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19/51

19:だったらこっちから水路を引けるぞ

 暗いうちに起きた。

 どのくらい暗いうちなのかは分からなかったので、二度起きた。一度目は早すぎて、廊下に誰もいなかった。もう一度寝て、次に起きたときには、下の階でもう物音がしていた。

 三階の奥の部屋で、水の口に手を当てた。


   給水系統:正常


 昨日と同じだ。摘まみを回すと、出る。

 戸口に立って、そのまま待った。

 一つ目の扉が開いたのは、それからすぐだった。この階に部屋は三つある。出てきた人は俺を見て、少し驚いた顔をして、会釈をして階段を下りていった。会釈を返した。

 こんな時間にこんなところで突っ立っている人間は、たしかに怪しい。

 二つ目の扉。出てきた人は子供を抱えて、片手で桶を持っていた。手伝おうかと思ったが、声のかけ方が分からなかった。

 下の階で水を使う音が重なり始める。

 もう一度、手を当てた。


   給水系統:正常

   送出上限:40

   現在:31


 数字が出た。

 昨日までは出なかった。誰も使っていない時間に見ていたからだ。上限を訊いても、上限に近づいていなければ、それはただの数字でしかない。

 三十一。四十のうちの三十一。

 下で、また摘まみが回る音がした。


   現在:38


 もう一つ回った。


   現在:40


 摘まみを回した。

 出なかった。

 滴が二つ落ちて、それきり止まった。


   給水系統:正常


 正常だった。

 上限まで出していて、それ以上は出せない。出せないことを、この系統は異常だと思っていない。決められた量をきちんと出しているのだから、正常で合っている。

 しばらく、その場に立っていた。


 三つ目の扉が開いた。桶を提げた人が出てきて、俺の横で摘まみを回した。

 出ない。

 その人は、もう一度回してみることもしなかった。桶を提げたまま、階段の方へ行った。


 やがて下の階の音が減って、摘まみを回すと、また出た。


 朝が明けきってから、廊下の突き当たりでニコを呼んだ。


「給水系統は、いくつありますか」

「四系統です」

「動いているのは」

「一系統です」

「……はい」


 分かっていた。分かっていたが、口に出されると別だった。

 水の系統は区画ごとだ。その後で棟ごとに分かれる。棟の弁を開けたところで、水の出どころは同じ系統のままだ。

 この遺跡へ来た日、俺は水を一系統だけ動かした。飲めるかどうかをニコに確かめて、飲んで、それで満足した。翌日も、その次の日も、増やす必要がなかった。

 一人だったからだ。

 その後も足していない。リタさんが来て二人になり、十九人が来て二十一人になっても、水は一系統のままだった。誰も文句を言わなかったので、俺は確かめることすらしなかった。


(水を使う時間が重なっているのは、何日も前から見ていた)


 壊れていない。設計も悪くない。

 四系統あるものを一系統しか動かさなかった人間がいる。そして、壊れていないからと後回しにしていた人間がいる。それだけの話だ。

 その人間は、毎朝、誰よりも遅く起きていた。


 * * *


 その日の昼、二階の飯を食う場所へ行った。

 昼にいるのは、日雇いの仕事にあぶれた人と、子供を預かっている人だけだ。親は交代で出ていくらしい。

 入っていくと、また声が減った。減ったが、今度はこちらから口を開いた。


「朝の水のことで、話があります」


 大人の顔が三つ、こちらを向いた。子供が五人、そのまま食べ続けている。

 言うことは考えてきた。考えてきたのに、最初の一言でつかえた。


「壊れていませんでした」


 誰も何も言わない。まずい言い方だ、と思った。文句を言った側からすれば、嘘をつかれたように聞こえる。


「壊れていないんですが、足りていません。水を送る仕組みが、一人ぶんしか動いていませんでした。最初に動かしたきり、手をつけていませんでした」

「……あんたが」


 九番の人だった。飯の途中で、スプーンを持ったまま俺を見ている。


「はい。四つあるうちの一つしか動かしていません。二十一人で使う量ではありませんでした。増やせば、朝も出ます」

「増やせるのか」

「動かすところまでは、私にできます。ただ」


 そこで止めた。止めたが、続けるしかない。


「残りの三系統は、途中の水路が生きているかどうか分かりません。管が抜けていたり、割れていたりすると、私には直せません」


 言い終わって、少し待った。

 誰かが「じゃあ駄目じゃないか」と言うだろうと思っていた。

 言われなかった。かわりに、九番の人がスプーンを置いた。


「見せてくれ」

「え」

「管の話だろ。俺は水路をやってた」


 六十近い人だった。腕が太い。手の甲に、古い傷が横に走っている。


「街で二十年、水路の敷き直しをやってた。潰れた家の下にも一本入ってる。あれも俺が入れた」


 言い方は淡々としていた。それだけ言って、あとは続けなかった。


「……お願いできますか」

「食ったら行こう」

「お仕事は」

「今日は取れなかった。日雇いってのはそういうもんだ」


 * * *


 地下へ下りた。

 機械室のさらに奥に、水の管が四本、壁沿いに並んでいた。手前から一本目、二本目、三本目、四本目。どれも同じ太さで、しばらく並んで走ってから、それぞれ別の方へ折れて暗がりへ消えている。

 動いているのは手前の一本だけだ。残りの三本は乾いていた。

 俺が系統を動かし、その人が管を追った。

 やり方が違った。俺は手を当てて切れているところを探す。二本目は無事だった。三本目と四本目には、物理破損の文字が出た。

 その人は、管を叩いて音を聞く。詰まっているところと、抜けているところで、音が違うのだそうだ。


「二本目は生きてる。三本目は、この先で抜けてるな」

「音でですか」

「音でだ。あんたのはどうやってる」

「……見えます」

「そうかい」

「信じますか」

「信じるも何も、二本目は生きてるって言ったのは、あんたが先だ」


 それで納得したらしい。互いに、相手のやり方の中身は分からない。分からないまま、突き合わせると答えが早い。


 二本目を動かした。壊れていないものは、呆気ないほど早く動く。


   送出上限:80


 これで倍だ。朝の列も、たぶん捌ける。

 たぶん、で止めておくのが、今朝までのやり方だった。


 三本目の抜けている場所まで行くと、管が一本、根元から外れていた。その先は乾いたまま、奥へ続いている。

 四本目は、そこから二歩ほど離れたところを、同じ向きに走っていた。


「直せるが、継ぎ手が要るな」

「街で買えますか」

「買えるが、高い」


 その人は、しばらく管の並びを眺めていた。それから、俺の方を見ずに言った。


「こっちの死んでる四本目、途中まで管が生きてるだろ」

「はい」

「三本目の抜けてる先と、そんなに離れてない。だったらこっちから水路を引けるぞ。継ぎ手一個で済む」


 しゃがんで、床の石を指でなぞる。線を引くように。

 石の下をどう通っているかは、俺には見えない。<デバッグ>に映るのは系統であって、管の道筋ではない。


「ここをこう通す。上がり口はそのままでいい」


 繋ぎ替えるという考え方は、知らなかったわけではない。元の世界ではよくやった。システムの話だが、壊れたところを直さずに、生きている経路へ回して、外から見える形だけ元のままにしておく。

 なのに、今は思いつきもしなかった。

 管は物理だ。物理は俺の領分ではない。そう決めた時点で、俺はこの四本について考えるのをやめていた。

 どれが生きているかは、俺の方が先に言っていたのに。

 直せないものと、考えなくていいものは、別だ。


「できますか」

「二人いれば一日だ」

「二人目は」

「探してくる。通りの向こうの棟に、荷運びで腰やった奴がいる。あいつ、細かい仕事はできる」


 そのまま階段を上がっていって、しばらくして本当にもう一人連れてきた。


 三人で始めてしばらくすると、階段の上に足音がした。

 リタさんが下りてきて、腕を組んで俺たち三人を眺めた。


「うるさいと思ったら」

「すみません」


 リタさんは肩をすくめただけだった。目はもう、管を直している九番の人に向いている。


「……あんた、水路か」

「そうだ」

「継ぎ手は」

「明日、街で買う」

「寸法だけ言え。うちに転がってるかもしれん」


 九番の人が寸法を言った。リタさんは頷いて、それきり何も言わずに階段を戻っていく。

 三段ほど上がったところで、足が止まった。


「音で見てるのか」

「音でだ」

「……ふうん」


 それだけ言って、今度こそ行ってしまった。

 あの「ふうん」は、たぶん興味のある方の「ふうん」だ。


 しばらくして、また足音がした。

 リタさんが布包みを持って下りてきて、突き出すようにした。


「これでいけるか」


 九番の人が包みを開いて、継ぎ手を手に取り、管の口へ当てた。


「いけるな」

「持ってけ」

「いくらだ」

「いらん。転がってたやつだ」


 今度は振り返らずに上がっていった。

 その日のうちに、三本目と四本目が繋がった。

 礼をどうすればいいのか分からなかったので、金の話をした。二人とも、聞かなかったような顔をした。


「自分らが使う水だぞ」


 それで終わりだった。


 三階まで上がって、摘まみを回してみた。


   給水系統:正常

   送出上限:120

   現在:4


 一本目と二本目で二本。三本目と四本目は繋いで一本になったので、合わせて三系統ぶん。

 一系統で四十だったから、三系統で百二十。

 四本目の先はまだ死んでいる。そこまで直せば、もう一本ぶん増える。

 要るかどうかは、明日の朝の数を見れば分かる。


 帰り際、階段の下でその人が振り返った。


「あんた、名前は」

「相楽修です。修が名前です」

「シュウか。俺はヨナスだ」


 九番の人ではなくなった。

 それだけのことなのに、廊下を戻るあいだ、なぜか歩くのが少し速くなっていた。


 翌朝も、暗いうちに目が覚めた。

 廊下へ出て、三階まで上がって、水の口に手を当てた。


   送出上限:120

   現在:58


 五十八。

 下の階で水を使う音がして、数字が上がって、また少し下がる。上限にはまだ遠い。

 摘まみを回すと、出た。

 誰かが来て、俺の横で摘まみを回した。水が出て、会釈をして行った。それだけだった。

 困っていない人は、何も言わない。

 それでいい。


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