第9話「練習」
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
庭での戦闘の痕跡は、よく見なければ分からない程度に整えられていた。
土は均され、石は元の位置に戻されている。
何もなかったかのように、整っている。
それでも。
ハルには分かる。
(……あった)
確かにここで、何かが起きた。
ハルはその場に立ち、ゆっくりと息を吸い込む。
胸いっぱいに空気を入れると、少しだけ頭が冴えた。
(……この前は)
雷。
速すぎて、普通なら見えないはずのもの。
それが、一瞬だけ遅れた。
(……止めることはできなかった)
ほんの少しだけ。
遅くしただけだ。
「……ハル様」
後ろから声がする。
振り返ると、メイド服姿のリアが立っていた。
「来てくれたんだ」
「はい」
リアは静かに頷く。
その仕草はいつも通りだが、どこか柔らかい。
今まで魔法なんてまともに扱えなかったのに、今は違う。
自分の中にある“何か”を試せることが、少しだけ楽しいと感じていた。
「リア、今日もよろしく」
そう言うと、リアは小さく微笑んだ。
控えめに、尻尾が揺れる。
そのまま、少し距離を取って立つ。
昨日と同じ位置関係。
それだけで、少しだけ安心する。
(……たぶん)
これは、自分だけの力だ。
「……試したい」
気づけば、声に出ていた。
リアはすぐに理解したようだった。
空気がわずかに引き締まる。
「承知しました」
淡い光が灯る。
身体強化。
リアの体がやわらかく輝く。
だが――
やはり揺れている。
そこにあるのに、完全には定まっていない。
(……やっぱり)
ハルは目を細める。
「動いて」
「はい」
リアが軽く動き出す。
左右へ、静かにステップを踏む。
無駄のない動き。
速い。
けれど、見えないわけじゃない。
問題は。
(……どこを見る)
全部を見ようとする。
腕。
足。
体の中心。
すべてを追おうとした瞬間、
視界がぼやけた。
さっきまで見えていた“揺らぎ”が消える。
(……ダメだ)
何も引っかからない。
ただの動きになる。
「……見えませんか?」
リアが動きを止めずに言う。
「うん……見えない」
見えている。
でも違う。
(……違う)
昨日も、全部を見ていたわけじゃない。
むしろ。
(……一点)
ハルは意識を絞る。
リアの右腕。
肘のあたりだけを見る。
そこ以外は切り捨てる。
動きも、流れも、すべて。
ただ一点だけを追う。
「……そこ」
小さく呟く。
その瞬間。
「あ……」
リアの腕が、わずかに遅れた。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
リアも気づく。
「……今、遅れました」
ハルの心臓が強く鳴る。
(……できた)
偶然じゃない。
昨日と同じだ。
胸の奥に、わずかな安堵が広がる。
それを悟られないように、すぐに次を口にした。
「もう一回」
「はい」
リアが動きを変える。
今度は速い。
重心移動も大きい。
その分、揺れも強い。
ハルは迷わない。
また、肘だけを見る。
その一点に集中する。
「……そこ」
再び。
ほんの一瞬だけ遅れる。
まるで、時間の一部だけが引っかかったように。
「……再現できています」
リアの声が少し明るくなる。
尻尾が、わずかに揺れる。
ハルは息を吐く。
(……でも)
視線を広げた瞬間、
また何も見えなくなる。
全部を見ようとすると、崩れる。
一点だけなら掴める。
それ以上は、無理だ。
「……全部は無理だ」
思ったまま口にする。
リアは動きを止め、こちらへ歩み寄る。
「一点に集中しているときだけ、効果が出ています」
「うん」
ハルは、自分の手を見る。
そのとき。
視界が、わずかに揺れた。
「あれ……」
身体がふらつく。
リアがすぐに体を支えた。
「魔力の消耗でしょうか」
心配そうな琥珀色の瞳が、すぐ近くにある。
近い。
その距離に、ハルは一瞬だけ息を飲んだ。
急に恥ずかしくなり、思わず飛び起きる。
「だ、大丈夫……!」
自分でも少し不自然な声だった。
リアは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにやわらかな表情へと戻る。
優しい眼差しのまま、静かにハルを見つめていた。
そういえば。
今まで、まともに魔法を使ったことがなかった。
この世界では、魔法はイメージと魔力量に依存する。
そして魔力量は、使えば増える。
(限界はあるらしいけど)
「……皆んなより頑張らないと」
小さく呟く。
今さらながら、自分の未熟さを思い知る。
「しょうがない..」
そう言いながらも、少しだけ悔しかった。
もっと早くこの力が使えるようになってたらよかったのに。
そんなことを考えて、少しだけ沈む。
ふと、隣を見る。
リアが静かに微笑んでいた。
「……何か、嬉しいことあった?」
「いえ。ただ……」
少しだけ間を置く。
「頑張っていらっしゃるな、と」
その言葉に、少しだけ照れくさくなる。
「……まぁ、うん」
曖昧に答えるしかなかった。
大きな変化はない。
でも。
確かに、前に進んでいる。
「……これだ」
小さく呟く。
まだ弱い。
できることも少ない。
それでも。
確実に分かってきた。
一点なら、効果を与えられる。
一点なら、影響を与えられる。
それが今の、自分の力だ。
ハルは顔を上げる。
「……もう一回やる」
迷いはなかった。
リアはその様子を、静かに見ていた。
やさしい目で。
ここまで読んで頂きありがとうございました。




