↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/51

30:あれは誰のものになりますか

 四十一日目の朝、地下へ下りた。階段は、七日前より冷たかった。

 箱の正面に手を当てる。三つ数える。急がない。


   供給系統:正常

   供給上限:160

   現在:41


 声に出して読んだ。ニコが繰り返す。

 蓋を開ける。石が並んでいる。見るのは左から順に。八つとも正常。最後に出力を三度読んだ。四十一、四十二、四十。


「四十一日目、記録しました」

「はい」

「三十八日目と三十九日目が、空欄のままです。どういたしますか」

「そのままにしてください」

「記録として、不備になります」

「不備です。読んでいないので」

「……承知しました」


 埋めようと思えば、埋められる。前後の日から見当はつく。

 見当で書いた記録は、明日から信用できなくなる。読んだ数と、たぶんこうだろうという数が、同じ顔で並ぶことになるからだ。

 教会の記録帳に、そういう日は無いのだろう。抜けた日が無いのだから、埋める機会そのものが来なかった。


 階段を上がりながら、頭の奥がまだ重いのに気づいた。

 それでも、行くところは決まっている。


 * * *


 教会の門で取り次ぎを頼むと、若い聖職者が奥へ入っていって、すぐに戻ってきた。

 戻ってきたのはラウルさんだった。


「サガラさん。ちょうど、こちらからお呼びするところでした」

「私を」

「はい。司教がお会いになりたいと」


 司教という位を、初めて聞いた。コンラート司祭より上だということしか分からない。


「コンラート司祭は」

「先に入っておられます」


 通されたのは、昼間の部屋でも、棚のある部屋でもなかった。

 天井が高い。窓が縦に細長くて、光が床まで届いている。長机の向こうに、法衣の人が一人座っていた。

 白髪を短く切り揃えた、六十くらいの女性だった。コンラート司祭は、その斜め後ろに立っている。


「よく来てくださいました。ヨハンナと申します」

「相楽修です」

「かけてください。長く立たせるのは、倒れたばかりの方に酷でしょう」


 知られていた。

 座ってから、机の上を見た。何も置かれていない。書類も、ノートも、水も無い。


「十七番のことは、聞きました」

「はい」

「巡回の順のことも」


 ヨハンナ司教は、指を組んだ。


「うちの朝の祈りは、点検だそうですね」

「……はい」

「見たものを、書いて残す。順に読んでいけば、どこでいくつ減ったかが分かる。長く立つのは、幅を見るため」


 彼女は、俺の言ったことを、俺より短く言った。

 伝わっている。形が崩れていない。


「あなたのおかげで、若い者が朝の祈りを覚えたがるようになりました。理由の付いたものは、覚えが早いようです」

「……そうですか」

「礼を申し上げます。本当に」


 頭を下げられた。

 こういうとき、何と言えばいいのかは、いまだに分からない。


「不具合を、その、見ただけです」

「そうでしょうね。あなたはそうおっしゃると、司祭から聞いていました」


 斜め後ろで、コンラート司祭が視線を落とした。


 * * *


 話が済んだところで、俺の方から切り出した。


「お願いがあって参りました」

「どうぞ」

「聖典を、読ませていただけませんか」


 部屋が静かになった。

 窓の光が、床の同じ場所に落ちている。

 ヨハンナ司教が、背筋を伸ばしたまま俺を見ている。


「理由を伺っても」

「結界に、五百年一度も使われていない機能があります。使うための手順が、教会の手順書にありません。残っているとすれば、聖典だけです」

「その話も、聞いております」

「私は、それを読みたいわけではありません。読んで、何をすればいいのかを言えるようになりたいだけです」


 言ってから、同じことかもしれないと思った。


 ヨハンナ司教は、しばらく指を組んだままだった。

 それから、こう言った。


「あなたは、うちの祈りを点検だとおっしゃった」

「……」

「間違っているとは申しません。おそらく、正しいのでしょう。司祭も、若い者も、そう申しております」

「はい」

「聖典を開くというのは、残りも全部そうする、ということです」


 そこは、否定できなかった。

 俺がやることは、いつも同じだ。中を見て、なぜそうなっているかを言う。祈りだろうと手順だろうと、やることは変わらない。


「開いて、あなたが読めて、私どもが読めなかったとします」


 彼女は、初めて指をほどいた。


「そのとき、あれは誰のものになりますか」


 返す言葉がなかった。

 答えを持っていないのではない。答えが、俺の側にしかないことに気づいた。


「私どもは、五百年、あれを開いておりません」

「はい」

「開けないのではなく、開かずに済んできたのです。読まなくても、次の者へ渡せましたので」


 渡せた。

 灯火の継承で、七人が列に並んでいた。何も持たず、何にも触らず、端から端まで見ていた。

 あれが渡し方だ。読まずに渡せる。渡せるから、開かない。開かないから、何が書いてあるのかも分からないままになる。


「そうやって渡してきたものの中に、切替が入っていない。あなたはそう言っている」

「はい」

「ええ。そうなのでしょう。司祭もそう申しておりますし、私も、あなたの言い分が通っているとは思います」


 通っている、と言われた。

 さっきも、正しいと言われた。


「ですが、今日お渡しする理由が、こちらにございません」

「……理由」

「何も起きておりませんので」


 言い返さなかった。

 言い返せる材料がない。

 なにより、ここは俺の場所ではない。聖典は俺のものではない。読ませてくれと頼んで、断られた。それだけのことだ。


「……分かりました」

「お引き取りいただけますか」

「はい」


 立ち上がってから、一つだけ訊いた。


「何かが起きたら、そのときは」

「そのときに、検討いたします」


 答えになっていない。

 なっていないことに、この人は気づいている。気づいたうえで、そう言っている。


 部屋を出るとき、コンラート司祭が扉まで送ってくれた。

 彼は何も言わなかった。俺も言わなかった。


 * * *


 門を出たところで、フィーネさんが立っていた。

 守備隊の軽装鎧のままだ。巡回の途中に見える。


「シュウさん」

「フィーネさん」

「起きてる。良かった」

「三日前に」

「知ってる。見に行ったから」


 こちらが言おうとしていたことを、先に言われた。

 それでも、ちゃんと言うのが筋だろうとは思った。


「その、来ていただいたと聞きました」

「うん」

「それで」


 そこで詰まった。

 心配してもらった。それだけのことだ。それだけのことが、二十八年生きていて、まだ苦手だ。


「ありがとうございました」

「うん」


 フィーネさんは、明るく頷いた。

 けれどすぐに、腰に手を当てて難しい顔になった。


「でもね」

「はい」

「二回目だからね」


 指を二本立てられた。


「一回目は仕方なかったかもしれない。二回目は、分かっててやったでしょ」

「……はい」


 おとなしく頷いた。

 フィーネさんの知らないところで、もう何回か倒れてる、とは言えなかった。

 三本目の指が、立てられる。


「次は三回目だから」

「三回目は」

「無し。無いようにして」


 彼女は指を下ろして、歩き出した。

 三歩ほど行って、振り返る。


「なんか、うまくいかなかった?」

「……なんで分かるんですか」

「顔」


 それだけ言って、行ってしまった。


 街の門をくぐって、街道へ出た。

 歩きながら、五か月前を思い出していた。

 中枢部屋に立って、十三万件の数字を見て、何もできずに辞めた。あのとき俺が持っていなかったのは、許可だった。

 今日は、頼める相手がいた。話を聞いてもらえた。礼まで言われた。

 それでも、聖典には届かなかった。

 断られたことに、腹は立たなかった。あの人の言い分は通っている。誰のものになりますか、と訊かれて、俺は何も答えられなかった。


 見えているのに触れない。五か月前と、同じことを考えている。


 聖典が開くのは、何かが起きたあとだ。

 何かが起きたあとで間に合うのかは、読まないと分からない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。