16:面倒なのが目的です
翌朝、ニコを機械室へ呼んだ。
こういう話は廊下で立ってするものではない、と思ったからだ。
下りてみると、作業台の上には何も無かった。工具箱も、炭のかけらも、削りかけの金具も、上の作業場へ移っている。機械室は保守作業のための場所であって物を置く場所ではありません、と言われたとおりの状態に戻っていた。
椅子を引いて座った。ニコは座らなかった。座る必要が無いのだと思う。
「昨日の話です」
「はい」
「人を入れます。何人になるかは、まだ分かりません」
「認証を経ない立ち入りは、想定されていません」
「そこを、どうにかしたい」
ニコは少し黙った。
昨日と同じ言葉が返ってくるものと思っていた。返ってきたのは違う言葉だった。
「理由を申し上げてもよろしいですか」
「……ぜひ」
声が少し上ずったかもしれない。
ニコが理由を先に言おうとしたのは、初めてだった。
「認証は、外の者を拒むための仕組みではありません」
「違うんですか」
「結果としてそう働きますが、目的は別です」
彼女は壁の方を指した。指の先には何もない。たぶん、この建物の外側を指している。
「火が出た場合。水が止まった場合。外周が破られた場合。施設は、いま中に何人いて、どこにいるかを把握している必要があります」
「……」
「把握できない者は、数えられません。数えられない者は、助けられません」
しばらく、何も言えなかった。
入口を守るための仕組みだと思っていた。逆だった。中にいる人間を数えるための仕組みで、数えるには誰かを特定しなければならない。だから門で確かめている。
順番が逆に見えていたのは、俺が外から来たからだ。
「ニコ」
「はい」
「昨日のうちに言ってくれれば」
「昨日は、理由を訊かれていません」
そのとおりだった。
俺が昨日訊いたのは、認証をどうやって通すか、だった。
「では、訊き方を変えます。フィーネさんとリタさんは、どういう扱いになっていますか」
間は短かった。
「一時通行権限です」
「……名前がついているんですか」
「はい。住民でない者のための種別です。範囲と操作と期限を指定して発行します」
範囲と、操作と、期限。
俺が毎回言っている三つだった。
南門から第一居住区までは通れる。設備の操作はできない。有効期限は二十四時間。
あれは俺が決めた条件だと思っていた。
決めたのは中身だけで、何を決めるのかは、五百年前にもう決まっていた。
* * *
門まで歩いて、入口の操作盤に手を当てた。ニコが横に立っている。
認証機構:正常
正式管理者:不在
仮管理者:1
一時通行権限:2
二件とも、俺が出したものだ。フィーネさんと、リタさん。
名前のついた欄に並んでいるのを見たのは、初めてだった。
一時通行権限。一時、通行。住民でない者。つまり、客の欄だ。
リタさんの期限は、あと十九日ある。最後に延ばしたのは荷車が着いた日で、あの日、俺は彼女の荷を運び込みながら、彼女を客として三十日先まで延ばしていた。
住んでいる。工房も構えている。工具箱は五つに増えている。
(……なのに、ずっと客のままだった)
あとで考えることにした。先に決めることがある。
「一時通行権限を、人数分まとめて出します。条件は全員同じにします」
「条件をお願いします」
指を折りながら言った。最初にフィーネさんへ出したものを、そのまま骨にする。
「範囲は、南門から居住区まで。通れる建物は指定します。機械室と管理区画には入れません」
「承知しました」
「設備の操作はできません」
「使用は含まれますか」
「含みません。水は出せますし、灯りも点きます。系統に手を入れることができない、という意味です」
「承知しました」
「有効期限は三十日。切れる前に、こちらから延ばします」
そこでニコが顔を上げた。
「延長を前提とされますか」
「はい」
「期限を長く取る方が、手間は少なくなります」
「少なくなりますが、やりません」
言ってから、説明が要ると思った。
「半年の期限を出すと、半年は誰も見直しません。三十日なら、三十日ごとに全員を数え直すことになります。面倒なのが目的です」
ニコは数秒黙って、それから言った。
「……理解しました」
「あと一つ。誰が何番を持っているかは、こちらには入れません」
「把握が必要だと申し上げました」
「はい。番号は施設が持ちます。番号と名前の対応は、守備隊が紙で持ちます」
ニコが瞬きをした。
「なぜ分けるのですか」
「私が名前を集める立場ではないからです」
口にして、自分でも納得できた。
俺はこの街の人間ではない。誰が何という名前で、どこの誰の家族なのかを、俺が名簿にする筋合いはない。施設は何番が入ったかを知っていればいい。その番号が誰かは、街の側が持つ。
「非常時に、番号だけでは名前が分かりません」
「そのときは、紙を持っている人間を呼びます」
「その者が不在の場合は」
「……」
言葉に詰まった。
もっともな指摘だった。しかも、そのもっともさが、俺の逃げ道を正確に塞いでいた。
「紙を二部作ります。一部は守備隊が、一部はこちらに置きます」
「施設の記録には入れないのですね」
「入れません。紙のままです。読むのは人です」
ニコは少し黙った。
「完全ではありません」
「はい。完全ではありません」
「承知しました」
* * *
昼過ぎに、フィーネさんが来た。
条件を四つ、順に言った。彼女は最初の二つで頷いて、三つ目で首を傾げた。
「三十日で切れるの?」
「切れます。切れる前に延ばします」
「それ、忘れたらどうなるの」
「入れなくなります」
眉が寄った。
「困らない?」
「困ります。だから忘れません」
「忘れたら困る仕組みにしてるってこと?」
「そうです」
フィーネさんは、しばらく俺の顔を見ていた。
「シュウさん、けっこう意地悪だね」
「そうでしょうか」
「うん。でも、分かった」
紙を作ることも引き受けてくれた。番号と名前を書くのは自分がやる、と。彼女は書ける。俺は書けない。
それから、少し声を落とした。
「入れる人、こっちで選ぶことになるよね」
「そうなります」
彼女は紙の端を指で折った。
「基準、決めた方がいいと思う」
「はい」
「わたしが決めると、たぶん、わたしの知ってる人から入れちゃう」
静かな言い方だった。
そうすると自分で分かっているから、先に言っている。
「教会に決めてもらうのはどうですか」
「コンラート様に?」
「入りきらない人の名簿を持っているのは、あちらなので」
「……そうだね。その方がいい」
彼女が街へ戻ったあと、南門から居住区まで歩いた。
通れる範囲を決めるなら、その範囲を自分の足で確かめておきたかった。
門を入ってすぐは草地だ。膝まである。その下に石の縁が埋まっている。
草は、通り道のぶんだけでも刈った方がいい。俺でもできるが、道具が必要だ。
通りまで来た。石畳は割れているところがある。角が二つ、暗い。水路の蓋が一枚外れていた。
子供は走る、とフィーネさんが言っていた。俺の乏しい子供のイメージでも、走ると思った。
蓋を戻して、暗い角の灯りを二つ点けた。範囲に入れる以上、範囲の中は歩けるようにしておく。
でも、割れた石畳は、俺には直せない。
その夜、作業場へ行った。
リタさんは炭で図を引いていた。顔も上げずに聞いていたが、人数のところで手が止まった。
「何人だって」
「まだ決まっていません。十人は超えます」
「作業場の上にか」
「それと、通りの向こうの棟です。三日で直します」
「三日」
「はい」
「寝ろよ」
「寝ます」
彼女は炭を置いて、それから面倒くさそうに立ち上がった。
「戸と窓は、あたしがやる。灯りだけ点いても、冬に住めん」
「……いいんですか」
「暇じゃないがな」
断る理由が思いつかなかった。
この人はたぶん、俺が三日で倒れると踏んでいる。踏んだうえで、倒れない側に手を貸すつもりでいる。
礼を言うと嫌がられるので、言わなかった。
部屋へ戻る前に、門まで歩いた。通行の許可の一覧を、もう一度見た。
二件。あと数日で、十いくつになる。
番号だけが並ぶ。名前は無い。名前は街が持つ。
それでいいはずだった。
それでいいはずなのに、一つ引っかかっている。
工具箱を五つ置いて住んでいる人が、いまだに来客扱いになっている。
それは、たぶん正しくない。




