第7話:神様の小さな告白
ご覧いただきありがとうございます!
第7話は、ポンコツ神様がこの街に愛着を持つ理由と、かつての少女との思い出を明かすエピソードです。
神様の切ない過去の告白と、それを受けた由美さんの心の変化、そして二人の間に生まれる確かな絆(共犯関係)をお楽しみください!
「……ねえ、桃西さん」
夜の帳が下りた地下室。
無造作に積み上げられた段ボール箱の上に腰掛けた私は、銃の手入れを続ける由美に、ふと声をかけた。
由美はリロード作業を止めず、淡々とした声で返す。
「何ですか、神様。今は銃身のクリーニング中です。話なら手を動かしながらでも聞けますが」
「昔話をしようと思ってね。この街が、まだこんなに汚れていなかった頃の思い出話さ」
由美の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
だが、彼女はすぐに作業を再開し、冷ややかな視線を向けたまま言った。
「……感傷に浸る時間は、任務の効率を下げますよ」
「分かってるさ。でも、君がどうしてそんなに『仕事』に縛られているのか少し分かった気がしたからね。お返しと言っちゃなんだけど、僕がどうしてこのダメな街にここまで執着しているのか、話しておきたくなったんだよ」
由美は眉をひそめたが、否定はしなかった。私は天井の隅にぽっかりと浮かびながら、遠い昔の記憶を紐解くように語り始めた。
「何百年も昔のことさ。この街には東も西も、もちろん鉄砲もなかった。あったのは、ただの小さな集落だ」
私の声に合わせて、地下室の薄暗い壁に、かつての景色が淡い光の幻影として映し出される。
泥だらけの道、木造の小さな家々、そしてそこに暮らす素朴な人々の姿。
「小さな川を挟んで、東の村と西の村があった。畑の水をどちらが先に引くか、そんな些細なことで毎日のように小競り合いが起きていたよ。当時は今よりももっと貧しくて、誰もが明日の命すら危うい時代だった」
『喧嘩』は日常茶飯事だった。
けれど、今のような組織的な暴力や、血にまみれた抗争ではなかった。お互いに殴り合い、泥を投げ合い、翌日にはけろりとした顔で酒を酌み交わすような、そんなちっぽけで、どこか泥臭い日常があった。
「私はね、その頃からこの土地の神様だった。いや、神様なんて大層なもんじゃない。人間の祈りや未練が集まって、たまたま形を成しただけの、弱小な現象の残りカスさ。奇跡なんて起こせない。ただ、彼らの営みをぼんやりと見ていることしかできなかった」
由美は銃のメンテナンスを終え、布で手を拭きながら、静かに私の話に耳を傾けていた。
「ある年の冬のことさ。飢饉と病気が重なって、村の子供たちが次々と倒れた。誰もが絶望し、神仏に祈る余裕すらなかった。……誰もがね」
幻影の中の景色が、一人の小さな少女の姿を映し出す。
ボロボロの服を纏い、足を引きずりながら、村はずれにある私の小さな石の祠にやってきた一人の少女。
「その子は、自分だってもう何日も食べていないはずなのに、ポケットから大切に取っておいた一粒の干し芋を、震える手で祠の前に供えたんだ」
『……神様』
幻影の少女は、冷たい風に震えながら、小さな手を合わせてこう呟いた。
『どうか、明日もみんなが一緒に笑っていられますように。喧嘩ばかりの村だけど、みんなが明日も生きていられますように』
私は、何もできなかった。
その子の祈りを叶える奇跡も、病気を治す神力も持っていなかった。ただ、冷たい風の中から、彼女を少しだけ温めることしかできなかった。
「その子はね、翌年の春までには生きられなかった。でも、彼女が最後に残した笑顔と祈りが、私の胸からどうしても離れなかったんだ」
私は小さく息を吐き、自分の胸のあたり(もちろん形はないけれど)を押さえた。
「東も西も、今の連中は愚かだよ。欲に目が眩み、昔の少女が願った『みんなで笑い合うこと』を忘れ、血で血を洗う殺し合いに夢中になっている。……でもね、私には見えてしまうんだ。あの日、少女が祈った小さな灯りの残滓が、あの泥だらけの街のどこかにまだ埋もれている気がしてならないんだよ」
だから、私は諦めたくなかった。
弱小な神様であっても、どうにかしてこの街をあの頃のような温かい場所に戻したかった。それが、私の「未練」であり、この世界に縛り付けられている理由だった。
「……それが、私の動機さ。大したことないくだらない話だろ?」
地下室には、重い沈黙が満ちていた。
コンロの上で冷めかけたコーヒーの匂いが、かすかに鼻腔をくすぐる。
由美はしばらくの間、何も言わずにじっと床を見つめていた。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げ、私をまっすぐに見据えた。その瞳には、いつもの冷徹な無機質さとは違う、底知れない静けさが宿っていた。
「……馬鹿げた話ですね」
最初の言葉は、それだった。
「とっくに死んだ一人の少女の未練のために、何百年も泥沼の街を眺め続け、挙げ句の果てには見ず知らずの異世界の暗殺者を呼び寄せる。……神様、あなたは救いようのないお人好しだ」
「はは、そうだね。我ながらポンコツの極みだと思うよ」
私が自嘲気味に笑うと、由美は小さく息を吐いた。
「ですが――」
彼女は立ち上がり、テーブルの上に置かれた手帳を手に取った。
「依頼者の動機として、すべて理解しました」
『え?』
「あなたが守りたかったのは、組織でも権力でもありません。あの少女が願った『誰もが一緒に笑い合える平穏』そのものなのですね」
由美は私のほうへ一歩歩み寄り、微かに、本当に見逃してしまうほど小さな、けれど確かな笑みを浮かべた。
それは、彼女がこの世界に来てから初めて見せた、作り物ではない人間の表情だった。
「私は『掃除屋』です。感情を捨て、業務としてターゲットを排除することだけを生きてきました。あなたの求める『平和』がどのようなものか、私には想像もつきません」
「……うん、そうだよね」
「ですが」
由美の声音に、いつもの冷たさとは違う、芯の通った強い響きが宿る。
「依頼主がそこまでの覚悟と動機を持っているのなら、私の『業務』の精度も一段階引き上げる必要があります」
『精度を、引き上げる?』
「ええ。中途半端に組織を残し、恐怖で怯えさせるだけでは不十分です。東城組も西清会も、その首魁から末端に至るまで、暴力の構造そのものを完全に根絶する。――すべての『ゴミ』を片付けたあと、その跡地に何が残るのか。最後まで見届けて差し上げましょう」
その言葉は、相変わらず物騒で、容赦のないものだった。
だが、不思議と私の胸の奥にあった冷たい霧が、スッと晴れていくような気がした。
神様と、暗殺者。
決して交わるはずのない二人が、「この街の掃除を終わらせる」という一点において、本当の意味で手を取り合った瞬間だった。
「さて、神様。感傷タイムは終わりです」
由美はジャケットのボタンをきっちりと締め直し、愛用のグロックをホルスターに収めた。
「東城組と西清会が、最後の合同作戦に出るという情報が入っています。私を狩るための、最後の大舞台ですね」
『ああ……!』
「行きましょう。あなたの長かった未練を、私が完璧に終わらせてあげます」
冷たい地下室の空気を切り裂くように、彼女のヒールの音が力強く響く。
誰も救えなかったポンコツな神様と、すべてを失った暗殺者の女――二人の最後の仕事が、いよいよ始まろうとしていた。
第7話をお読みいただきありがとうございました!
単なる「依頼主と暗殺者」から、お互いの覚悟を理解し合った相棒へと変わった二人。
いよいよ次回からは、物語のクライマックスに向けた東西の反撃と大決戦へとなだれ込んでいきます!
次回、第8話「東西同盟と、一人の女」へ続きます!




