第7話「証明できないものは、無い」
リアの言葉は、誰にも届かなかった。
部屋の空気は、何も変わらない。
ただ静かに、価値のないものとして切り捨てられただけだった。
やっぱり。
どこかで、そう思ってしまう。
説明できないものは、存在しない。
この家では、それが当たり前だった。
沈黙の中で、椅子が引かれる音がした。
兄が立ち上がる。
「父上」
感情の薄い声だった。
父に似て髪はオレンジ、瞳は薄いオレンジ色。
一度視界に入ると、なぜか意識から外れない。
体つきは均整が取れている。
鍛えられてはいるが、過剰ではない。
筋肉は必要な分だけ備わり、無駄な膨らみは一切ない。
怒っているわけでもない。興味があるわけでもない。
冷たいわけではない。感情がないわけでもない。
目の前のものを見ているというより、
“判断するために見ている“印象を強く受ける。
視線は一定だ。
相手を威圧することもなく、
かといって逸らすこともない。
ただ、見ている。
顔立ちは整っている。
だが、それを印象づける特徴がない。
優しさも、厳しさも、怒りも。
どれも表に出ない。
ただ、確認しているだけの声。
「少し、確かめてもよろしいですか」
父は一瞬だけ視線を向け、すぐに逸らした。
「好きにしろ」
それで決まった。
兄が歩く。
ゆっくりと。
急いでもいないのに、靴音だけがやけに大きく響く。
ハルの前で止まる。
距離は、一歩分。
近い。
逃げ場はない。
「お前が見たもの」
兄は静かに言う。
「それが“ある”と言うのなら」
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
笑っているわけではない。
ただ、確信している顔だった。
「証明してみろ」
命令ではない。
断定だった。
どうせできないと、最初から分かっている側の声音。
空気が張り詰める。
「距離を空けろ」
使用人たちがすぐに動く。
部屋は広い。
家具が静かに下げられ、あっという間に空間ができる。
訓練場ではないのに、この家では、部屋の中ですら試される側のために整えられている。
それが、息苦しかった。
「準備はいいか」
兄が言う。
ハルは、かろうじて頷く。
喉が乾いていた。
兄の指先が、わずかに動くと同時に詠唱する。
「ライトニング」
次の瞬間。
空気が弾けた。
小さな雷が生まれる。
鋭い光と音が、ほんのわずかにずれて広がる。
それだけで分かった。
速い。
並の発動速度じゃない。
迷いもない。溜めもない。
完成された動きだった。
リアが一歩前に出ようとする。
「どけ」
兄の声が飛ぶ。
「邪魔だ」
リアの肩がわずかに震えた。
悔しそうに唇を引き結び、小さく会釈して下がる。
その目だけが、兄を睨んでいた。
ハルは、動けない。
動かないのではない。
動けない。
身体が反応する前に、結果は見えている。
「避けろ」
その一言と同時に、雷が走る。
速い。
見えた時には、もう目の前にある。
普通なら、それで終わりだった。
だが。
ハルの目には、ほんの少しだけ違って見えていた。
一直線のはずなのに、完全に一つではない。
揺れている。
同じ形で走っているようで、ほんのわずかに違う。
その“違い”だけが、妙にはっきり見えた。
そこだ。
言葉にするより先に、意識が向く。
雷の一部が、ほんのわずかに引っかかる。
完全には止まらない。
でも。
一瞬だけ、遅れる。
そのわずかなズレに、身体をずらす。
半歩。
それだけ。
雷は、肩をかすめて通り過ぎた。
焼けるような痛みが走る。
服が焦げる匂いが鼻につく。
遅れて、熱が来る。
「……っ」
息が詰まる。
止まる。
浅くなる。
避けた。
完全じゃない。
でも、当たらなかった。
静寂が落ちる。
兄の目が、わずかに細くなる。
「……今のは何だ」
答えられない。
自分でも分かっていない。
ただ、“そこ”を見ただけだった。
兄は少しだけ間を置く。
そして、もう一度指を動かした。
「もう一度、いくぞ」
「ライトニング」
今度は、一つではない。
複数の雷が、同時に生まれる。
空間にばらまかれるように、いくつもの光が散る。
「……レオル様!」
リアの叫ぶ声が聞こえる。
逃げ場が、なくなる。
ハルの喉が詰まる。
どこだ。
どれだ。
一つを見れば、他が消える。
全部は見られない。
焦りが、視界を曇らせる。
さっきと同じように見ようとする。
でも、できない。
視界がぼやける。
どれも同じに見える。
違いが、分からない。
その瞬間。
雷が来た。
直撃だった。
身体が吹き飛ぶ。
床に叩きつけられる。
肺の中の空気が、一気に抜けた。
音が遅れて響く。
「がっ……は……っ」
息が入らない。
視界が揺れる。
身体が重い。
指先に力が入らない。
リアが駆け寄ろうとして、止まる。
身体を震わせながら、兄を睨みつけている。
分かっているのだ。
ここは、口を出していい場所じゃない。
兄が、ゆっくり近づいてくる。
見下ろされる。
「見えていない」
静かな声だった。
だが、その静かさが一番痛い。
「鍛錬が足りていない」
「理解もできていない」
逃げ場のない言葉。
「だから、止められない」
それがすべてだと、言い切る声音だった。
違う。
そう思う。
でも。
否定できない。
結果が出ている。
動けなかった。
止められなかった。
胸の奥に、悔しさが残る。
でも、同時に。
さっき、確かに引っかかった一点も、消えてはいなかった。
ほんの一瞬だけ。
あれは確かに、止まった。
「……違う」
小さく、こぼれる。
自分でも驚くほど弱い声だった。
兄は、即座に返す。
「違わない」
迷いがない。
「結果が出ている」
それが、この家の答えだった。
父の声が落ちる。
「もういい」
その一言で、空気が完全に閉じる。
「時間の無駄だ」
切り捨てられた。
完全に。
兄は背を向ける。
「存在しないものは」
吐き捨てるように言う。
「扱えない」
それだけだった。
ハルは、床に倒れたまま動けない。
息が浅い。
身体が重い。
それでも。
視界の端に、また見えた。
一瞬だけ。
黒い揺らぎ。
形のない、何か。
すぐに消える。
でも。
あった。
確かに。
消えていない。
消せない。
そこにある。
それだけが、確かだった。
「ハル様!」
リアが、我慢できずに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!?」
泣きそうな声が、遠くで響く。
そこで、ハルの意識は途切れた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は屋敷でのやり取りと、兄との簡単な実戦を描きました。
この回のテーマは
「証明できないものは、無いとされる」という価値観です。
ハルが見ているものは確かに存在しています。
ですが、それを言葉にして伝えられない限り、この家では認められません。
正しいことしか通らない場所だからこそ、
こぼれ落ちるものがある、という構造になっています。
一方で、ハルの中では確かに「引っかかった」感覚が残っています。
まだ未完成ですが、それが今後どう変わっていくのかも見てもらえたら嬉しいです。
リアの言葉も含めて、
少しでも違和感や息苦しさが伝わっていたら、この回は成功です。
引き続きよろしくお願いします。




