22:住民登録
リタさんに頼まれて、魔道具を見ていた。小さな魔道具で、単純な術式が二つ入っていた。
摘まみを回すと中に魔力が流れて、それが身体強化の魔法に変換されるものらしい。
<デバッグ>で動きを見ていたら、トモが走って入ってきた。
「警告」
遅れて、ニコがやってきた。
「入口結界が、通行の要求を拒絶しました」
俺は魔道具を置いて、立ち上がった。
「また誰か来たんですか」
「はい。三人です」
入口へ出ると、見覚えのない三人が結界の前で足止めされていた。
先頭に立つ人は、日に焼けた腕を組んで、結界の膜をじっと睨んでいる。腰の道具袋には、槌と鑢が何本も差してあった。俺よりも背が高い。
「あんたが直したのか、あの温度の魔道具」
「作ったのはリタさんです。私は解析しただけで」
「リタってのは、工房のか」
「はい」
「聞いてる。噂の職人だろ。会わせてくれ」
名乗るより先に用件が来た。
「あなたは」
「ああ、悪い。ダグだ。街で鍛冶屋やってる。こっちの二人は弟子だ。ヤンとテオ」
弟子の片方が、結界の膜を興味深そうに指でつつこうとした。もう片方がそれを止めた。どちらがヤンさんでどちらがテオさんかは分からない。
ダグさんは、大柄な体を曲げて、俺の顔を覗き込んだ。
「あれ、どういう仕組みで動いてるんだ。魔道具の炉の熱、あんな小さいので何であんなにムラなく回るんだよ」
「中身の仕組みは話せますが、挙動に関してはリタさんでないと分かりません」
「あんたが、設計したのか」
「設計、というか、見ただけです。作ったのはリタさんで」
「それは知ってる。だから、会わせてくれって」
結界に弾かれて、それでも帰らずに待っている。リタさんが最初に来たときと、ずいぶん似ている。
弟子の二人は結界の膜を見て、小声で何か言い合っている。ダグさんはそれを気にする様子もなく、道具袋の紐を締めなおした。
リタさんをここに呼ぶか、この人たちを入れるか、少しだけ迷った。でもリタさんは工房で作業中のはずだった。手を止めさせたくなかった。
「一時的な通行の許可を出します。少し待ってください」
一度門に入ると、ニコがそこに立っていた。
「ニコ」
「はい」
「一時通行権限を発行します。三人です」
「承知しました」
門から出ると、三人はそのまま待っていた。
「南門から第一居住区と工房区画まで。設備の操作はできません。管理区画には入れません。有効期限は二十四時間です。それから、工具の持ち込みはできますが、設備には触らないでください」
三人の前の膜が薄くなった。三人が通ると、また戻る。
弟子の二人が振り返って、また小声で何か言い合った。
* * *
三人を工房まで案内した。リタさんはダグさんの顔を見るなり、炭を置いて立ち上がった。
ダグさんは、目をすがめてリタさんを見た。
「へえ、あんたが」
リタさんは何も言わなかった。それでも何かが噛み合ったらしい。
ダグさんがさっそく口を開いた。
「温度調節、ありゃ誰の設計だ」
「回路はあたし。中の理屈は、こっち」
「中の理屈? 中ってのはなんだ?」
「回路の中だ」
「だってそりゃ、完成術式だろう」
「そう。それでも見れるんだ、この男は」
二人とも、こちらを見ずに話していた。俺のことは、もう「理屈の出どころ」くらいにしか扱われていないらしい。それで構わなかった。
炉の焚き方、魔石の質、術式の組み方――交わされる言葉の半分も分からないまま、その場を離れた。
弟子の片方は、リタさんの工房の棚を端から順に覗き込んでいた。
もう片方は、ダグさんの隣で喋るリタさんを真剣な顔で見つめていた。
三人はこの日のうちに帰らなかった。工房の隅で寝ていたらしい。
朝のうちにニコがやってきて、報告してくれた。
「工房区画は、居住用途ではありません。睡眠は、居住区画でとるものです」
部屋は空いている。先に案内すれば良かった。
「ニコ」
「はい」
「昨日の三人の一時通行権限の期限を二十四時間延ばしてください」
「延ばすのですか」
「問題ありますか」
「いえ。承知しました」
本当は、二十四時間では足りない気がしていた。
リタさんと同類の人たちに見えた。だとすれば、次の行動も分かる。
ここに住む、という話が近いうちに出てくる。
住む人が増える。
だというのに、いつまで一時通行権限で誤魔化し続けるのか。
(住民登録)
その仕組みは、きっとあるはずだった。
顔を上げると、ニコはまだそこに立っていた。足元でトモが丸くなっている。
「ニコ」
「はい」
「住民登録という仕組みはありますか」
「住民登録、ですか」
「仕様に、あるはずです」
「はい、あります」
彼女は小さく首を傾けた。髪の青が揺れる。
「五百二年前に、登録が全件破棄されています」
「破棄」
「はい。それ以降、追加も削除もありません」
傾いた首が戻った。
俺は少し考えてから、口を開いた。
「その仕組みは、今も使えますか」
「はい。使えます。仕様どおりです」
「使いたいです」
ニコは瞬きをした。
「誰を登録しますか」
「まずはリタさんです。それから、九番のヨナスさん。あとは、五番の――」
そこで止まった。
「お名前は」
「……知りません」
「登録には名前が必要です」
「……はい」
そのとおりだった。必要なものを必要と言っている。
それだけに、返す言葉がなかった。
二階へ上がると、その人は戸を開けたまま床を拭いていた。子供二人が足元で何かを取り合っている。
名前を訊くというだけのことに、階段の途中で二度、言い方を考えた。
「あの。お名前を、教えてもらえますか」
床を拭く手が止まった。それから、少し笑われた。
「エマです」
「エマさん」
「はい」
子供二人の名前も訊いた。上がハンス、下がレニ。訊いたら、本人たちが同時に答えた。
十九人が来て、部屋が決まって、水を引き直した。
それだけのことがあって、それでも俺は、番号でしか呼んでいなかった。
「まずはリタさんです。それから、五番のエマさんと、六番ハンスくんと七番レニくん。九番ヨナスさん」
「住所は今の場所を引き継いでよろしいですか」
「はい」
「行動許可範囲は引き継いでよろしいですか」
「はい、それはそのままで」
「登録の取り消しについては規定しますか」
「それは……」
少し考えた。
「本人が出ていくと決めたとき。それを基本にしましょう。ただし、何か問題があれば、相談してください。そこは運用していく中で考えましょう」
「承知しました」
ニコはまだ立っていた。立って、俺を見ていた。
「一時的な受け入れという前提は、もう成立していません」
「はい」
「仮管理者が来てからの記録は、ずっと『緊急保守運用中』のままでした。一時的な例外として、処理してきたということです」
「はい」
「住民登録が動くと、その前提が保てません」
「保てなくて、いいと思います」
金色の目が、まっすぐこちらを向いた。
「承知しました。運用区分を変更します」
「区分を」
「はい。『緊急保守運用中』から、『住民登録済み都市』へ」
それは言葉だけの問題なのかもしれない。それでも何か、大きなことが決まった気がした。
少しぼんやりしていると、ニコがまた口を開いた。
「それともう一つ」
「なんでしょうか」
「仮管理者の住民登録がされていません」
言われて気づいた。自分のことは頭から抜けていた。
「私の住民登録も、お願いします」
「承知しました」
* * *
延ばした期限が切れる前に、ダグさんの方から来た。弟子二人を連れている。
俺の部屋の前で待っていたらしい。俺の顔を見るなり、道具袋の紐を締めなおした。話す前に手が動くのは、この人の癖らしい。
「あんた、ここの管理をやってるんだったな」
「仮の管理者です」
「どっちでもいい。ここに置いてくれ」
相変わらず、前置きがない。
「置く、というのは」
「住むってことだ。俺と、この二人」
後ろでヤンさんとテオさんが並んで頭を下げた。
「街のお店は」
「畳まん。あっちはあっちで回る」
「いいんですか」
「昨日、あいつの炉を見た」
「リタさんの」
「ああ。あんなもん、街じゃ組めん。場所がないんだ。魔力も足りない」
そこで、少し黙った。
「三十年、同じ炉で同じものを叩いてきた。悪い炉じゃない。悪い炉じゃないが、あれを見たあとで戻る気にはならなかった」
言い終わって、また道具袋の紐に手をやった。締めるところは、もう残っていない。
「分かりました」
「あっさりだな」
「一時通行権限のままだと、寝泊まりの説明がつかないので」
「なんの話だ」
「住民登録をします。居住区画に部屋を持てるようになります。工房で寝なくてよくなります」
ダグさんは眉を寄せた。
「そんなものがあるのか」
「もとからある仕組みです。五百年、使われていなかっただけで」
「五百年」
「はい」
「……あんた、さっきから何を言ってるのか分からん」
「すみません」
「謝るな。面白いって言ってんだ」
作業場の戸が開いて、リタさんが出てきた。炭を持ったままだった。
「聞こえてた」
「リタさん」
「置いときゃいいだろ。手が増える分には困らん」
「いいんですか」
「あたしが嫌なのは、下手な奴に居座られることだ。ダグは下手じゃない」
ダグさんが鼻を鳴らして、ヤンさんの頭を軽く叩いた。
ニコを呼んで、三人を登録した。
昨日は、運用区分を変えるところまで話が必要だった。今日は、名前と、部屋の場所を伝えただけで終わった。
「登録しました」
「……早いですね」
「はい。『住民登録済み都市』の運用ですので」
昨日までは、人が一人増えるたびに俺が決めていた。今日は決めるところがない。決めてあることを、決めてあるとおりに通しただけだ。
それでいい。そのためにある仕組みだ。
* * *
その週のうちに、二階の奥の部屋が食堂になった。
前からそこは、飯を食べる場所にはなっていた。でも、みんな床に座って食べていた。
そこをエマさんが片付けた。ヤンさんとテオさんがテーブルを持ち込んだ。ヨナスさんが椅子を直した。
俺もなんとなく、そこで食べるようになった。
自室で食べなくなったかわりに、部屋には机が一つ増えていた。誰が運び込んだのかは聞いていない。脚の一本だけ、色の違う木で継いである。
その日は、湯気の立つ鍋がテーブルの真ん中に置いてあった。エマさんが作ったらしい。干し肉と根菜のスープだった。
子供二人がエマさんに見守られながら、黙ってスプーンを口に運んでいる。ヨナスさんとダグさんが、炉の話で盛り上がっている。リタさんはヤンさんとテオさんに何かを言いながら、片手でスプーンを動かしている。
フィーネさんがやってきたのは、そんなときだった。
「いい匂い!」
エマさんが立ち上がる。
「フィーネさんも食べますか」
そして答えを聞く前にもう、器にスープを盛り付けた。
フィーネさんは器とスプーンを受け取ると、俺の隣に座った。
「賑やかになったね」
「そうですね」
彼女はスプーンを口に運んで、咥えた。
「美味しい!」
「はい」
ふと、スプーンを置いて、隣のフィーネさんを見る。湯気に当たった頬が、うっすらと色づいている。
彼女はここの住民ではない。それは彼女の選択だ。俺が何か言えることじゃない。
でも今は、彼女に一時通行権限しか渡せないことが、少し寂しいような気がしていた。




