↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/51

3:ちゃんと入れてもらいます

 宿を引き払い、残った金で着替えを一着買った。この世界の、どこにでもある作りのものだ。来た日から着たきりだったので、さすがに限界だった。

 残りは日持ちする食べ物に変えた。硬い干し肉と、石みたいな黒パンと、それを入れる布の袋。何日ぶんあるのか、正直よく分かっていない。

 買った服は袋の底へ入れた。これから埃だらけの廃墟を歩くのに、新しい服を着る気にはなれなかった。

 街道は、思っていたよりも整っていた。荷車の轍が深く残っていて、両脇の草もきちんと刈られている。

 この道は、そもそも他所の町へ行くための道らしい。それがたまたま遺跡をかすめている。誰も入れない廃墟に用のある人間はいないのだから、当然といえば当然だった。

 荷車に二度追い越された。行商らしい一団にも抜かれた。荷を積んだ人たちは俺を一瞥して、そのまま先へ行ってしまう。

 目が四つある犬には会わずに済んだ。守備隊が巡回しているのだという。


 一時間ほどで、外壁が見えてきた。

 街のものより高く、遠目にも分かるほど古い。石の継ぎ目に草が生え、崩れかけた塔がいくつか傾いている。その手前に、あの半透明の膜が立ち上がっていた。街のものと同じで、そこに何かがあると分かる。

 違うのは、内側に灯りが一つも見えないことだった。


 門の前まで来たところで、後ろから声がかかった。


「そこ、それ以上は近づくな」


 守備隊の軽装鎧が二人。巡回の途中らしい。フィーネさんと同じ意匠だが、顔は知らない人たちだった。


「入れませんよ、そこは。誰も通さない」

「知っています」

「なら何をしに来た。盗掘なら無駄だ。何百年も誰も入れてないんだから」

「見に来ました」


 二人は顔を見合わせた。俺の格好を上から下まで眺めて、ああ、という顔になる。異世界人か、で片がついたらしい。片がついてしまうのも、それはそれで複雑な気分だった。


 結界まで、あと三歩。

 手を伸ばす。触れる直前で、指先が止まった。押し返されているというより、そこから先が無いような感触だった。

 視界の端に、文字が浮く。


   外周防衛結界:正常

   認証機構:応答なし


 ……正常。

 街の結界を見たときと同じ字面なのに、意味がまるで違う。結界そのものは、どこも壊れていない。五百年、一度も手を抜かずに門を守り続けている。

 壊れているのは、その隣だ。もう少しだけ、意識を向けてみる。


   認証機構:停止

   有効な管理者認証:0件

   原因:認証失効


(あー……)


 声が出そうになった。

 通していい相手かどうかを確かめる係が、途中で止まっている。止まっているから、答えを返さない。

 そして結界の方は、答えが返ってこない相手を通さない。確認が取れない者は入れない、というのは、門番として一番正しい判断だ。だから結界は、五百年のあいだ、ずっと正しく全員を拒み続けてきた。

 止まった理由も、その下に出ていた。登録されていた管理者の認証が、一人残らず切れている。最後の一件が切れたところで、この係は次へ進めなくなったまま、動いていない。


「おい」


 巡回の一人が、警戒した声を出した。


「あんた、それ、何をしてる」

「調べています」

「調べる」

「壊れているところを」


 二人が同時に半歩下がった。片方の手が剣の柄に触れている。


「まさか、結界を破るんですか?」

「破りませんよ」


 俺は結界から目を離さずに答えた。


「ちゃんと入れてもらいます」


 しばらく、返事がなかった。

 背後で、短く言葉を交わす気配がある。


「お前、隊に知らせてこい」

「……ああ」

「おい、そこのあんた。動くなよ。見てるからな」

「はい」


 一人が街の方へ駆けていった。残った一人は、少し離れた位置に立ち直して、それきり動かなくなった。


 * * *


 認証機構そのものは、驚くほど素直な作りだった。

 名簿があり、照合の手順があり、結果を結界へ渡す口がある。難しいことは何もしていない。壊れているのは、その手順が途中で止まったきりだという一点だけだ。

 名簿の中身までは見なかった。何件の登録が切れているかが分かれば、直すには足りる。誰の名前が並んでいるかは、俺が読んでいい情報じゃない。

 そして、一番早い方法も、すぐに思いついてしまった。

 照合なんて直さなくていい。結界へ答えを渡す口だけを書き換えて、確認は済んだ、この男は通していい、と返すようにすればそれで済む。結界は疑わない。答えが返れば、そのとおりにするようにできている。

 ……いや、駄目だ。

 それは直したことにならない。確かめる手順を飛ばして、確かめたという嘘の答えを差し込む。それはもう修理ではなく、クラッキングだ。


 やるべきなのは、止まっている照合を、もう一度動くようにすることだった。

 管理者が一人もいなくても、一人もいない、という答えをちゃんと返せるようにする。有効な登録が一件もないというのは、答えに詰まるような事態ではなく、ただの結果だ。返しさえすれば、その先はその先で動く。

 新しい仕組みを付け足すわけじゃない。止まっているものを、止まったままにしない。それだけだ。

 時間はかかった。

 途中で何度か、指先の感覚が遠くなった。剣一本のときとは違う。街の中枢部屋ほどではないにしても、これは一人分の道具ではなく、街一つ分の入口だ。

 そのたびに手を止め、息を整えて、また向き直った。ここは誰にも急かされていない。倒れたら困るのは俺だけだ。

 背中の視線だけは、ずっと消えなかった。

 途中で一度、伝令が戻ってきた気配があった。短いやり取りが聞こえて、それきりだ。人は増えない。

 まあ、そうだろう。五百年誰にも破れなかった結界を、丸腰の男が素手で撫でている。わざわざ止めに来るような話ではない。


 どれくらい経ったのか、日が傾き始めたころ。

 照合の口が、五百年ぶりに開いた。


   認証機構:復旧

   照合を開始します


 五百年ぶりに、照合が走った。名簿を頭から順に確かめて、有効な登録を数える。

 答えは分かりきっている。一件もない。

 その分かりきった答えが、五百年ぶりに結界へ渡った。

 そこから先は、俺の知らない手順だった。文字が、これまでと違う速さで流れ始める。


   正式管理者:不在

   施設管理端末:停止

   生命維持設備:異常

   認証機構:手順による復旧を確認

   緊急保守権限:発行

   仮管理者として登録

   有効期限:72時間


(……災害復旧用の緊急アカウントか)


 正式な管理者が全員いない。管理端末も止まっている。人が生きるための設備が壊れている。そのうえで、認証系を正しい手順で直した人間がいる。

 どうやら、その四つが揃ったことで、仮の管理者が立てられたらしい。期限は七十二時間。

 よくできている、と思った。同時に、少し寒くもなった。

 この手順は、ずっとここで待っていたわけだ。照合の答えが返ってくるのを。答えが返らないから、五百年、始まることすらできなかった。

 そしてもし俺が結界を殴り割って入っていたら、四つ目の条件は埋まらなかった。嘘の答えを差し込んで通っていても同じだ。破って入った人間には、権限は出ない。そういう作りになっている。

 五百年前にこれを設計した人間は、たぶん俺と同じことを考えていた。


 目の前の膜が、門のところだけ薄くなった。人が一人通れる幅だ。


「……開いた」


 背後で、声がした。

 振り返ると、残っていた守備隊員が、俺ではなく門を見ていた。


「何をした。あんた、何をしたんだ」

「認証機構が壊れていたので、直しました」

「五百年、誰も通さなかったんだぞ。それが……あんたを認めたってことか」

「認めた……というのは、違うかと」

「どういうことだ」

「不具合を直しただけです」


 彼はしばらく、口を開けたまま門を見ていた。それから弾かれたように向き直り、さっきの相棒と同じ方角へ走っていった。今度は伝令ではなく、本気の走り方だった。

 俺には、その慌てぶりの意味がよく分からなかった。壊れていたものが直れば、動く。ただそれだけのことだ。


 門をくぐる。

 すぐに建物があるのだと思っていたが、内側はしばらく空いていた。膝の高さまで草が伸びている。

 その下に、石を並べた縁が切れ切れに覗いていた。まっすぐで、間隔が揃っている。畑だったのか庭だったのかは分からない。人が区切って使っていた、ということだけが分かる。

 そのまま歩くと、じきに足の下が石畳に変わった。

 埃の匂いがした。人の匂いはしない。

 通りが、まっすぐ奥へ続いている。両側に建物が並び、看板らしきものが下がり、そのどれもが色を失っていた。倒れた荷車。割れた窓。開いたままの扉。

 誰かが暮らしていた場所が、誰もいないまま五百年、そこにあった。


 視界の端で、文字が静かに待っている。


   有効期限:72時間


 七十二時間。

 三日で何ができるのか、見当もつかない。

 それでも俺は、人のいない街へ一歩を踏み入れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。