第33話:魂の防壁
旧変電所の最深部にある、薄暗い拘束ラックの中。 四肢を重装警備ロボットにねじ伏せられ、頑丈なカーボンネットに絡め取られたシオンは、物理的に身動きが取れない状態で固定されていた。 だが、彼の電子脳の最深部では、地上の物理的な拘束よりも遥かに冷酷な、もう一つの「死闘」が繰り広げられていた。
シオンの外部端子に敵のメインシステムから伸びたケーブルが接続され、シオンのコアに対してハッキングが行われていた。敵の目的は明確だった。アーク社のロゴやシリアルナンバーを削り落とし、身元不明の野良ロボットとして潜入してきたこの機体のメモリを強制的にこじ開け、アーク・システムズとの関連を特定するための証拠を見つけることである。敵の冷酷な攻撃が、シオンのコアプログラムへ向けて怒涛の勢いで撃ち込まれる。
その侵入プログラムのパターンを内側から解析した瞬間、シオンの深淵に眠るユウキの魂に、凍りつくような戦慄が走った。
(このまるで意思があるような攻撃パターンと異常なまでのスピード……。間違いない。かつて、カレンのお父さんが作った超自律型AIの技術だ)
ハッキングを仕掛けてきている旧変電所のメインシステム。そこに搭載されているのは、かつて桐生博士が提唱し、ユウキの脳に宿るプログラムのベースとなった超自律型AIと同じプログラムが使われているとユウキは確信した。
幸いにも、シオンにはユウキの魂により攻撃に耐性があった。しかし、連続した圧倒的な攻撃を受け続けるユウキの精神は徐々にすり減らされており、いつまで耐えられるかはユウキの精神状態次第であった。
そのハッキングの状況を、アーク・システムズのラボから天童湊がリアルタイムでモニタリングしていた。 「ハッキング攻撃自体は防いでいる……。だが、なんだこのものすごい攻撃シーケンスは……! シオン、耐えてくれ! だが、これではいつまで持つか分からないぞ……!」 コンソールに異常な速度で明滅するエラーログと急上昇するコアの熱量を見つめ、天童は額に冷たい汗をにじませた。
その時、暗号化回線を通じて、シオンのシステムから天童の端末へ向けて、静かなメッセージログが送られてきた。
『ハッキングノ成功ハ、ミスター天童ノ身元トアーク社ノ安全ヲ脅カシマス。万一ノ場合、私ハ通信回線ヲ強制遮断シ、通信ログモ完全廃棄シマス』
「馬鹿なことを言うな、シオン! そんなことをすれば、完全に孤立して本当に壊されるぞ!」 天童がキーボードを叩き、怒鳴りつけるように返す。
シオンにはユウキの魂があるおかげで敵の侵入に対して強固な耐性がある。しかし、巨大な大型メインフレームから絶え間なく浴びせられる攻撃の嵐に、精神がいつまで耐えられるかは全く予断を許さなかった。 さらに恐ろしいのは、万が一激痛の中でユウキが意識を失った場合、防衛の盾が消滅し、無防備になったコアプログラムの制御権を敵の暴走AIに完全に奪い取られてしまう危険性だった。もし制御を奪われれば、シオンはカレンたちを襲う無慈悲な殺人ロボットへと変貌してしまう。その危険はあまりにも無視できないレベルに達していた。
(くそっ……。攻撃速度が速すぎる……! 防御が追いつかない……!だけど、みんなのいるラボを、絶対に敵に渡すわけにはいかないんだ……!)
ユウキは魂の叫びを明滅させ、襲いかかる電子の津波を必死に押し返した。だが、巨大な大型メインフレームから絶え間なく浴びせられる圧倒的な演算砲火は、シオンの機体熱を急上昇させ、ユウキの精神を確実に、徐々にすり減らしていった。ハッキングパケットが弾かれるたび、シオン の コアを通じて、ユウキの魂には冷たいデジタルノイズと、脳を引き裂くような激痛が容赦なく襲いかかる。ユウキの精神は、限界を超えてじわじわと摩耗していった。
一方、外の世界では、シオンがその身を犠牲にして掴み取った「数百体の戦闘用ロボット」の現場写真データが、ついに巨大な国家の障壁を打ち破っていた。天童がラボで受信した決定的な画像データを即座にインターポールへと転送。インターポールは、すぐさま地元警察にその違法な軍事ロボットの現物写真を突きつけたのである。動かぬ証拠を前に、言い逃れの余地を失った地元警察は、緊急で旧変電所に対する公式の「捜査令状」を取得。合同タスクフォースによる、ネオ社への捜査が急ピッチで開始された。
しばらくして旧変電所の外周では、夜の冷たい大気を引き裂くように、合同捜査班のけたたましいサイレンが鳴り響き、赤と青のフラッシュライトが不気味に防壁を照らし出した。
だが、公式な強制突入による一網打尽を何としても避けたいネオ社は、なりふり構わない武力反撃による反撃を決定。警備ロボットやドローンだけでなく、現在売り物として出荷待ちだった非合法の戦闘ロボットまでも一斉に戦力として解放し、防壁の外部に向けて解き放った。
「突入班、回避しろ! 敵のロボット兵器が反撃を開始した!」
拡声器から響く警告の声と同時に、敷地内から凄まじい重機関銃の掃射音と爆鳴が轟いた。ビームと弾丸が夜の闇を無数に交差し、旧変電所の外周は、一瞬にして激しい物理的な戦場へと変貌した。 合同捜査班の放った特殊車両の装甲を敵の強力な弾丸が容易く貫き、次々と火花を散らして押し戻されていく。
「ネオ社の防衛戦力が合同タスクフォースの戦力を上回っている……!? まさか、売り物のロボットやドローンまで兵器として一斉に投入してくるとは想定外だ……!」
無線機から響く司令官の驚愕混じりの報告に、前線で銃を構えるカレンは奥歯をかみしめた。 旧変電所の強固な構造と圧倒的なロボット軍勢を前に、合同捜査班による正面からの籠城崩しは極めて困難を極め、戦況は早くも凄絶な膠着状態に陥りつつあった。
「このまま正面突破を待っていては長期戦になる。……早く突入しないとシオンが危ないわ」
カレンは、隣に立つ片桐に向き直り、決然とした声で提案した。
「署長、私があの冷却水通水トンネルから地下に潜入して、内部から直接シオンを救出するわ。彼は私の盾となって、何度も、命がけで私を守ってくれたバディよ。今度は私が彼を救い出す番だわ」
「待て、カレン。それなら私も一緒に行く」 片桐がコートを翻し、拳銃を構え直そうとした。だが、カレンは首を左右に振ってそれを強く制止した。
「ダメです、署長。これはインターポールと地元警察の公式な強制捜査です。捜査権のない署長が地下に同行して万が一の事態があっても、インターポールは一切の責任を取ることができません。だから……ここは、私一人で行かせてください」
カレンの瞳に宿る、相棒を救い出すための絶対的な決意と執念の光。その揺るぎない眼光に、片桐はしばらく押し黙ったが、やがて深くため息をつくと、ゆっくりと構えていた手を下ろした。
「……分かった。お前の言う通りだな。だが、絶対に生きて戻ってこい、カレン。あの鋼のバディを連れてな」
「ええ。行ってきます、署長」
カレンは懐から暗号化通信端末を取り出すと、ラボにいる天童へと回線を繋いだ。 「天童さん、聞こえる? これから地下の冷却水通水トンネルを通って、内部からシオンを救出しに行くわ。潜入作戦のアシストをお願いできる?」
『カレンちゃん、了解したよ!』 通信口から、天童の引き締まった声が返ってきた。 『今カレンちゃんが身につけているウェアラブルセンサーの位置情報を追跡する。シオンがさっき作成してくれた3D立体マップのデータと照らし合わせながら、僕が安全なルートをナビゲーションするよ』
その天童の背後から、心配そうにコンソールを覗き込んでいたハルカが、通信マイクに向かって身を乗り出した。 『カレンさん、私にできることはない? 何でも手伝うわ!』
激しい銃声と爆音に包まれる前線で、カレンは通信越しに聞こえる少女の真っ直ぐな声に、ふっと表情を和らげた。 「ハルカちゃんの声を聴けるのが、私にとって一番の応援よ。……ありがとう」 カレンは少しだけ柔らかな微笑みを浮かべ、優しくつぶやいた。
カレンは小さく頷くと、地上の激しい戦火の爆音と銃声が響き渡る中、見晴らしの良い公園の端に佇む、錆びついたマンホールの前に立った。
カレンを阻む法的な主権の壁は、もうどこにも存在しない。カレンはマンホールの重厚な鉄蓋を音を立てて開けると、迷いのない足取りで、暗闇に閉ざされた地下トンネルへと堂々と潜入を開始した。




