32:それ、あたしの仕事だろ
四十七日目の朝、地下へ下りた。
箱の正面に手を当てる。三つ数える。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:44
声に出して読んだ。ニコが繰り返す。
「四十七日目、記録しました」
「はい」
「四十五日目と四十六日目が、空欄のままです」
「……はい」
「埋めますか」
「埋めません」
棟を直している三日のあいだ、朝にここまで下りなかった。
三十八日目と三十九日目のときは、教会のベッドにいた。今度は起きていて、動いていて、それでも読まなかった。
言い訳の質が落ちている。
階段を上がった。
食堂には、四人いた。
「シュウさん、座ってて」
器が出てくる。朝に人の顔を見るのは、三日ぶりだった。
「棟、終わったんだって」
「昨日の夕方に、灯りが点きました」
「部屋、増えたの」
「はい、九部屋」
それだけで、話は雪のことへ移った。
それでいい。設備の話が食卓に出ないのは、誰も困っていないということだ。
食べながら、さっきの空欄のことを考えていた。
教会は抜けがない。当番が日ごとに替わるからだ。都合が悪ければ代わりも手配される。
こちらは、読めるのが俺だけだ。俺が下りなければ、その日の記録が無い。
器を置いて、立ち上がった。
* * *
工房区画まで歩いた。旧市街の反対の端まで、朝の通りを抜けていく。
石畳に薄く雪が乗っていて、先に歩いた足跡が四人ぶん、工房の方へ続いていた。
リタさんは炉の前にいた。奥ではダグさんが弟子たちに何か言っている。
「なんだ」
「お願いがあります」
「珍しいな」
そこでようやく、彼女は顔を上げた。
俺は言うことを頭の中で整理してから、口を開いた。
「地下の箱の数を、私以外にも読めるようにしたいんです」
「読めるようにって、どうやって」
「今は、私が手を当てないと数が出ません。私が下りなければ、その日の記録が無くなります」
「昨日と一昨日みたいにか」
知られていた。
「……はい」
「教会はどうしてる」
「壁の紋様が光ります。光が目盛りの上を動いて、十ごとに数が添えてあります。灯りをかざせば、誰にでも読めます」
「で、それと同じものをここに」
「私には作れません」
リタさんは、しばらく俺の顔を見ていた。それから、鼻で笑った。
「それ、あたしの仕事だろ」
言われてみればそのとおりだった。
「線を刻むだけなら今日中に終わる。だが、線だけ引いても誰も読めんぞ」
「読めない」
「教会のは光が動くんだろ。うちの箱は光らん。あたしが見ても、ただの平らな面だ」
そのとおりだった。
俺には数が見えるので、目盛りさえあれば足りると思っていた。
目盛りは、動くものがあって初めて目盛りになる。
「動く方は、作れますか」
「作れる。摘まみを回すと熱くなるやつと、理屈は同じだ。あっちは魔力を熱に変えてる。こっちは、量を針の傾きに変えりゃいい」
「……はい」
「で、何を追わせる」
そこは決めておかないといけない。
「あの箱には、要る量と、実際に出ている量が別に出ます。追ってほしいのは、出ている方です」
「なんでだ」
「石が弱ると、要る量は変わらないのに、出る量だけが揺れるからです。前に灯りがちらついたのが、それでした」
「……ああ。あれか」
彼女は箱の面の大きさを、両手で作ってみせた。
「で、いくつ刻む。十六本引きゃいいのか」
答えられなかった。
読める形にする、というところで止まっていて、どう読める形にするかは、その先だった。
「決めるのはあんただ。あたしは刻むだけだぞ」
「数があります。四十三日ぶん。四日は抜けています」
「見せろ」
「読み上げます。私は書けないので」
ニコを呼んで、順に読ませた。リタさんは炭で床に線を引いていく。
四十三本並ぶと、ほとんど同じ高さで揃った線の最後だけが上がった。
「……ぜんぶ四十のあたりじゃねえか」
「はい」
「最後だけ上がってるな」
「棟を直した日です」
「九部屋だったか、住んでなくても食うのか」
「灯りと水は通っているので」
リタさんは炭を持ったまま、床の線を端から端まで見ていた。
「なあ。これ、工房は入ってないよな」
「入っていません」
「だろうな。炉一つで、これが二つ半消えるんだったな」
炉の置き場所で揉めた日に、俺が言ったことだ。
あのときは、もういい、と途中で手を上げて止められた。それなのに、この人は覚えている。
彼女は炭の先を床につけたまま、しばらく動かなかった。
「じゃあ、あたしの炉はどこで数えられてる」
「そこの操作盤に出ます。こちらにも石が入っているはずです」
「ああ、あれか」
俺はふと口を閉じた。
工房区画の魔石も、弱ってくるはずだ。交換だってしないといけない。
そのためには記録も必要だ。
これまで、居住区のことしか頭になかった。工房区画については言われなかったからだ。
「なんだよ」
「……いえ」
彼女は炭の先で、床の線の端を二度叩いた。
「三十から五十のあいだを、二つ刻み。外は十刻みだ」
「……それは、良くないです」
「あん」
「今は四十のあたりですが、ずっとそうだとは限りません。棟をもう一つ直せば上がりますし、魔石が弱くなれば下がります」
彼女の手が止まった。
俺は少し考えてから、言葉を続けた。
「上から下まで、同じ間隔で通してください。粗くて構いません」
「粗くていいのか」
「一つや二つは毎日動きます。細かく読めても、そこは使いません」
リタさんは炭を持ち直して、床の線を端から端まで、もう一度見た。
「なら五刻みだ。十ごとに数を入れる」
「はい」
「あんたが決めたことにしとけよ。あたしは幅を出しただけだ」
「その針が合っているかどうかは、どうやって確かめますか」
コンラート司祭から同じことを訊かれている。俺が直したものが正しいかどうかを、俺が言うのでは確かめたことにならない。
「そりゃ、あんたが読んだ数と突き合わせりゃいい」
「はい。ただ、私が居ないときは」
リタさんは炭を持ち直した。
「なら二つ付ける。同じ箱に、離して二つだ。二つがずれてきたら、どっちかが狂ってる」
「……ああ、なるほど」
「型屋なら誰でもやる。合わせは二つ取るもんだ」
帰りぎわに、さっき思いついたことを訊いてみた。
「工房区画の魔石、弱ってませんか」
「弱ってた。二度替えた」
「二度」
「止まると仕事にならないからな」
「いつです」
「……覚えてない。寒くなる前と、もう一回だ」
替えたことも、いつ替えたかも、この人の中にしかない。
居住区画は四十三日ぶん並んでいて、工房区画は一日も無い。
「こちらの数も、記録してもらえませんか」
「面倒だな」
「面倒です」
「……線を引くだけならな」
「石の色も、書いておいてください。色は私には分かりません」
「まだ分からんのか」
「分かりません」
彼女は鼻を鳴らして、それから炉の方を顎で示した。
「炉、増やすぞ」
「増やす」
「ギルドから注文が来てる。一つじゃ追いつかん」
「……分かりました」
* * *
できあがったのは、四日後だった。
箱の正面に、指の長さほどの針が一本。その下に線が並んでいる。上から下まで五刻みで、十ごとに数が入っていた。数はリタさんが刻んだ。同じものが、少し離れてもう一つ。
手を当てずに、しばらく見ていた。針が細かく揺れている。揺れているのが、正しい。
「ニコ。今日の変更を記録してください。対象は地下の箱。変える前は表示なし。変えたあとは針と目盛りが二つ」
「理由は」
「読める人を増やすためです」
「担当者は」
「リタさんです」
「仮管理者ではなく、ですか」
「作ったのはリタさんなので」
少し間があった。
「承知しました」
当番を決めた。朝、誰か一人が地下へ下りて針を読み、その数をニコに言う。ニコが記録する。
順番は、最初は俺で、あとは住民登録の順にした。決め方に理由がある方が、あとで揉めない。
教わったことを三つ、渡した。
一つ。同じ時刻に読む。時刻が違えば数も違う。
二つ。読んだ数だけを言う。おかしいと思っても、その場で直さない。
三つ。いつもと違うと思ったら、違うと言う。何が違うかは、分からなくていい。
三つ目は受け売りだった。いつもと違うと感じた日には、たいてい何かがあるらしい。何なのかが分かるのは、そのあとでいい。
三日目の朝、食堂へ行くと、エマさんが鍋を持っていた。
俺の顔を見ると、鍋をテーブルに下ろした。
「今日の分は四十三でした。ニコさんには先ほど伝えました」
「四十三ですね。お疲れ様です」
「いえ、すぐでした」
テーブルの向こうから、ハンスくんが顔を出した。
「俺の番はいつ?」
「四番目です」
「それっていつ?」
「今日が三番目で、エマさんの番です。四番目は明日です」
「明日!」
顔が輝いている。隣のレニくんに「明日だって!」と言って、今度はエマさんにも同じように報告した。
明日には、この子が地下へ下りて、目盛りを読む。読んだ数を、ニコに伝える。
この数がなんなのか、俺はまだうまく説明できていない。
意味が分かるより先に、読む人が増えた。順番が逆のような気もする。
でも、教会もきっとこの順番だった。
昼過ぎに、フィーネさんが部屋まで来た。巡回の帰りらしい。
隅には、先週置いていった上着がそのままになっている。その脇に水筒が二つと、紙束が積んであった。
ニコには規定違反です、と言われているが、扱いはまだ保留にしたままだ。
「あ。シュウさん」
「はい」
「服、新しいね」
「寒くなったので、冬物をと思って」
ギルドからの取り分が入ったので、二着買った。丈は合っていない。
「丈があってないよ」
「そうなんです」
「でも、あったかそう」
「はい」
「シュウさん、そういうの後回しにする人だと思ってた」
「……たぶん、後回しにしていました」
「うん」
彼女は何か納得したような顔をして、手を振って部屋を出ていった。
夕方、地下へ下りた。
当番はもう読んでいる。俺が下りる必要はない。
それでも下りて、箱の正面に手を当てた。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:43
出力を三度読んだ。四十三、四十二、四十三。
顔を上げる。
針は四十と四十五のあいだで揺れていた。
合っている。粗いが、合っている。二つの針も、まだずれていない。
誰が読んでも同じ数になる。四十七日ぶん、俺しか読めなかった。
明日からは、俺が見なくても数が残る。
あとは、溜まるのを待てばいい。




