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第32話:地下より這い出ずる影

マンハッタンの夜を覆う冷たい静寂の中、見晴らしの良い公園の脇で旧変電所を見据え続けるレンタカーの近くから、ガシャッ、ガシャッと金属が擦れ合う硬質な足音が響いてきた。 センサーアイの鮮やかなブルーを瞬かせ、闇の向こうから現れたのは、完全なる修復を終えたシオンだった。


「シオン……! よかった、完全に直ったのね」


助手席のドアを開け、カレンが安堵の声を漏らす。


「早速お願い」


とカレンが声を掛けると、シオンは静かに頷き、天童によって新たに換装された特殊カメラを起動した。極めて精緻なマルチスキャンセンサーが起動し、旧変電所の堅牢な外壁を透過しながら、周囲の構造やエネルギー反応を高速で走査していく。


カレンと片桐は息を潜めてスキャンが終わるのを待った。 およそ10分間、沈黙の中でスキャンが行われた。


『スキャン完了。立体マップデータヲ生成シマシタ』


シオンがそう告げると、3人は車内に戻った。ダッシュボードの暗号化端末の画面上に、光のグリッドで描かれた極めて精密な旧変電所の3D立体マップが展開された。 カレンと片桐は車内を暗く保ったまま、身を乗り出してその画面に視線を走らせ、マップを詳細に解析し始めた。


「……見て、署長。建物が完璧にデータ化されているわ。監視カメラの画角やセンサーの配置は昨日天童さんが構築した通り、寸分の隙もないけれど……」 カレンは画面にタッチし、光る3Dマップを指先で拡大、回転させた。 「ここよ。この敷地の地下を斜めに貫いている、この中空の管のような領域――」


片桐も身を沈め、カレンが指し示した地下のラインを覗き込む。 「ほう、地下にこれだけ広大な空洞空間があるのか。……おい、シオン、この地下空間のスキャン反応はどうなっている?」


『地下領域ノスキャン完了。警備ドローン、監視カメラ、動体センサー等ノ物理セキュリティ反応ハ、一切検知サレマセン』


シオンのスピーカーから、一切のひらがなを排除した冷徹な機械音声が流れ、カレンの胸が高鳴った。


「カメラも、センサーもない。……そうか、地上の警備は文字通り鉄壁だけど、この地下の空間だけは完全にセキュリティの盲点、警備網の死角になっているんだわ!」 カレンの瞳に鋭い光が宿る。 「ここからなら、警備の目を完全にすり抜けて、敷地内へ物理的に潜入できる……!」


「確かに、地上から突入するよりはるかに現実的だが、この地下の空間は一体何なんだ?」 片桐が疑問を口にしたその瞬間、ダッシュボードのスピーカーから、ラボにいるハルカちゃんの弾んだ声が割り込んできた。


『カレンさん、聞こえる!? 旧変電所について私調べていたの。旧変電所は水冷式の冷却装置が使われていて、その地下の空間は冷却水の通水トンネルよ! 』


「冷却水通水トンネル……。ハルカちゃん、ありがとう、完璧な裏付けよ」 カレンは引き締まった表情で頷いた。 「ここから潜入するわ。これなら警備の目を完全にすり抜けて、内部の証拠を掴める。……もしこれが上層部にバレたら、今度こそ私は合同タスクフォースの任を外されるでしょうね。でも、やるしかないわ」


カレンは迷いのない眼差しで言った。だが、その肩を、運転席の片桐が強い力で掴んだ。


「待て、カレン 任を外されるだけじゃない、命の危険もあるんだぞ。相手は米軍の元高官まで抱き込んで不法な軍事ロボットを隠匿している連中だ。見つかればただでは済まない。それなら、老体の私が行こう。失うもののない旅行者の方が適任だ」


「署長……ダメです。そんな無茶はさせられません!」


二人が激しく対立したその瞬間、後部座席の窓越しに佇むシオンが、静かに、 だが明確な合成音声を発した。


『潜入ミッションハ、シオンガ単独デ実行シマス。理由ハ論理的ニ明白デス』


二人が驚いてシオンを見つめる中、スピーカーから淡々と機械音声が流れる。


『シオンハアーク・システムズノ所有物デス。現在、桐生刑事ヘ貸与サレテイル状態ニアリマス。天童サント桐生刑事ノ間デ結バレタ貸与契約ヲ今ココデ解除スレバ、シオンハ警察管理デハナクナリ、カレン刑事ノ指揮下カラ外レマス。万一確保サレタ場合モ、桐生刑事ヤインターポールニ迷惑ヲカケル事ハアリマセン』


(カレン、君にこれ以上の無茶はさせない。君の刑事としてのキャリアも、その生身の命も、僕が絶対に守り抜く。……たとえこの身が、敵の手に落ちることになろうとも) その電子の深淵に眠るユウキの魂は、捕まることさえ最初から織り込み済みの、あまりにも凄絶な覚悟を宿してカレンの瞳をじっと見つめ返していた。


『……契約解除のログは、今僕がラボのコンソールから送ったよ』 車内の通信スピーカーから、天童の絞り出すような声が響いた。 『これでシオンはカレンちゃんと完全に無関係の、ただの身元不明の野良ロボットだ。行ってくれ、シオン』


「天童さん……」 カレンが小さく声を漏らす中、シオンは自らの右腕に組み込まれた高熱カッターを起動した。青白いレーザーの刃がジッと音を立て、チタンの胸部に刻まれたアーク・システムズの社名ロゴと、個体の製造番号を冷酷に、迷いなく削り取っていく。 火花が夜の闇に散り、シオンの身元を示す物理的な証拠は完全に消滅した。


『コレデアーク社トノ関係モ無クナリマシタ。コレデ私ハ身元不明ノロボットデス』


『ハッキングプログラムト、立体マップデータヲ内部メモリニ転送完了。コレヨリ冷却水通水トンネルニ進入シマス』


シオンはそう告げると、見晴らしの良い公園の端にある、錆びついたマンホールの蓋を怪力で音もなく持ち上げ、暗闇に閉ざされた地下トンネルへと静かに身を躍らせた。


トンネルの内部は湿った冷気に満ち、予想通り警備の気配は皆無だった。 シオンは足音を排し、暗視センサーをフル稼働させながら、暗黒の地下水路を滑るように進んでいく。天童のハッキングプログラムがシオンの歩みをナビゲートし、行き止まりへと到達した。


その真上こそが、旧変電所の敷地内だった。 シオンは特殊カメラの超音波スキャンを上方へ照射し、地上の動体センサーや自動監視ドローンの巡回ルートを瞬時に解析する。完全に死角となるタイミングと位置を割り出し、頭上の重厚なメンテナンスハッチを音もなく押し開けて、施設内部へと静かに滑り込んだ。


(よし侵入に成功したぞ、見つからないように倉庫までたどり着かないと)


ユウキの脳内思索と同調し、シオンは事前に構築された高精度マップを脳内に投影しながら進む。 通路の各所に配置された最新の防犯カメラ。だが、シオンはその画角を1ミリ単位で看破し、柱の影やダクトの隙間を縫うようにして、一切姿を晒すことなく通路を進んでいく。


冷たいコンクリートの通路を警備に見つかることなく踏破し、ついに最深部に位置する巨大な防音扉の前に到達した。シオンは指先からハッキングコードを流し込み、扉の電子ロックを無音で強制解放する。


ゆっくりと開いた扉の向こう、広大な倉庫エリアを見渡した瞬間、シオンのセンサーは凍りついた。


薄暗い巨大なハンガーの中に、整然と、不気味なほど無機質に並べられた数百体もの戦闘用ロボットの群れ。それらの装甲の内側には、米国軍へ公式に納品されるはずのない、強力な軍事用重火器が装備されていた。


「これが……ネオ社の裏の顔だ」 シオンは特殊カメラを構え、保管されている戦闘用ロボットのディテールと、その異常な稼働ログ、コンテナの偽装シグナルを完璧な画角で撮影した。 そして、遅滞なく その大容量データを、天童のプライベート端末へと暗号化通信でダイレクトに一括送信した。


『決定的データノ送信完了。退路ヲ確保シマス』


シオンはハッチへと引き返そうとしたが、その時、突如として真っ赤なフラッシュライトが狂ったように回転し始めた。 キーーン、という耳を劈く電子アラームが倉庫内に鳴り響く。


『警告。未登録ロボットノ侵入ヲ検知。排除プロトコルヲ開始シマス』


機械的なシステム音声とともに、天井のダクトから数十機の警備用ドローンが飛び出し、通路の奥からは重装甲を施された警備ロボットが、武器を構えてシオンを取り囲んだ。


(まずい……! 侵入を感知されたか!)


背後から迫る重機関銃の掃射。シオンは驚異的な機動力を発揮し、チタンの体を丸めて弾丸を弾き飛ばしながら、警備ドローンを怪力で叩き落としていく。 だが、敵の数は尋常ではなかった。一機、また一機と、倒しても通路の奥から新たな警備ロボットが無限に湧き上がってくる。


ドガッ、という激しい衝撃とともに、警備ロボットの放った強烈な打撃弾がシオンの左肩を穿った。装甲の軋むノイズが走り、視界のインジケーターが激しく赤く点滅する。


(カレン……。僕は、ここで壊れるわけにはいかないんだ……!)


ユウキの魂は、カレンを守るという絶対の誓いを胸に、激しいノイズに抗って出力を最大に引き上げる。迫りくる警備ロボットの装甲を素手で引き裂き、力任せに投げ飛ばしながら必死にハッチへと手を伸ばす。


だが、その瞬間、背後から迫った警備ロボットが、携帯型のネットランチャーを構えた。 鋭い破裂音とともに射出されたのは、超高強度のカーボンナノファイバーで編み上げられた、ハンディ型の頑丈な捕縛ネット(ネットトラップ)だった。広がった網が容赦なくシオンの全身に絡みつき、アクチュエーターの自由を強引に奪い去る。


シオンは怪力でネットを引きちぎろうと激しく抗うが、絡みついた繊維は彼の強力な駆動系に食い込み、さらなる負荷を与えるだけだった。 そこへ、さらに数体の重装警備ロボットが殺到し、圧倒的な質量でシオンの全身を床に押し潰した。四肢を力任せに完璧にホールドされ、物理的に一切の抵抗を封じ込められる。


(くそっ……動けない……!)


無理に動かそうとするモーターが虚しく悲鳴を上げる。 物理的に完全に制圧され、床に押さえつけられた状態で、シオンは確保された。センサーアイは消灯することなく、怒りと無念に満ちた鮮烈なブルーの輝きに激しくノイズを走らせたまま、なすすべなく警備ロボットたちの屈強な鉄腕によって捕らえられていった。


――その頃、シオンから送信された決定的証拠の画像データをラボで受信した天童は、怒りに震えながらも即座にインターポール本部の捜査官へとデータを転送していた。 捜査官はすぐさまこの「不法増産ロボットの現物写真とシステムデータ」を地元警察のトップに叩きつける。 国家安全保障の越権行為などという言い訳は、数百体の軍事用ロボットの前に完全に吹き飛んだ。地元警察も言い逃れができなくなり、ついに重い腰を上げ、強制捜査令状の執行を公式に決定したのだった。


シオンが自らの身元を消してまで勝ち取った電子の証拠は、地上の膠着した防壁を、ついに内側から完全に破壊した。

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