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24/51

24:教えてください

 夜のうちに、初めて雪が降ったらしい。

 街道の窪みに白いものが残っていて、踏むと薄い氷の割れる音がした。息が白い。

 街まで歩いて、門をくぐって、まっすぐ教会へ向かった。

 この道は、辞めた日に反対向きに歩いている。あのときは何も持っていなかった。今日も持っていない。

 石段の下で一度止まった。言うことは決めてある。決めてあるのに、頭の中で順番を確かめていた。


 取り次ぎを頼むと、若い聖職者が奥へ入っていった。

 待つあいだ、廊下の突き当たりを見ていた。あの先が宿舎だ。右の三つ目の扉で、俺は丸一日半寝込んでいた。


 コンラート司祭が裾を捌いて歩いてきた。


「サガラさん」


 法衣は襟元まで留まっている。髪も整っている。前に会ったときのような、目の下の窪みはなかった。


「お元気そうで。何か、ご用でしょうか」

「教えてください」

「は」

「教会の点検のやり方を、教えてください」


 頭を下げた。

 下げてから、順番を間違えたことに気づいた。何の話かを先に言うべきだった。


「あ、えっと……これは」

「……順を追って伺っても」

「はい。すみません」


 通されたのは、面接をした部屋だった。机の位置まで同じだ。あのとき俺は椅子に座って、ハズレと言われました、と答えていた。


「遺跡に、人が住んでいます。今は九人です」

「聞いています。冬を越す方が出たとも」

「はい。それで、設備を保たせないといけなくなりました」


 コンラート司祭は、書類を脇へ寄せた。


「先日、灯りがちらつきました。原因は魔石でした。八つとも弱っていて、出す量が揺れていました」

「交換されましたか」

「これからです。ただ」


 そこが本題だった。


「次にいつ替えればいいのかが、分かりません」


 コンラート司祭が、少し目を細めた。


「石の色は」

「職人が、八つとも薄いと言いました」

「濃さの見方は、教わりましたか」

「いえ」

「なるほど」


 その相槌が、思っていたより早かった。


「私に分からないのは、何を、どれくらいの間隔で見ればいいのかです。見方も、記録の残し方も。この世界のものがどれくらい保つのかを、私は知りません」

「……ずいぶん、細かいところを訊かれる」

「知らないと、対応できません」

「前もそうでした。水は足りていますか、と」


 覚えられていた。

 覚えられているとは、思っていなかった。


「サガラさん。ひとつ伺っても」

「はい」

「なぜ、うちなのですか」


 当然の問いだった。

 少し考えてから口を開く。


「街には職人がいます。魔道具を作る人も、水路を引く人も。私の周りにもいます」

「ええ」

「その人たちは、作り方と直し方を知っています。ですが、五百年保たせた記録を持っているのは、ここだけです」


 コンラート司祭は、しばらく黙っていた。


「記録、というのは」

「毎朝、日の出に、当番の方が中枢部屋へ入ります。決まった順に紋様を見て、異常なしと唱えて、記録帳に印を記す」

「……ええ」

「あれは、点検です」


 机の上で、彼の指が止まった。


「点検、と」

「はい。順に見て、結果を残して、次の日にまた同じ順で見る。私が元いた場所でやっていたことと、同じ形をしています」

「あれは、祈りです」

「祈りだと思います。ただ、やっていることが点検です」


 言ってから、まずかったかと思った。

 五百年続けてきたものを、外から来た人間が別の名前で呼び直したことになる。


 コンラート司祭は、脇へ寄せた書類の束を、角できちんと揃え直した。


「……お答えします。ただ、長くなります」

「はい」

「今日の務めが終わってからで、構いませんか」

「いくらでも待ちます」


 * * *


 日が落ちてから、呼ばれた。

 通されたのは、昼間の部屋ではなかった。狭い。机と椅子、壁際に古いソファが一つ。あとは壁一面の棚で、記録帳が詰まっている。背の高さも厚みもばらばらで、下の段ほど傷んでいた。

 コンラート司祭は、昼間と同じ格好で座っていた。襟元まで留めたままだ。机には瓶と器が二つ出ている。

 ソファを勧められて、そこに座った。


 彼が瓶の栓を抜くと、酒の匂いがした。


「飲まれますか」

「いただきます」


 注がれたのは、濃い色の酒だった。口をつけると、喉の奥が一度だけ熱くなる。思っていたより強い。

 彼は自分の器を持ち上げて、一口だけ飲んだ。


「遺跡は、どんな具合ですか」

「食堂ができました」

「食堂」

「二階の奥の部屋です。誰かがテーブルを運んできて、誰かが椅子を直して、気づいたらそうなっていました」


 彼の器が、口の手前で止まった。


「……そういうものが、できるんですね」

「はい」

「あそこは、五百年空いていたと聞いていましたが」

「今は九人います」


 彼は器を置いて、少しだけ笑った。笑った顔を見るのは初めてだった。


「こちらは、来月が灯火の継承です」

「灯火の継承」

「魔石の交換です。三年に一度の」


 聞き返すのが、一拍遅れた。


「……三年に一度、ですか」

「ええ。そう決まっています」


 ニコが言っていた。仕様にあります、三年ごとです、と。

 同じ数字だった。遺跡では五百年守られなかった周期が、こちらでは守られていた。


「準備が要ります。二人一組で行いますし、祈り手もおります。その割り振りから始めます。若手は初めての者が二人いますから、手順を通しで確かめさせないといけない」

「大変ですね」

「毎回そうです。三年に一度なので、前をよく覚えている者が少ない」


 彼は器を空にして、自分で注いだ。二杯目からは速かった。

 俺の器は、まだ半分も減っていない。

 二杯目を空けると、彼は立ち上がって、法衣の上着を脱ぎ、椅子の背にかけた。


「サガラさん」

「はい」

「昼間のあれですが」

「はい」

「点検、とおっしゃいましたね」

「……はい」


 彼はまた座った。しばらく何も言わなかった。

 やがて、身を乗り出した。


「二十年やっています」

「はい」

「意味は、分かっていません」


 声の高さは変わらなかった。変わったのは、間の取り方の方だった。


「順番も、間合いも、唱える言葉も、全部教わったとおりにやります。一つも間違えません。間違えないことが仕事ですから」

「はい」

「なぜその順番なのかは、教わっていません。若いころに一度訊きました。そう決まっている、と言われました。訊いた相手も、教わったとおりにやっている人でしたから」


 三杯目を注ぎ、襟元の留め具を外して、彼は椅子の背にもたれた。


「二十年ですよ。毎朝だ」

「はい」

「休んだのは、母が死んだ日と、寝込んだ二日だけです。二十年、意味の分からんことを、一日も抜かさずに」


 言葉はそこで、止まった。

 彼は器の中を見て、それから天井を見て、また器を見た。


「……失礼しました」

「いえ」

「今のは」

「はい」

「忘れてください」

「忘れませんが、誰にも言いません」


 コンラート司祭が、こちらを見た。


「……それは」

「意味が分からないまま二十年続けたから、結界が動いています」

「それは、慰めですか」

「事実です」


 慰めなら、もっとうまい言い方があるはずだった。俺に言えるのは、起きたことだけだ。


「手順が残っていなければ、私が読み解くものも残っていません。順番が変わっていたら、意味も一緒に消えています。残っているのは、誰かが毎朝、意味が分からなくても同じ順でやり続けたからです」


 彼は何も言わなかった。器を持ち上げて、中身を飲み干した。

 それから、棚の方を見た。


「記録帳は、五百年分あります」

「五百年」

「印の形は変わっています。字も変わっています。それでも、抜けている日はありません」

「見せていただけますか」


 彼は棚を見たまま、少し間を置いた。


「……ええ」


 その返事を聞いたところまでは、覚えている。


 * * *


 目が覚めたのは、日の出前だった。

 ソファで寝ていた。外套が掛かっていた。自分で掛けた覚えはなかった。

 机の上には何も出ていない。瓶も器も片付いていた。

 コンラート司祭は、法衣の襟元まできっちり留めていた。髪も整っている。


「おはようございます、サガラさん。本日はよろしくお願いいたします」

「……おはようございます」

「では、参りましょう。順序からご説明します」


 昨夜のことに触れる気配は、まったくなかった。

 言ったとおりに、何も言わないことにした。


 中枢部屋へ入ると、コンラート司祭は灯りと記録帳を俺に差し出した。


「本日の当番は私です。持っていただけますか」

「はい」


 受け取って、灯りを掲げた。

 壁一面の紋様が、前と同じように浮かび上がる。


   外周防衛結界:正常


 一行だけ読んで、そこで止めた。

 この先に何があるかは知っている。知っているが、今日は見に来たのではない。それに、ここは俺の場所ではない。

 俺が立っているのは、前と同じ位置だ。手に持っているものも同じだった。

 違うのは、今日は訊いていいということだけだった。


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