23:次はいつ替えるんだ
朝、食堂へ行くと、もう三人いた。
ヨナスさんが端で黙って食べている。向かいでヤンさんとテオさんが、炉の話らしいことを言い合っている。エマさんは鍋の前に立っていた。
「おはようございます」
「シュウさん、座ってて」
答えを聞く前に、器が出てきた。
二階の奥の部屋が食堂になってから、朝に人の顔を見るようになった。自室で一人、保存食をかじっていたころのことが、もう遠い。
食べ終わってから、部屋へ戻った。
机の上に、リタさんから預かった魔道具が置いてある。十日ばかり、そのままだ。
手のひらに乗る大きさで、摘まみが一つ。回すと中に魔力が流れて、身体強化の魔法に変わる。
預かった日に、手を当てた。
魔力伝達:正常
出力制御:異常
原因:術式間競合
この世界へ来た日に見たのと、同じ字が同じ順で並んでいた。フィーネさんの剣だ。
術式が二つ、同じ経路を同時に掴みにいく。どちらも壊れていない。並んでいるだけで、噛み合わない。
掴む順番を先に決めた。それで直った。
リタさんには直せなかったものだ。壊れていないものは、彼女の<修復>では戻すところがない。故障じゃないからだ、と前にも聞いている。
「中身を説明しろ。あたしが同じものを作れるように」
そう言われて、十日経つ。
説明ならできると思っていた。ダグさんにも言った。中身の仕組みは話せます、と。
机の前に座って、頭の中で言ってみる。
二つの術式が、同じ経路を同時に掴もうとします。
――経路ってのは何だ。
魔力の通り道です。
――どこを通ってる。
そこで止まる。図には描けない。俺はこの世界の文字が書けないし、書けたところで、あれは紙に写せる形をしていない。
見えたままを言葉にすると、リタさんの持っていない言葉ばかりになる。彼女の持っている言葉に置き換えると、今度は違うものになる。
直すだけなら、すぐできる。フィーネさんの剣もそうだった。
それを人に渡すのに十日かけて、まだ渡せていない。
机に肘をついたところで、廊下から足音がした。
「あの」
ダグさんの弟子のテオさんだった。
「工房の奥の戸が、閉まらなくて」
「行きます」
工房区画の奥まで行って、戸に手を当てた。
開閉機構:物理破損
蝶番が下がっている。<デバッグ>では、それ以上何も出ない。
「これは私には直せません。ヨナスさんかダグさんに言ってください」
「……はい」
少しがっかりした顔をして、それでも礼を言った。
部屋へ戻る。魔道具を手に取る。
言い方を考えかけたところで、また足音がした。
今度は子供二人だった。ハンスくんが先に言う。
「部屋が暑い」
「暑いですか」
「うん。ずっとあつい」
三階まで上がって、部屋に入ると、確かに少し暑かった。隅の筒に手を当てた。
温度制御:正常
正常だ。
摘まみは、壁際の低いところ。ちょうど、子供の手が届くあたりだ。
振り返ると、犯人が二人、俺を見上げていた。
「触りましたか」
「……ちょっと」
「回すと、こうなります」
摘まみを戻した。それだけで終わった。
部屋へ戻る。魔道具を手に取る。
その日はそれから、二回呼ばれた。灯りが一つ点かないのと、二階の排水が流れないのと。灯りは直した。排水は詰まりで、これは俺の領分ではなかった。
夜になって、魔道具はまだ机の上にあった。
中身は十日前から分かっている。要るのは、腰を据えて言葉を探す時間だけだ。
その時間が、十日出てこない。
人が九人になった。設備が増えて、使う人が増えて、壊れる数もそのぶん増えた。
一つひとつは小さい。小さいぶん、断る理由もない。
* * *
三日後の夕方、食堂の灯りがちらついた。
ちょうど飯時で、器を持ったまま、全員が天井を見上げた。二度、三度と暗くなって、また戻る。
「またか」
ヨナスさんだった。またか、と言うからには、前にもあったのだろう。
「前にもですか」
「二、三日前から、ときどきな」
「……聞いていません」
「言うほどのことじゃなかったからな」
台に乗って、灯りの根元に手を当てた。
魔力系統:正常
正常だ。手を当てているあいだ、ずっと正常だった。
器具は何ともない。なら、来ている方だ。この灯りは自分で光っているわけではない。区画の供給系統から魔力を引いて、光に変えているだけの筒でしかない。
地下へ下りた。機械室には、もう何度も入っている。
奥の壁際に、区画の供給系統の本体がある。腰より高い箱で、正面に手のひらを当てられるだけの平らな面がついていた。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:38
正常。
上限は百六十で、使っているのは三十八。九人の暮らしで、その程度だ。足りなくなりようがない。
手を離しかけて、やめた。
灯りは、いま、ちらついている。ちらつくというのは、来ている量が一定でないということだ。
いま読んだのは、配れる量と、必要な量だった。
もう一度、手を当てた。今度は、実際に出ている量に集中する。
出力:38
合っている。三十八要って、三十八出ている。
そのまま、手を当てて待った。
出力:31
出力:14
出力:27
出力:39
数字が止まらない。
要る量は変わっていない。出る量の方が、勝手に上下している。
下がりきったところで、上の灯りが暗くなっているのだろう。
この箱には、何度も手を当てている。十日前にも、その前にも。そのたびに正常と出て、俺はそれを読んで、手を離してきた。
一度触って、一度読んで、それで見たことにしていた。
揺れているものは、一度では見えない。
箱の下側に蓋がある。外すと、拳ほどの石が八つ、横に並んで嵌まっていた。
左から順に、手を当てていく。
八つとも、正常と出た。
どれも壊れていない。壊れていないものが八つ集まって、出す量が保てていない。
リタさんを呼んだ。ダグさんもついてきた。
リタさんは「魔石か」と呟くと、石を一つ外して、灯りの方へかざす。
「ああ、薄いな」
「薄い、ですか」
「色だ。抜けかけてる」
差し出された石を受け取った。俺の目には、白っぽい石にしか見えない。
「新しいのは、どんな色ですか」
「持ってくる」
並べて置かれると、さすがに違った。片方は奥の方に色があって、片方はそれが白っぽくなっている。
リタさんは外した一つを戻す。隣の一つを外す。そして灯りにかざす。
そうやって、順に灯りへかざしていった。
「全部だな」
「全部、ですか」
「濃いのが一つもない。……よくこれで点いてたよ」
<デバッグ>は、対象を一つ選んで、それが正常かどうかを返す。
八つとも正常だった。八つとも正常で、揃えると保たない。
「あとどれくらい使えますか」
「……ひと月か、ふた月か」
「幅がありますね」
「ある。使い方で変わる。毎日長く点けりゃ早い」
横で聞いていたダグさんが口を挟んだ。
「ひと月は保たんだろ。俺ならちらつきが出たらもう替える」
「用途によるな」
「そりゃそうだ」
使える期間には幅がある。用途による。
経験則だ。間違ってはいない。
でも、それは記録ではなかった。
ニコを呼んだ。
「魔石は、交換の周期が決まっていますか」
「仕様にあります。三年ごとです」
「最後に交換した記録は」
「五百二年前に記録が破棄されています」
「その後は、交換されていないということですね」
「はい」
三年ごとに替えることになっている石が、五百年替えられていない。
それで八つとも生きている方が、本当は驚くべきことだった。
仕様の三年は、五百年前の使い方を前提にした数字だ。今この区画で、誰がどの部屋の灯りをどれだけ点けるのかを、その数字は知らない。
「ニコ」
「はい」
「今、魔石があとどれくらい保つか、分かりますか」
「今の出力は照会できます。保つ期間は、算出できません」
「なぜですか」
「使用量の記録がないためです」
彼女は仕様を持っている。設備がどう作られ、どう動くはずかを、全部知っている。
持っていないのは、この五百年、それが実際にどう使われてきたかの方だった。
誰も使っていなかったのだから、当たり前だ。
リタさんが、掌の上で石を転がした。
「新しいのを八つ、都合しとく」
「お願いします」
「なあ。これ、次はいつ替えるんだ」
「……分かりません」
「あんたでも分からんのか」
「はい」
リタさんは、それ以上は訊かなかった。持ってきた魔石を握り締めて、機械室の階段を上がっていった。
壊れたものは、壊れたと言ってくる。灯りが点かない、戸が閉まらない、水が出ない。誰かが俺のところまで来る。
言ってこないものを、いつ見に行けばいいのか。
* * *
夜、部屋で魔道具を手に取った。
結局その日も、説明の言葉はまとまらなかった。
魔石をいつ替えるか決めるには、どれくらい使えば弱るのかを知らなければならない。
どれくらい使えば弱るのかを知るには、使った量と、石の状態を記録しておく必要がある。
当たり前の話だった。
元の世界では、何度もやってきた。
でも、ここには記録がない。
今日の出力は見た。
昨日は見てない。一昨日も見てない。
だから、出力の揺れを見ても、判断ができない。
窓の外を見た。
ついこの間、リタさんが板を外して、ガラスを嵌めていった。冬までに入れる、と言っていた。本当に、冬になる前にやってくれた。
街の方に、灯りが見える。
あの街には、五百年、同じものを保たせ続けている場所がある。
毎朝、日の出とともに当番の聖職者が中枢部屋へ入る。
決まった順に紋様を見て、最後に「異常なし」と唱えて、記録帳に印を記す。
誰が、いつ、何を見たのかを残す。
俺は、あの部屋に一週間ばかり立っていた。
灯りと記録帳を持って、隣に立っていただけだ。
あのときは、意味も分からないまま手順を守っているのだと思っていた。
違ったのかもしれない。
意味が分からなくても、毎日同じものを見て、同じように記録する。
それを五百年続けてきた。
俺がいま欲しいのは、それだった。
そして俺は、そこから自分で出てきた。
明日、街へ行く。
辞めた場所へ、教わりに行く。
気は重かった。重いだけで、迷ってはいなかった。




