15:該当者の認証はどのように
二日後、また街へ出た。
買い足すものがあったのは本当だが、それだけでもなかった。あの通りがどうなったのかを、見ておきたかった。
崩れた建物の前には縄が張られていた。瓦礫はまだ半分も片付いていない。壁際に、拾い出された家財が並べてあった。濡れた寝具。柄の折れた鍋。片方だけの靴。
持ち主が取りに来るまで置いておくのだと、誰かが話しているのが聞こえた。
教会の前を通ったのは、たまたまだった。
人がいた。
石段に座り込んでいる者、荷を抱えて立っている者、子供を膝に乗せて壁にもたれている者。門の内側にも外側にもいて、内と外で数が変わらない。
数えようとして、途中でやめた。
やめたのは、数えられなかったからではない。数えたところで、俺にできることがないからだ。
石段の端に、見覚えのある人がいた。
二日前、俺に子供を預けた人だった。その子供が、膝の上で眠っている。隣に男の人が座っていて、片腕に添え木が当たっていた。亭主がまだ中なの、と言っていた、たぶんその人だ。
揃って生きていた。生きていて、行くところが無かった。
その人は俺を見なかった。覚えていないのだと思う。あのとき彼女が見ていたのは、崩れた建物の方だけだ。
「サガラさん」
呼ばれて振り返った。
コンラート司祭だった。
法衣は襟元まできっちり留まっている。髪も整っている。ただ、顔は別人のようだった。目の下が落ちくぼんで、白目に細い赤が走っている。
俺は軽く頭を下げた。
「ご無沙汰しています」
「こちらこそ。あのときは、こちらの手配が行き届かず」
「いえ」
俺が倒れて宿舎で寝込んだときの話だ。
この人は、何日も寝ていない顔で、済んだ話を先に詫びた。
落ち着かなくて、話を変えた。
「収容は、教会の仕事なんですか」
「そうです。宿坊と講堂を開けています」
「足りていますか」
コンラート司祭は、少しだけ黙った。
それから、事実だけを置くように言った。
「火の入る部屋で寝かせられるのは十四人です。今朝の時点で、行き先の無い方が三十九人います」
二十五。
数字はすぐ出た。出たところで、やはり俺にできることは何もない。
何もないというのに、何か言わずにはいられなかった。
「水は足りていますか」
「……」
「すみません」
「いえ。あまり訊かれない質問でしたので」
彼の目が、初めてこちらを見た気がした。
「足りていません。井戸が一つなので、朝は列になります」
「そうですか」
「順に手当てします。方々に当たっていますので。失礼します、呼ばれておりますので」
実際、さっきから若い聖職者が三度、彼の名を呼んでいた。
彼は一礼して、法衣の裾を捌いて歩いていった。歩き方までまっすぐだった。
俺は教会を辞めた人間で、この人の部下でも同僚でもない。少し立ち話をしたというだけだった。
* * *
市で買い物を済ませて、門の方へ戻る途中で、フィーネさんに会った。
いや、会ったというより、探されていたらしい。向こうから走ってきた。
「シュウさん!」
「勤務中では」
「交代した。ちょっといい?」
右手に布が巻いてあった。巻き方が雑で、結び目が甲の上に来ている。片手で巻いたのだと分かった。
いい、と答える前に、彼女は言った。
「遺跡って、空いてる部屋、あるよね」
その質問は、どこかで想定していたものだった。
教会の石段を見たときから、頭の隅でいろんなものを数えていた。
「あります」
「じゃあ」
「ただ、使える状態のものは少ないです」
彼女の顔が、少し止まった。
「使える状態、って」
「灯りがついて、水が出て、冬に凍えない部屋です。それ以外は、埃をかぶった石の箱です」
「……いくつ?」
「六部屋です。詰めれば、十人ちょっと」
俺の部屋と、リタさんの部屋と、作業場を除いた数だ。この階はそれで埋まっていて、二階と三階に三つずつある。リタさんが越してきたとき、棟をまとめて直した。使っていない部屋にも灯りと水は来ている。
「それじゃ足りない」
「はい」
「三十九人いるの」
「知っています。さっき聞きました」
フィーネさんが、少し目を見開いた。それから、腰に手を当てた。
「シュウさん、もう数えてたんだ」
「数えただけです」
数えることは、誰にでもできる。
「増やせる?」
「増やせます。同じ区画に、まだ手をつけていない建物があります」
「どのくらい」
「一棟直せば、九部屋です。ただ」
そこで言葉を切った。
言いたくないわけではなく、言い方が分からなかった。
「前に一棟直したとき、一度倒れています」
フィーネさんが黙った。
この前、それを聞いて怒った人だ。
「三日ください。三日あれば、もう一棟は増やせます。無理をすれば二日ですが、倒れると、そのあとが止まります」
「……三日」
「はい」
「じゃあ三日で」
倒れる、という言葉に一拍だけ反応して、それから、三日を選んだ。
二日でいい、とは言わなかった。
「あと、決めておきたいことがあります」
「なに」
「いつまでですか」
言ってから、冷たく聞こえたかもしれないと思った。追い出す日を先に決める話に聞こえる。
「街の住居が直るまでです。それがひと月なのか、半年なのかで、こちらの準備が変わります。詰めてもらうのか、部屋を増やすのかが違うので」
「……ああ」
彼女は少し考えて、それから首を振った。
「分かんない。大工が入って、瓦礫を出して、それから建て直しでしょ。冬が来るし」
「では、冬を越す前提で考えます」
「うん」
「戻れるようになったら、戻ってもらいます。そのつもりで受け入れます」
言い切ってから、自分の言葉を疑った。
俺が決めていいことなのだろうか。
あそこは俺の家ではない。住み始めたのは、直したら住めそうだったからであって、誰かに許されたからではない。ニコは俺を仮の管理者と呼ぶ。仮というのは、いつか本物が来るという意味だ。
その仮の人間が、行き場の無い三十九人のうちの何人かに、冬を越す場所を約束しようとしている。
* * *
街道を歩きながら、頭の中で数を並べ直した。
部屋が六つ。三日で一棟。水は出るが、食事はどうすればいいのか。掃除は。人の割り振りは。
崩れた建物の壁際に並べてあった家財を思い出した。濡れた寝具と、柄の折れた鍋と、片方だけの靴。
あれを取りに来る人たちが、遺跡へ来る。
つまり、寝具から要る。
(……いや、全部はできない)
約束するのは、俺の一存で決められる範囲までだ。灯りと、水と、温度と、部屋。それ以外は約束しない。約束できるものだけを、はっきりさせておく。
そう考えたら、少し落ち着いた。
それでいいのかと思ったが、それしかできないので、それをやるしかない。
リタさんにも言わないといけない。作業場の周囲が急に賑やかになる話だ。たぶん、面倒くさそうな顔をして、それから、頼んでいないことまでやってくれる。
門をくぐると、通りの先にニコが立っていた。
呼ばずに済んだ。通りまで足を速めた。
「ニコ」
「はい」
「人が来ます」
「何名でしょうか」
「三十九人います。ただ、全員はまだ無理です。入れられるだけになります」
「登録は」
「していません、まだ」
少し、間があった。
昨日までとは違う種類の間だった。
「該当者の認証はどのように」
「これから考えます」
「認証を経ない立ち入りは、想定されていません」
「知っています」
知っている。この施設は、誰かを確かめてからでないと通さない。五百年、そうやって誰も通さなかった。
そこへ、名前も知らない人間を通そうとしている。
「明日、相談させてください」
「承知しました」
ニコはそう言って、それきり何も言わなかった。
反対されなかった。賛成もされなかった。
どちらでもないまま、彼女は俺の半歩前を歩いて、居住区の方へ戻っていった。




