同じことを言った。
リタさんは手前の炉に炭を入れ始めた。
「一つだけ焚く。奥のは触るな」
「排気口を見てきます」
「開いてる。毎朝見てる」
「毎朝」
「詰まったまま焚いたら、あたしが死ぬんだぞ」
それはそうだった。
炉を焚けば、燃えた空気が出る。抜けなければ、その部屋で寝ている人間は朝に起きてこない。前に、そう教えてくれた人だ。
この区画には、俺が見なくても見られているものが、最初からあった。
リタさんが作業台の下から木箱を引き出して、中身を床へ並べた。摘まみの付いた金物が、六つ。
「これは」
「傷物だ。商品にはならない」
リタさんと作って、街へ卸してきた温度調節の魔道具だった。
遺跡の中では一度も使っていない。もともと温度制御があるので、要らなかった。
「使わせてください」
「使うために取ってあるんだよ」
六つを寝床のあいだへ置いて回った。摘まみを回すと、しばらくして金物の表面が温かくなって、周囲の空気がぬるむ。
これを設計したとき、俺は数字しか見ていなかった。閾値に遊びがない、と言って、リタさんに作り直してもらった。あのときの遊びが、いま子供の寝床の脇で動いている。
寝床を並べ終えたころ、炉の周りに縄を張っていたヨナスさんが戻ってきた。ついでのような顔で訊かれた。
「直るのかい」
「私には直せません」
言ってから、周りが静かになったのに気づいた。
エマさんが手を止めている。ヤンさんとテオさんがこちらを見ている。ハンスくんまで顔を上げていた。
今度は周囲を見回して、言った。
「経路が切れています。物が壊れているので、<デバッグ>では直りません。どこで切れているかも、私には見えません」
「じゃあ、どうなる」
「明日、場所を探します。見つけたあと直せるのは、リタさんたちです」
ヨナスさんは、しばらく俺の顔を見ていた。それから、鼻から息を抜いた。
「そりゃ、あんたの仕事じゃないな」
「……はい」
「なら、俺らの仕事だ」
誰も、直せないのかとは言わなかった。
トモが炉の前で丸くなっていた。ニコが二度どかして、二度とも同じところへ戻っていた。
夜半に、フィーネさんが来た。ニコが、結界を通過したと報告してくれた。
一時通行権限を発行し直す。工房区画まで移動できるようにした。
それから、彼女が工房まで来たことがないと気づいて、迎えに行った。
彼女はパンと干し肉と、干した果物を抱えていた。果物だけ、多い。
「灯りが消えてるの、街道から見えたから」
「見えるものですか」
「見えるよ。いつも点いてるんだもん」
工房で、彼女は荷物を下ろすと、寝床の並びを端から見て、「動かすね」と言って位置を変えた。
子供たちが炉に近くなった。炉との間にはエマさんが入る。ヨナスさんは風の来ない方へ寄った。
「こっちの方がいいと思う」
「……はい」
「シュウさん、朝まで起きてるでしょ」
「はい」
「じゃあ、わたしも」
干した果物を差し出された。
断る理由を探して、見つからなかった。
* * *
夜が明けてから、経路を追った。
掘る前に、探す範囲を決める。
「三棟とも消えています」
「ああ」
「一棟の先で切れているなら、暗くなるのはその一棟だけです。三棟とも消えたなら、切れているのは三つに分かれるより手前です」
「箱を出てすぐか」
「そうなります」
区画ぜんぶを掘り返す話が、通り一本の手前側だけの話になった。
「どこを通ってる」
「分かりません。系統は見えますが、道筋は見えないので」
「俺が見よう」
ヨナスさんが通りへ出た。靴の先で雪を払いながら歩き、足を止める。
「ここだな。石の並びが違う。埋めて、敷き直してる」
俺には、同じ石畳にしか見えなかった。
やり方は水の管のときと同じだ。俺が触って、職人が掘る。
真ん中を一箇所開けてもらって、出てきた経路へ手を当てた。
魔力伝達:正常
生きている。切れているのは、ここから先だ。
残りを半分に割って、また開ける。生きている。もう半分。
魔力伝達:停止
挟んだ。
三度目で、範囲は石畳三枚ぶんになった。道具を運ぶのはハンスくんが買って出た。
剥がしたところへ、ダグさんが灯りを差し入れた。
「見えましたか」
「見えた。継ぎ目が抜けてる。抜けてるってより、崩れてるな」
「直せますか」
「直せる。あたしとダグと爺さんで、日暮れまでだ」
直せますか、と訊いて、直せる、と返ってくる。
その一往復に、どれだけ助けられているか、俺には説明できない。
日が傾いてから、地下の箱に手を当てた。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:38
顔を上げる。針が下から持ち上がって、四十のあたりで止まった。二つとも同じところにいる。
上で声が上がった。子供の足音が二人ぶん、廊下を抜けていく。
灯りが戻ったらしい。
その夜、全員が自分の部屋へ帰った。
食堂で鍋が鳴っている。エマさんが湯を沸かし直していて、ヤンさんが手伝わされていた。ヨナスさんは端で黙って食べている。いつもの音だ。
リタさんとダグさんが石畳を戻す話をしていた。三枚剥がしたので、明日また嵌める。
「シュウさん」
フィーネさんが器を置いた。
「良かったね」
「はい」
「顔、よくないよ」
「……そうですか」
言われて、初めて気づいた。
直った。それは事実だ。今日中に戻ったのは、職人三人の手が速かったからで、切れていたのが石畳三枚の下だったからだ。
もっと深いところだったら。もっと寒い日だったら。雪が深かったら。工房区画まで歩けない人がいたら。
どれか一つ違えば、今日は違う日になっていた。
この区画は、系統が一つきりだ。それが落ちれば、区画ぜんぶが落ちる。隣の区画に余りがあっても、来ない。
昨日の夜、俺にできたのは、暖かい部屋へ人を歩かせることだけだった。
五百年ぶんの経路は、まだいくらでもある。
次にどこが壊れるかは、分からない。




