11:ここなら、あたしが決めていい
目が覚めたら、部屋に人がいた。
リタさんが床に座って、俺の保存食の袋に手を突っ込んでいる。トモがその横で、袋の口を覗き込んでいた。
「起きたか」
「……おはようございます」
「このパン、硬いな」
「硬いです」
窓の外はまだ薄暗い。
昨日、彼女は帰ったはずだった。少なくとも、帰ると言って階段を下りていった。
「帰らなかったんですか」
「図を引いてたら朝になった。作業台で寝た」
「……腰、痛くないですか」
「痛い」
この部屋で寝起きするようになったころ、そばにいたのはトモだけだった。食べるところを、ただ横で見られていた。
同じものを、同じ部屋で、今は人が食べている。俺の分を。
文句を言うべきなのだろうが、うまく言葉が出てこなかった。硬いのは事実だし。
「ギルドから使いが来た。昨日の朝、実家にな」
「……売れましたか」
「十五、全部だ」
聞き返すまでに、間が空いた。
「全部」
「三日でな。あの爺、いま慌てて次を寄越せと言ってきてる」
三日。
値の重さはまだ分からないが、日数の重さなら分かる。
「昨日のうちに言ってくれれば」
「言ってどうする」
「……いえ」
「作れるかどうか分からんうちは、言わん」
それで、朝まで図を引いていた理由が分かった。
言うかどうかを迷っていたのではない。言えるかどうかを、一晩かけて確かめていたのだ。
リタさんは袋の口を縛って、こちらへ放ってよこした。
受け取って、毛布の脇へ置いた。
「型を起こす。月に二十だ」
「作れますか」
「炉が要る」
「実家の工房では」
言った瞬間に、彼女の目つきが変わった。
「あそこで焼いたら、うちの工房の品になる」
「……」
「型もだ。親父の工房の型として起こすことになる。それでいいなら、明日にでも作れる」
良くないのだろう、というのは顔を見れば分かった。
ただ、なぜ良くないのかは、そのときの俺にはまだ半分も見えていなかった。
「では、どうするんですか」
「ここに炉を据える」
「ここに」
「古い設備がある。素材の代わりになるものもある。何より」
彼女は手のひらの粉を払って、こちらを見た。
「中を見られるやつが、ここにいる」
筋は通っていた。
ただ、次に来る言葉は予想していなかった。
「ここに住む」
「……は?」
* * *
部屋は、俺の隣がいいと言われた。
正確には、機械室へ下りる階段に近い方だ。彼女は日当たりでも広さでもなく、階段までの歩数で場所を選んでいた。
選ぶのは簡単だった。問題はそのあとだ。
この遺跡で、人が普通に眠れる状態になっている部屋は、いま一つしかない。俺が使っている部屋だけだ。灯りが点いて、水が出て、部屋の温度がひとりでに保たれる。言ってしまえばそれだけだが、そこまで持っていくのに半月かかっている。
廊下の突き当たりの操作盤に手を当てて、ニコを呼んだ。
門の内側にあったのと同じ面が嵌まっている。押すところも、書いてあるものも無い。動かすには<デバッグ>を通すしかない。
昨日、何があるのかを覗いてみた。灯り。水。温度。それと、管理端末を呼ぶ機能。ニコを呼べると分かったのは、そのときだ。
「隣の部屋を、人が住める状態にしたいんですが」
「該当建物の居住用途への復帰を希望される、ということでよろしいですか」
「はい」
「承知しました。供給は区画単位です。魔力系統、給水系統ともに、第一居住区ですでに稼働中です」
「稼働中ですか」
「はい」
区画単位。俺の部屋を直したときに、この区画はすでに動いていた。
部屋ひとつを直すつもりでいたのに、この施設は部屋ひとつという単位で物を考えないらしい。
もう一度、操作盤に手を当てた。そこから区画の方へ意識を向けた。
供給系統:正常
供給中区画:2
休止中区画:14
十四。
動いているのは、俺の住んでいる区画と、もう一つ。管理区画だろう。
あとは全部眠っている。眠っているだけで、壊れてはいない。
(そりゃそうか。街ひとつぶんだもんな、ここ)
次は、建物の方へ意識を向けた。
魔力系統:異常
給水系統:正常
問題があるのは、区画ではなく建物だった。
一つずつは、たいした作業ではなかった。止まっている系統を順に動かして、経路を辿って、途中で切れているところがあれば繋ぐ。入口の結界を直したときのような、大掛かりな話ではない。
ただ、数が多かった。
この建物には魔力の経路が十七本あって、そのうち四本が途中で死んでいた。そこから先で、さらに灯りや温度制御に細かく分岐していた。温度制御の筒は一本、丸ごと応答していない。一つ潰すと次が見える。次を潰すと、その次が見える。
こういうときの俺は、たぶん良くない。
元の世界でもそうだった。切り分けが進み始めると、止めどきが分からなくなる。区切りのいいところまで、と思っているうちに、区切りは永遠に来ない。
トモが脛を叩いてきたのは、覚えている。
覚えているが、あとにしてくれ、と言った気がする。
次に分かったのは、頬の下に石があることだった。
冷たい。それから、声がした。
「仮管理者」
「……はい」
「生体反応が基準値を下回っています」
「……はい」
「三度、申し上げました」
視界の端に、革のエプロンが立っていた。
「四度目はあたしが呼ばれた」
「……すみません」
「お前、飯食ってんのか」
答えられなかった。
朝から、何か口に入れたかどうかも思い出せなかった。
「トモが機械室まで下りてきた。あんな走り方をするとは思わなかったぞ」
「……」
「起きろ。腹に入れろ。話はそれからだ」
ゆっくりと上体を起こす。
リタさんはしゃがんで、硬いパンと干した果物を押し付けてきた。
半分ほど食べたところで、彼女が口を開いた。
「なんであんなに根を詰めてた」
「人が住むので」
「あ?」
「いつ来られるか分からないので、先に直しておこうと」
リタさんが、こちらを見た。
しばらく何も言わなかった。
「……あたしのためにか」
「はい」
彼女は自分の膝を見ていた。それから、面倒くさそうに息を吐いた。
「うちの工房は、兄貴が継ぐ」
「はい」
「腕の話じゃない。順番の話だ。それが悪いとは言わん。そういうものだからな」
「はい」
「ただ、あの箱が初めてだった」
彼女はパンのかけらを指で潰していた。
「ギルドの帳面に、あたしの名前が載った。工房の名前じゃなくて、あたしの名前が」
あの日の帳面を思い出した。
白髪交じりの人が羽根ペンを持って、作り手の登録がいる、と言った。リタさんと俺の名前が並んで書かれた。
「その、すぐ下だ」
「……」
「お前の欄に、助手って書かれたのは」
ようやく分かった。
あのとき彼女が不機嫌だった理由を、俺は自分の側からしか見ていなかった。俺の欄に何と書かれるかという話だと思っていた。
彼女にとってあれは、初めて自分の名前が載った紙だった。その同じ紙の、すぐ下の欄が助手で埋まった。
「あのとき、今日のところは、と私は言いましたね」
「言ったな」
「あれは、良くなかったです」
「今ごろ気づくな」
彼女は手を叩いてパンのかけらを払うと、立ち上がった。
「街にいる理由が無いんだ、あたしには。実家に戻っても、あたしの仕事にはならん」
工具ベルトを締め直しながら、こちらを見もせずに言う。
「ここなら、あたしが決めていい」
返事をしそこねた。
おめでとう、というのも違う気がした。
* * *
三日後、荷車が一台、門の前に着いた。
荷物は、ほとんどが工具だった。鍛冶の道具、計器、材料の入った箱、それから何に使うのか分からない金具の束。生活の物は驚くほど少ない。寝具が一組と、着替えが数枚と、欠けた器が二つ。
人ひとりが街から引き払ってきた荷物には見えなかった。
夕方、フィーネさんが来た。
廊下に積まれた箱を見て、目を丸くしている。
「リタ、ほんとに引っ越すんだ」
「言っただろ」
「言ってたけどさ。リタって、言うだけで終わること多いから」
「うるさい」
二人は昔からこうらしい。フィーネさんは箱の一つに腰を下ろして、廊下の先を見た。灯りが点いている。三日前まで真っ暗だった側だ。
「増えたね、明るいとこ」
「一棟ぶんです」
「シュウさんがやったの?」
「はい」
「あ、そうだ。シュウさん、倒れたんだって!?」
「……誰から」
訊くまでもなかった。リタさんしかいない。
リタさんを見たら、倒れた方が悪いとでも言いたげに、鋼の瞳で睨まれた。
フィーネさんが、俺の顔をじっと見上げてきた。
「無事だったからいいけど、無理はしちゃだめだよ」
「……善処します」
フィーネさんは「もう」と呟いて、今度は積まれた箱に目をやった。
「いいなあ」
「来るか」
リタさんが、荷を解く手を止めずに言った。
フィーネさんは笑って、首を振った。
「行けないよ。夜番のとき、街にいないと困るもん」
「知ってる」
「知ってて訊いた?」
「訊いただけだ」
俺は黙って見ていた。
いいなあ、と彼女は言った。行きたい、とは言わなかった。二つは似ているが、同じではない。
気づいたところで、俺にできることは何も無かった。この前、大変ですね、と言って失敗したばかりだ。
リタさんが箱の蓋を閉じて、立ち上がった。
「明日、場所を決める。炉を据えるところだ」
「仮管理者。その件ですが」
ニコが戸口に立っていた。いつからいたのかは分からない。
リタさんは面倒そうに手をひらひらと振った。
「あー、明日聞く」
「……」
「なんだ、その間は」
「規定です」
その話は、それきりになった。荷を運び込むだけで日が暮れたからだ。
フィーネさんが帰ったのは、すっかり暗くなってからだった。
いつもどおり食べ物を置いて、いつもどおり手を振って、いつもどおり上着を隅に忘れていった。
上着は二枚になっている。水筒も二つある。髪紐は数えていない。
持って帰るのが面倒なだけだろう、と俺は思っていた。
思っていたが、その夜も、俺は何も言わなかった。




