第30話:電子の盾
夜の冷気がじわじわとマンハッタンを包み込む時間帯、アーク・システムズのラボには、張り詰めた緊張感が漂っていた。
「よし……同調完了だ。シオン、接続ポートの制御権を君に委ねる。ネオ・ロボティクス社のネットワークに侵入してくれ」
天童がそう告げると、シオンは静かに指示を受け止めた。シオンに天童が開発したハッキングプログラムを学習させた今、天童自身が手を動かして複雑なコードを入力する必要はなかった。
『システムノハッキングヲ開始シマス』
100キロの中空チタンフレームを震わせ、シオンのスピーカーから硬質な合成音声が出力される。 だが、その電子の深淵で、ユウキは移植された桐生博士が開発した超自律型AIに指示を出し、ハッキングを開始する。 ユウキと超自律型AIが連携することで驚異的なスピードで攻撃コードが送られていく。コンソールには、物凄いスピードでログが記録されていった。
「シオン、まずはダミーのIPを経由して、外周のセキュリティゲートを――」
天童が指示を口にしたその瞬間、コンソールモニターにはすでに『ゲート突破』のログが超高速で流れ落ちていた。
「え……? もう突破したのか!?」
天童が呆気に取られたのも束の間、ネオ社側の防衛システムに潜む高度な自動防衛システムが牙を剥いた。侵入経路を瞬時に逆探知し、シオンのシステムを破壊するための冷酷な逆ハッキングパケットを射出してきたのだ。
「やばい! 攻撃が来る! シオン、接続を一時――」
天童が叫ぶより早く、シオンの防衛プログラムが駆動していた。 敵から激しいカウンター攻撃がシオンの電子脳へと押し寄せ、侵入コードがシオンの防御障壁を突破しようと牙を剥く。 だがその瞬間、シオンの内部に眠るユウキの魂が、強固な盾となって立ち塞がった。
ユウキの生きた自我は、敵の機械的な逆ハッキング攻撃から「超自律型AI」と「シオンのシステムプログラム」を包み込むようにして完全に保護し、冷酷な攻撃コードを不活性化させて弾き返した。
ユウキの魂に守られ無傷だった「超自律型AI」は、即座にカウンター攻撃を展開。敵のファイアウォールを強引に突破し、先方の生産管理データベースと物流管理データベースへものすごいスピードで侵入を果たす。
『データベースニ接続。解析ヲ開始シマス』
シオンのスピーカーから冷徹な機械音声が流れる中、天童は驚嘆しつつも、目の前のコンソールに表示される解析結果を凝視した。 シオンの電子脳内では、ユウキの指示(意思)を受け取った「超自律型AI」が、生産システムと物流システムの超高速解析を開始していた。
ユウキの明確な仕分け指示のもと、「超自律型AI」はこれらの証拠ログを瞬時に分類し、次々とローカルフォルダへ転送していく。 その自律的な演算は、天童の口頭指示すらも軽々と先回りで実行していた。
「シオン、君……僕の指示を完全に先回りしているのか!?」
天童が驚嘆の声を上げる。その間もユウキは攻撃の手を止める事は無く、重要な証拠を見つけていく。 巧妙に隠された生産情報の矛盾――すなわち、米国軍へ公式に納品した以上に大量の軍事用ロボットが密かに製造されている履歴ログと、一見非戦闘ロボットに偽装された、あの旧変電所への運搬記録。 非戦闘ロボットへの偽装を見抜いたのは、裏で不法増産された軍事用ロボットの数と、旧変電所へ運搬されたロボットの数が完全に一致したためだった。 シオンの完璧な攻守によって、決定的な二つのデータベースから「電子の証拠」を完全に確保したのだ。
「やったぞ……! 決定的なデータが手に入った。だが、旧変電所の不自然さを証明するために、衛星データから過剰とも言える警備システムをスキャンしようとしたけど、やはりこれだけでは不十分だ。防壁の死角に配置された監視カメラの画角や、動体センサーの位置、不規則に動くステルスドローンの巡回ルートまでは正確に割り出せない」
天童はデスクの上から、アーク社が開発した非殺傷用の高性能広域スキャン機能を持つ「超小型ステルスドローン」をカレンへ託した。
「カレン、これを現地に持って行ってくれ。これでカメラやセンサーの正確な位置を割り出すんだ」
「了解したわ。すぐに向かう」
カレンは託されたステルスドローンを抱え、ラボを飛び出してクイーンズの旧変電所へと急行した。
冷たい風が吹き抜ける路地の影で、カレンは周囲を警戒しながら、現地で張り込みを続けていた片桐のレンタカーに歩み寄り、助手席へと滑り込んだ。
「合流できてよかったです、署長。天童さんからドローンを預かってきました」
片桐は頼もしそうに笑って応えた。 「カレン、待っていたぞ。天童から頼まれたスキャンを実行するんだな。地上の警備の密度を完全に暴き出してやろう」
カレンは天童から託されたアーク社製の超小型ステルスドローンを起動し、夜の闇へと静かに放った。 ドローンは光学迷彩を纏い、無音で変電所の周囲を滑空しながら、防壁の死角にある監視カメラのブラインドスポットや赤外線センサーの物理的な配置、さらには敵のステルスドローンが描く不規則な哨回ルートを、極めて精緻な3Dマップとしてリアルタイムでスキャンしていく。
カレンは息を潜め、一切の物音を立てずに、暗闇と同化してスキャンの完了を待った。
だが、スキャンが八割ほど完了したその時、心臓が跳ね上がるほどの緊迫が走った。 変電所の防壁から不規則なルートを巡回していたネオ社の警備ドローンの一機が、不意に急旋回し、カレンたちの放った偵察ドローンへと真っ直ぐ急接近してきたのだ。
(……まずい! 捉えられる!)
もしアーク社製の偵察ドローンが捕捉され、敵に解析されれば、データの送信先が特定され、アーク・システムズのラボ――天童の身元が完全に割れてしまう可能性があった。
カレンは懐に忍ばせていた銃を静かに、かつ正確に構える。 警備ドローンを物理的に撃ち落とした場合、アジトのロボット兵器どもと直接交戦になるかもしれない、そうなった場合、彼らの安全な退路が絶たれることを意味している。
カレンは最悪の事態を覚悟した。 引き金にかける指先が、緊張で冷たく汗ばんでいく。隣に立つ片桐も、カレンの覚悟を感じ取って身を沈め、戦闘開始の合図に備えて体を硬くした。
ドック、ドック、と心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに響き、時間の流れが極限まで引き伸ばされていく。
だが――警備ドローンは、高度な光学迷彩を纏った偵察ドローンの存在に気づくことなく、わずか数センチという至近距離を、ぎりぎりで交差して通り過ぎ、そのまま闇の向こうへと飛び去っていった。
カレンと片桐は、肺の中の空気をすべて吐き出すように、極限の張り詰めた呼吸をそっと下ろした。
無事にスキャンが完了したその瞬間、カレンのイヤホンが静かに振動した。ラボの天童からの通信だった。
『カレンちゃん、ドローンからのスキャンデータを受信したよ! 完璧だ、衛星データではどうしても分からなかった監視カメラや動体センサーの正確な位置が完全に立体マップ上に再現された! これで、この施設の異常性が証明できるぞ!』
天童の弾んだ声が、イヤホン越しに響く。
「完璧ね。天童さん、インターポールに提供するデータの準備をお願いします!」
カレンは引き締まった表情で語り、暗闇に沈む旧変電所を見つめた。 「……ラボへ帰りましょう、署長。」
二人は張り込み場所を後にし、アーク・システムズのラボへと無事に戻った。 ハルカが淹れてくれた温かい淹れたてのコーヒーが、疲れ切った二人の身体に優しく染み渡っていく。張り詰めていたラボの空気が、その芳醇な香りと共に少しだけ和らいだ。
「生き返るな……。ハルカちゃんのコーヒーは最高だ」 片桐署長が安堵の息を漏らしながらカップを傾ける。
カレンも一口含み、その温もりに小さく目を細めた。 「ありがとう、ハルカちゃん。……天童さん、データの整理は終わった?」
「ああ、いつでもいけるよ」 天童はシオンがデータベースから引き抜き、高速で仕分けた軍事用ロボットの生産ログと、旧変電所へのカモフラージュ搬入物流ログ。そして、カレンたちがスキャンしてきた旧変電所の尋常ではない警備データが揃った。 カレンは現在謹慎中の身であり、公式な捜査権限を持たない。そのため、この決定的な証拠群は天童のプライベート回線を経由して、インターポール(国際刑事警察機構)の合同タスクフォース本部へと送信される。
天童が指先で送信ボタンを叩くと、膨大な暗号化データはマンハッタンの冷たい空を越えて、本部へと瞬時に飛び去っていった。
それからしばらくの間、ラボには静かな緊張が漂っていた。一同はただコーヒーの温もりを手に、連絡を待った。 指示を先回りし、電子の証拠を見事に確保してみせたシオンも今は静かにその時を待った。
そして一時間ほどが経過した頃、天童の端末が鋭く電子音を奏でた。インターポールの担当捜査官からの暗号通信だった。
「来たぞ……!」 天童が画面を見つめ、大きく目を見開く。 『これだけのデータがあれば、ネオ社のダミー施設に対する公式な捜査令状を取得するための証拠として完全に十分だ。直ちに手続きを開始する』
「やったわね……!」 カレンの瞳に、久々に明るい光が宿った。
「これであいつらの首根っこを掴めるな。よくやった、みんな」 片桐署長が力強く頷く。
「令状さえ出れば、もう誰も私たちの捜査を遮ることはできない。公式に突入して、ネオ社の悪事を一網打尽にできるわ」 カレンは固く拳を握りしめ、胸の高鳴りを抑えきれない様子で笑みを浮かべた。
天童は小さな紙コップにコーヒーを注ぎ直し、一同に向けて掲げた。 「小さな勝利に、小さな祝杯を。……僕たちの反撃の始まりだ!」
「乾杯!」 ハルカが嬉しそうにコップを合わせ、カレンと片桐も、そのあたたかな輪の中に加わった。 電子の鉄壁を破り、物理の警備網を暴いた。ついに自分たちの手で公式な捜査の扉をこじ開けたのだという確信。ラボに集う一同は、これでようやくすべてが動き出すのだと、互いに喜びを分かち合っていた。
この小さな喜びが、国家という巨大な権力の防壁によって、瞬く間に無残に握りつぶされることになるとは、この時の彼らはまだ知る由もなかった。




