13:照会がありませんでした
その夜は、あまり眠れなかった。
規則には理由が書かれていない。書かれていないものは読めない。<デバッグ>は動いているものしか見せてくれず、居住区の系統は全部正常だ。手詰まりだった。
寝返りを打ったところで、昼間のリタさんの言葉が戻ってきた。
――炉の跡が六つ並んでる。煙を抜く穴も、水も、石を捨てる場所もあった。
俺は、それを聞き流していた。
あれは、あそこに何があるかを数え上げていたのだ。
あの区画にあるものの一覧は、そのまま、この区画に無いものの一覧でもある。
規則は読めない。だが、二つの場所を比べることはできる。動いているものなら、どちらも見える。
夜が明けるのを待って、廊下の突き当たりの操作盤に手を当てた。
昨日は状態を見た。今日は違うことを訊いた。この区画は、どこまで持つのか。
供給系統:正常
供給上限:160
現在:22
百六十。
多いのか少ないのかは分からない。比べるものがないからだ。
振り返ると、リタさんが廊下に立っていた。工具ベルトを締めている。
「あたしも行く」
「どこへ、とは訊かないんですか」
「工房区画だろ。昨日あそこの話をしたのはあたしだ」
この人は、たまにこちらより先を行っている。
俺は階段の方へ声をかけた。
「ニコ」
「弐号です」
「昨日お願いした件です。一緒に来てもらえますか」
「承知しました」
* * *
通りが真っ直ぐで、角がどこも同じ形をしている。二階建てが並び、途中から三階建てになり、また二階建てに戻る。人が住む場所として、きちんと考えて作られていた。
誰も歩いていないだけだ。
ニコが半歩前を行き、トモがその足元を縫うように走っては戻ってくる。リタさんは早足だった。
歩いてみると、遠くはなかった。元の世界で借りていた部屋も、駅からこのくらいだ。近い方だと思っていた。
ただ、ちょっと来い、が言える距離ではない。
工房区画は、通りの幅からして違った。
荷車がすれ違える。建物の間口が広く、天井が高い。壁の石が、居住区のものより粗くて厚い。
中へ入ると暗かった。リタさんが灯りを掲げる。
床に丸い跡が六つ並んでいた。炉が据えられていた場所だ。
いちばん手前の跡の脇に、腰の高さの操作盤があった。居住区の廊下にあるものと同じ形をしている。
この区画は、休止中の十四のうちの一つだ。眠っているだけなら、読めるはずだった。
手を当てた。
供給系統:正常
供給上限:2,400
接続口:6
六で割った。四百。
さっき居住区で見た数は百六十だった。部屋ひとつではない。区画まるごとで百六十だ。
(……炉ひとつで、居住区二つ半ぶんか)
「どうした」
「数が出ました。単位は分かりませんが、こちらとあちらは比べられます」
俺は床の跡を指した。
「ここに炉を一つ置くと、居住区の区画がまるごと二つ半、消えます。灯りも、水を送る弁も、部屋の温度も、同じところから引いていますから」
「……は」
「もしあの部屋に炉を据えていたら、たぶん最初に灯りが消えます。それから水が止まって」
「もういい」
リタさんは片手を上げて俺を止めた。それから、壁のほうへ歩いていって天井の近くを指した。
「あれだ」
高いところに四角い穴が開いていた。壁を抜けて外へ通じている。似たものが部屋の左右に三つずつ並んでいた。
「炉を焚くと、燃えた空気が出る。あれが抜けないと、その部屋で人が寝られなくなる」
「寝られない、というのは」
「朝、起きてこないってことだ」
言い方が淡々としていた。
職人の家に生まれた人間が、どこかで一度は聞かされる話なのだろう。
穴の下の壁に触れてみた。何も出てこない。当然だった。穴は壊れていないし、そもそも動いていない。ただ壁に開いているだけの穴だ。
<デバッグ>は、これを一生見せてくれない。
俺は、半歩前に立っているニコへ顔を向けた。
「ニコ」
「弐号です」
「あの穴は、なんと呼ばれていますか」
「排気口です。一区画あたり六。工房区画にのみ設置されています」
しばらく、言葉が出なかった。
「……昨日、それを言ってもらえていれば」
「照会がありませんでした」
責める調子はまったくなかった。ただ事実として置かれた。
昨日、俺が訊いたのは「なぜ駄目なのか」だった。理由は、あの紙の束には無かった。無いものは、何度訊いても出てこない。
訊くべきだったのは、そこではなかった。
「工房区画にあって、居住区に無いものを、全部言ってください」
間は無かった。
「大容量の魔力供給。排気経路。床材。使用済み魔石の処理経路。以上四点です」
四つ。
昨日から、ずっと持っていたわけだ。
床材、と言われて、リタさんが顔を伏せて足元を見た。石の色が通路のものと違う。
「炭が落ちても燃え広がらない石だ。うちの工房も同じのを使ってる。高いんだぞ、これ」
「居住区の床は」
「見た。違う石だ。ぱっと見は似てるけどな」
俺には、見ても分からなかっただろう。似ている石が二種類あるということすら知らなかった。
「使い終わった魔石は」
「そのへんに置いとくと厄介だ。湿ると膨らむ。膨らむと割れる。割れると、まあ、いろいろだ」
いろいろで済ませるあたりが、かえって怖かった。
居住区に炉を置いてはいけない理由は、四つあった。
魔力が足りない。煙が抜けない。床が燃える。石が捨てられない。
俺が自力で見つけられたのは一つだけだ。残りの三つはリタさんがいなければ理由が分からなかった。四つをまとめて持っていたのはニコで、彼女はその理由を知らない。
三人とも、別のところが欠けている。昨日そう言ったのは俺だが、あのときはまだ半分しか分かっていなかった。
* * *
帰り道で、ずっと考えていた。
規則は正しい。それは分かった。ただ、正しいと分かっただけでは、リタさんの往復は一回も減らない。
居住区の入口まで戻ったところで、足が止まった。
「リタさん」
「なんだ」
「あの箱を作ったとき、二十七回往復したと言いましたよね」
「言った」
「あの二十七回のうち、火を使ったのは何回ですか」
リタさんがこちらを向いた。
口が半分開いて、そのまま止まった。
「……待て」
彼女は指を折り始めた。一本、二本。しばらく止まって、それから三本目を折った。
そこで折るのをやめた。
「三回だ」
「三回」
「型を焼いたときと、金具を伸ばしたときと、蓋を締め直したとき。……三回だ」
二十七回のうち、二十四回は火が要らなかった。
合わせて、削って、当ててみて、駄目でまた外す。あの三日間、俺たちがやっていたのはそれだ。火はほとんど関係がなかった。
「炉を近くに置く必要は、無かったということになりませんか」
「……」
「近くに要るのは、作業台の方です」
リタさんは無言で歩き出した。
怒っているのかと思ったが、そうではなかった。彼女は奥の部屋の前まで来て、扉を開けて、中を見回した。
「ここに台を四つ入れる。工具も全部こっちだ」
「炉は」
「向こうに据える。焼くときだけ行く」
それから、少し悔しそうに付け足した。
「焼いたやつを抱えて帰ってくれば、あとはここで済むな」
「はい」
「なんで昨日それを言わない」
「昨日は、火が何回か知らなかったので」
ニコが廊下の向こうから近づいてきた。
俺は振り返った。
「この部屋に炉は置きません。台と工具だけです。火は使いません」
「確認します」
少し間があった。
「用途区分には抵触しません」
「はい」
「該当区画は居住用途です」
「そのままです。変えません」
ニコはしばらく黙っていた。
昨日の夜、思うか思わないかと訊いたときと同じくらいの間だった。
やがて、瞬きを何度かして、視線を上げた。
「仕様には、理由がありました」
「はい」
「記録されていないだけで」
「そうだと思います」
彼女は奥の部屋の扉を見ていた。
「千人が住む街の決まりでした」
「はい」
「いまは、千人いません」
「でも、間違ってはいませんでした」
ニコはまた黙った。
考える、というのが彼女の機能にあるのかは分からない。
ただ、考え込んでいるような長さだった。
「仮管理者」
「はい」
「昨日の、上の棚ですが」
「はい」
「あれが残っていれば、ほかの決まりも、今日と同じように調べられましたか」
答えるのに、少しかかった。
「……たぶん」
「そうですか」
彼女は口を閉じて目を伏せた。
「ニコ」
呼びかけると、金の瞳がこちらを向いた。
「はい」
「この部屋の用途は、なんと呼べばいいですか」
「作業場」
短く答えてから、彼女はその作業場の方を見た。
「既存の用途区分にはありません。暫定名称として登録します」
暫定、というところが引っかかったが、追及はしなかった。
廊下の向こうで、リタさんが機械室から工具箱を運び上げてくる音がしていた。
作業場と決まってから、まだ五分も経っていない。




