21:ここにすみたい
リタさんが言っていたとおり、雨がちの天気になった。もうすぐ雪が降って、冬になる。
街の住居の建て直しは、冬が来る前に終わりそうだ、とフィーネさんが教えてくれた。
「集合住宅の方、修繕が終わるみたい。あと数日で、みんな戻れるって」
「そうですか」
最初は冬を越す想定もしていた。修繕に携わった人たちは相当急いだのだろう。
それでも崩落から数えて、もうそれなりの日数が経っていた。
廊下に人が増え、水が足りなくなり、水の管を引き直した。出入りの許可は三十日ごとと決めていたのに、それでも終わる日が来ることをあまり考えないでいたことに気づいた。
「戻る人は、戻るんですよね」
「うん。もともと、そういう約束だったから」
「はい」
「シュウさんは、それでいいの?」
いいも悪いもない。最初からそういう話だった。避難民の受け入れは、街の住居が直るまでの一時的なものだと、ニコにもそう説明してある。
「私が決めることではありません」
「そうかなあ」
「はい。私はあくまで、仮の管理者でしかないので」
フィーネさんは困ったような顔をした。
受け答えを何か間違っただろうか、と考えたけど、やっぱり分からなかった。
* * *
それから数日、廊下で見送りの声を聞くようになった。朝、荷物をまとめる音がして、昼前には静かになる。それが毎日、少しずつ繰り返された。
初日は、十四番の人だった。朝のうちに荷物をまとめて出ていった。
「世話になったな」
「いえ」
「仕事、今日から街の方だ。日雇いは、家からの方が近い」
「そうですか」
それだけで、階段を下りていった。振り返りもしなかった。
次の日は、別の家族が、荷物より先に鉢を運び出していた。三階の踊り場に置いてあった、あの欠けた鉢だ。
「これ、うちの子が植えたやつなんです。持って帰らないと」
「花、咲くといいですね」
「はい。冬が終わったら、咲くんです」
その隣の部屋も、同じ日だった。
玄関先で、あの子がトモの頭を撫でていた。トモは撫でられるだけ撫でられて、素っ気なく尻尾を振った。子供が笑うと、トモはさっさと廊下の奥へ歩いていってしまった。
父親の腕には、まだ添え木があった。
その次の日、荷物を担いだ人が声をかけてきた。子供を連れた、日焼けした人だった。
「あんたが直したんだろ、水」
「私一人ではありません。動かしたのは私ですが、管を直したのは――」
「聞いてる聞いてる。ともかく、助かった。ここがなかったら、この子、どこで寝ることになってたか」
深々と頭を下げられた。今度は、不具合を直しただけです、とは言わなかった。言わなかったが、代わりに何を言えばいいのかは、結局分からないままだった。
「……お気をつけて」
それだけ言うのが精一杯だった。
四日目に、通りの向こうの棟へも回った。こちらは一人で住んでいる人ばかりで、荷造りも早い。
その一人が、手を止めて廊下の壁に目をやった。
「ここ、快適だったよ。いっつも暖かい空気があってさ」
「……はい」
「本当に、ずっと住みたいくらい」
「そうですか」
これから出ていく人に、住みたいと言われた。
反応に困っていると、その人は笑った。
「いや、向こうに仕事あるからさ。でも、ここ、快適だったよ」
そして、荷造りに戻った。
俺は返事をし損ねたまま、頭を下げて立ち去った。
四日で、十一部屋が空いた。廊下はその分だけ静かになり、三階の踊り場の鉢は無くなった。
不具合が発生する頻度も、減った。
* * *
五番の人の子供二人は、廊下を走り回るのをやめなかった。他の家族がいなくなったのに、変わらず騒がしい。
ある日の夕方、廊下の隅で、下の子が木箱の切れ端を積んでいるのを見かけた。上の子はそれを横から手伝って、崩れないように石を重しに乗せている。ずいぶん本格的だった。
(土台が細い。あれは荷重に耐えない)
思ってから、子供の積み木相手に何を検証しているのかと、自分に呆れた。
近づいて、腰を曲げて覗き込む。
「何をしてるんですか」
「おうちつくってるの」
「……そうですか」
「ここにすみたい」
下の子に続いて、上の子が当然のような顔で頷いた。
「うん、俺も」
子供の話には脈絡がない。それにあまりに簡単に言った。
「ここに、ですか」
聞き返してしまったら、子供たちはこちらを見上げて口々に喋り始めた。
「うん。みず、すぐでる」
「部屋もあったかいし」
「あかるい」
「困ったことあっても、すぐ直してもらえるし」
それでも、この場で「いいですよ」とは言えなかった。
それを決めるのは、この子たちの母親だろう。
そしてその夜、五番の人が改めて訪ねてきた。前に会ったときより、少し疲れた顔をしていた。
「うちのこと、なんですけど」
「はい」
「街の家、直ったので、戻ろうと思えば戻れます」
「はい」
「でも、残ってもいいですか」
少し間を置いてから答えた。
「私が決めることではありません。でも、ここにいてはいけない理由もありません」
「……それ、いいってことですか?」
「はい」
五番の人は、少し笑った。今日初めて見る顔だった。
「子供が、ここがいいって言うので」
「理由は、それだけですか」
「それだけじゃ、だめですか」
「いえ」
「……本当は、わたしもです」
その人は、少し目を伏せた。
「街の家、二階なんです。夜中に水汲みに下りるの、正直こわかった。子供の話ばかりしましたけど、あれ、わたしもつらかったんです」
俺が決めることではない、と言った。
駄目な理由は思いつかなかった。
本当にそれだけでじゅうぶんなのかは、分からなかった。
それでも、言ってしまった。
「駄目じゃないです」
「良かった。ありがとうございます」
俺は何も決めていない。
だから、お礼の意味は分からなかった。
管の並びを見に行くと、地下でヨナスさんが継ぎ目を叩いていた。かんかんと乾いた音がする。
「ヨナスさんは、戻らないんですか」
「戻る理由がない。女房も子もいない。仕事は、ここでも死ぬほどある」
四本目の先は、まだ死んだままだ。
管に手を当てた。
給水系統:正常
送出上限:120
三本ぶんで百二十。人が減るのだから、当面はこれで足りる。
「継ぎ手さえあれば、あと一日で活きる」
「材料は」
「リタに頼んである。金は立て替えてもらうことになった」
もう決めているような口ぶりだった。管を叩く手も止まらない。
試しに、俺も管に耳を近づけて叩いてみた。かん、と鳴るだけで、何も分からない。
「分かるか」
「……分かりません」
ヨナスさんは豪快に笑った。
「だろうな。何年かかると思ってんだ」
作業場へその話をしに行くと、リタさんは炭を持ったまま鼻を鳴らした。
「ヨナスの爺さん、居着く気か」
「そうみたいです」
「まあ、あの人の腕は本物だ。材料もまとめていろいろ頼まれた」
「いろいろ」
「戻った奴の部屋まで直すらしい。律儀な爺さんだよ」
リタさんは、また炭を動かし始めた。
「ま、修理を爺さんがやってくれるなら、あたしはこっちに集中しやすくなって、ありがたいね」
人が増える中で、リタさんにもだいぶ動いてもらった。
お礼を言いたかったけど、リタさんはもう集中している横顔になっていた。
* * *
最終的に、街へ戻ったのは十五人。残ったのは、五番の人とその子供二人、ヨナスさんの四人だった。二十一人だった暮らしが、六人にまで減る。
残ることになった人数をニコに伝えると、少し間があった。
「一時的な受け入れの期限は、いつまでですか」
「決めていません」
「……仕様上、一時的の定義には期限が必要です」
「今は、決めていません」
「そうですか」
それ以上は追及されなかった。ただ、金色の目が、いつもより長くこちらを見ていた気がした。何か言いたいことを飲み込んでいるような間だった。
その日の夕方、フィーネさんがまた顔を出した。残る人がいるという話をしたら、知っていたみたいで、あっさりと頷かれた。
「うん、聞いてる。四人残るんでしょ」
「はい、そうなりました」
フィーネさんは、部屋の隅を見た。彼女の私物が置いてある一角だ。
上着、鞘の手入れ用の油、丸まったままの布。この前まであった水筒は無くなっている。中身は入れ替わるのに、その一角そのものは、いつからか無くならない。
そのまま、彼女は黙った。
以前彼女は、ここに引っ越すのはできないと言った。守備隊の仕事があるからだ。
それを知っていたから、俺は何も言えなかった。
しばらくして、フィーネさんは明るい顔で振り向いた。
「子供たち、やっぱり走ってる?」
「走ってます」
「危なくない?」
「ヨナスさんに、割れた石畳を直せるか、訊いてみます」
「それがいいと思う」
フィーネさんは手を振って帰っていった。上着を一枚、置いたままだった。
俺はやっぱり、それを片付けられないままだ。
夜、廊下を歩いた。
人が減ったぶん、静かになっているはずだった。なのに、二階の踊り場では、まだ子供の足音がしている。誰もいなくなった鉢の跡には、また何か置かれるかもしれない。
リタさんは、今日は工房に行くと言っていた。
地下へ下りると、ヨナスさんはもういなかった。
四本目の先まで、管が繋がっていた。
もう一系統、動かした。管の奥で水が動き出す音がして、それから静かになった。
送出上限:160
一系統で四十。四本ぶんで百六十。
六人で百六十なら、当分は使い切らない。
ここで暮らしたいという人たちがいる。
でも、その人たちはニコから見ると一時通行権限を持った人たちでしかない。
長いことここにいるリタさんですら、来客のままだ。
その状態は、やっぱり正しくない。




