↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/51

25:理由が、あったんですか

 中枢部屋は、記憶より広かった。四角い部屋だ。

 壁一面に紋様が並んでいる。数えたことはなかったが、四十はある。

 正面の壁の前に、腰の高さの箱。前に立っていたときと同じ場所に、同じように据えてある。蓋は閉まったままだ。

 コンラート司祭は、箱の左隣に立った。


「順は、ここからです」

「ここから、ですか」

「外側から内側へ、と教わっています」


 短い言葉を唱えて、紋様をじっと見る。それから半歩左にずれて、次の前に立つ。同じことをする。

 一つにかける時間が、思っていたより長い。三つ数えても、まだ動かない。

 俺は灯りを掲げたまま、その横に立っていた。前と同じだ。

 前と違うのは、今日は数字を追っていることだった。


   外周防衛結界:正常

   出力:120

   出力:118

   出力:121


 止まってはいない。百十八から百二十一のあたりを、細かく行き来している。

 幅は狭い。狭いが、無いわけではなかった。


 半歩。次の紋様。


   供給系統:正常

   出力:110

   出力:109

   出力:111


 また半歩。


   供給系統:正常

   出力:110

   出力:111

   出力:109


 二つ目で、十ほど落ちていた。

 三つ目は、その二つ目と同じ数だった。落ちたぶんは戻らず、残りがそのまま先へ渡っている。

 百二十から始まって、どこかで十ほど使われて、残った百十がまた次へ行く。そういう並びらしい。

 そう推測できるのは、順番に見ていたからだ。


(大元に近い方から)


 教会に住み込んでいたころ、箱から順に見ていくことには気づいていた。なぜそこからなのかは、考えずに終わりにした。他人の仕事だったからだ。


 コンラート司祭が、また半歩移った。

 移ってから、じっとしている時間が長い。長すぎると思っていた。

 それにもきっと理由がある。

 幅のあるものは、幅ごと見ないと、幅があることさえ分からない。

 それを見るための時間が、この長さだ。


 彼は半歩ずつ、右から左へ移っていく。

 紋様の並びの途中で、足が止まった。少し長く立って、それから、いつもの言葉を唱えた。


「異常なし」


 記録帳を差し出す。彼は日付を書き、名前を書き、印を置いた。

 ペンを戻して、こちらを向く。


「以上です。ご覧のとおり、これだけのものです」


 紋様は、まだ左へ続いていた。


「残りは、見ないのですか」

「手順に入っておりません」


 早い答えだった。考えて出したのではなく、覚えている答えだ。

 止まった先の、最初の一枚を見た。


   外周防衛結界:正常

   供給系統:正常

   警戒値超過:記録あり


 前にここへ立っていたとき、見なくてよい、と言われた紋様だった。


 そのさらに隣に、紋様ではないものがあった。

 腰までの高さの台だった。金属の枠に、握りの太い把手が二本。片方は下がっていて、もう片方は上がっている。台の脇に、見たことのない紋様が彫られていた。


「これは」

「使った記録がありません」


 答えになっていなかった。

 なっていないことに、彼は気づいていないようだった。何かと訊かれて、記録の話を返している。

 もっとも、ここではそれが答えなのだろう。何をするものかを知っている人間が、もう誰もいない。


「五百年間」

「ええ」


 台に手を当てた。


   待機状態:正常

   駆動部:応答なし


 待機。動いていない。

 動いていないものが応答しないのは、当たり前だった。


 台の先にも、紋様は並んでいる。目を向けただけで、数が出た。


   出力:0


 次も、その次も同じだ。

 何を測っているのかは分からない。動いていないことだけが分かる。

 巡回はここまで来ない。来ないところが、止まっている。


「ご参考に、なりましたでしょうか」


 声をかけられて、振り返った。

 そうだった、ここは俺のシステムじゃない。

 視界の端に出る文字から意識を逸らして、体ごと向き直る。


「コンラート司祭」

「はい」

「順番には、理由があります」


 彼の表情が、変わった。


「理由」

「はい。外側から内側へというのは、大元から順に、という意味です。先に入ってくる量を見て、それから出ていく量を見ます。だから、どこでいくつ減ったかが分かります」

「……入ってくる量と、出ていく量」

「減ること自体は普通です。途中で使われているだけなので。今日は、二つ目で十だけ落ちていました」


 彼は口を開きかけて、閉じた。


「間合いの方にも、理由があります。この数字は止まっていません。細かく上下しています。一度だけ読むと、その一度が高い方なのか低い方なのかが分かりません。司祭が一つの前に立っている時間は、何度か読めるだけの長さです」


 コンラート司祭は、しばらく紋様の壁を見ていた。

 それから、初めて聞くような声を出した。


「理由が、あったんですか」

「はい」

「そう決まっている、ではなく」

「はい」


 彼は正面の箱まで戻って、いちばん最初の紋様の前に立った。

 何をするでもなく、ただ立っていた。


「……二十年、間違えずにやってきました」

「はい」

「間違えないことだけが、取り柄でした」

「その取り柄が、これを残しました」


 * * *


 昼を過ぎてから、昨夜の部屋へ通された。

 棚の記録帳を、一冊ずつ出してもらった。


 新しいものは、紙も綴じ方もしっかりしている。日付、当番の名前、印。それだけだ。

 三段下がると、綴じ紐が違った。印の形も違う。丸ではなく、四角に近い。

 そこからさらに二段下りると、触るのに気を遣った。表紙の角が丸くなって、繊維がけばだっている。


「これは、何年前のものですか」

「二百年ほどかと」

「開けても」

「どうぞ。ただ、そっと」


 開いた。

 日付。名前。印。そこまでは、今の記録帳と同じだった。字はずいぶん違う。それでも読めた。

 同じでないのは、その下だ。

 一頁まるごと、数で埋まっている。

 左の端に短い言葉が縦に並んで、その右へ、細い欄が三つずつ続いていた。どの欄にも数が入っている。同じ行の三つは近い数で、少しずつ違う。

 左の並びを数えた。二十三あった。

 いちばん下の一行だけ、欄が一つしかない。数も小さい。ゼロか、一か、二だ。


「この左は、紋様の名前ですか」

「……そう読めますね」

「この数は、どこから取ったものでしょうか」

「紋様に出ています」


 顔を上げた。


「出ている」

「ええ。光の伸びる先に、目盛りが刻んであります」

「今も、ですか」

「今もです。毎朝、出ています」


 今朝、あの壁の前に立った。灯りを掲げて、箱の左隣から、司祭が止まるところまで。

 俺が見ていたのは、俺にしか見えない方だった。壁そのものは、灯りを当てるための面としか思っていなかった。

 目盛りがあることに、気づきもしなかった。

 数も合わない。今朝、司祭が立ったのは二十二だ。ここには二十三ある。

 多い一つは、見なくてよい、と言われたあの紋様だった。欄が一つしかない、あの行だ。


「今は、書かないのですか」

「書きません。異常がなければ、異常なしと」

「見えてはいるんですね」

「……見えています」


 彼は頁を覗き込んで、しばらく黙っていた。


「いつ、無くなったのですか」

「……分かりません。中の段の、どれかで」


 一日に一頁。それが今は、一日に一行になっている。

 数は毎朝そこに出ていて、毎朝誰かがその前に立っていて、書かれないまま消えていく。

 それが二百年前は記録の対象だった。そして、紋様ごとに三つ。


(やっぱり、そうだ)


 同じ紋様に対して、記録が三つ。三回読んで、三回記録する。

 幅のある数字は幅があるまま記録する、ということだ。


 頁をめくった。

 途中の一枚で、手が止まった。

 印の横に、小さく何か書き足してある。当番の欄でも日付の欄でもない、余白だ。


「これは」

「書き込みですね。ときどきあります」


 字は小さく、傾いていた。急いで書いたのが分かる。


『霧の朝は数が出る』


 誰だか分からない人間が、二百年前に、余白へそれだけ書いた。

 欄が用意されていないから余白へ書いたのだろう。書式には無い。書式には無いのに、書いておかないと気が済まなかった。


(同業者だ)


 その人は、たぶん何度か霧の朝に当番へ入って、そのたびに数が多いと思って、三度目か四度目に書いた。

 二百年前の朝の話だ。二百年前の霧の話だ。

 なのに、やっていることが分かる。


「こういうものは、他にもありますか」

「数えたことはありませんが、あると思います。冬の初めは静かだ、というのも見たことがあります」

「それは、いつのものですか」

「……分かりません。どこかの段の、どこかの冊です」


 棚を見た。

 上から下まで、隙間なく詰まっている。背の高さも厚みもばらばらで、下の段ほど傷んでいる。

 今日開いたのは、まだ途中だった。その下に、三百年ぶん残っている。

 この中に、二百年前の霧の朝がある。冬の初めが静かだと気づいた誰かがいる。どこの段の、どこの冊かは分からないまま、それでも捨てられずに、そこにある。


「抜けている日は、ないんですね」

「ありません」

「五百年」

「ええ」


 ため息が漏れた。


「素晴らしいと思います」


 自分でも意外なほど、素直に言葉になった。

 コンラート司祭は、少し困った顔をした。


「意味は、分かっていないのですが」

「分からなくても残っているから、今も読めます」


 * * *


 遺跡へ戻ったのは、日が傾いてからだった。

 まっすぐ地下へ下りて、機械室の前に立った。

 持って帰ったものは三つだ。順を決めること。幅を見ること。同じ時刻に見ること。

 どれも、元の世界では当たり前にやっていた。目新しいものは一つもない。

 目新しくないことを五百年続けた先に、霧の朝は数が出る、があった。

 あれは考えて出るものではない。数えた回数だけが出す答えだ。


「ニコ」

「はい」

「毎朝、日の出に、ここへ来ます。手伝ってください」

「承知しました。何をいたしますか」

「私が読み上げます。記録してください」


 少し間があった。


「私が、記録するのですか」

「はい。他の人も参照できるように」

「……承知しました」


 箱の正面に手を当てた。


   供給系統:正常

   供給上限:160

   現在:34


 声に出して読んだ。ニコが繰り返した。

 それから蓋を開けて、石に左から順に手を当てた。八つとも正常。新しい石は、まだ届いていない。

 順番は左から、と決めた。決めた以上は、明日も左からだ。

 最後に、出力を見た。


   出力:12

   出力:36

   出力:27


 教会の壁と同じで、止まってはいない。

 違うのは幅だった。あちらは百十八から百二十一で、三つ並べても指の幅ほどしか離れていない。こちらは十二と三十六だ。しかも下へ落ちる方が深い。

 弱るというのは、こういうことらしい。数が下がるのではなく、下がる幅が広くなる。

 これを三回読んで、足して、割る。明日も同じようにすれば、数が比べられる。


「ニコ」

「はい」

「出力は、三度読みます。三つとも記録してください」

「三つとも、ですか」

「はい。それから、足して三で割った数も」

「承知しました」


 十二、三十六、二十七。足して七十五。三で割って、二十五。

 厳密ではない。読んだ三つが、たまたま低い方に寄っているかもしれない。

 それでも、無いよりはいい。二百年前の誰かも、たぶん同じことを思った。


「今日の分は、以上です」

「記録しました」

「日付と、それから」

「はい」

「読んだ人の名前も」

「仮管理者、でよろしいですか」

「……相楽修で」

「承知しました」


 階段を上がりながら、考えた。

 あちらは五百年分で、こちらは一日分。

 比べるようなものではない。

 それでも、明日また同じ時間に下りれば、二日分になる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。