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第29話:深淵に灯る光

凍てつく夜の闇が、クイーンズの寂れた工業地区を音もなく支配していた。 警察のバッジもIDも持たない片桐は、路地に停めたレンタカーの運転席から、じっと前方の「旧変電所」を見つめていた。元現役捜査官としての長年の勘と、地道な張り込みの技術。それはアメリカの地であっても、何一つ衰えてはいなかった。


(……動いたな)


片桐の鋭い眼光が、冷徹な面持ちをしたネオ・ロボティクス社の幹部が高級セダンに乗り込む姿を捉えた。(この変電所とネオ社の関係は明らかだな)冷静に証拠の写真を撮る片桐。しばらくすると、頑強な大型コンテナトラックがコンテナを積み込み、稼働を停止したはずの旧変電所から発車した。 片桐は焦ることなく闇に潜み、やがて敷地から出てきたトラックが速度を上げたのを見計らって、エンジンを静かに始動させた。ヘッドライトを消したまま、そのトラックの追走を開始した。


トラックが向かった先は、海外向けの大型貨物船が停泊するコンテナ埠頭だった。 夜間の照明の下、クレーンによって厳重に積み込まれていくコンテナ。 海外向け貨物船が出入りする埠頭にコンテナを運んでいる。


(あいつら、おそらく政府の公式監査を完全に潜り抜けて、未登録の 軍事用ロボットやドローンを海外へ密輸出しているな……!)


一方、アーク・システムズのラボでは、天童湊が引きつった表情でキーボードを叩き続けていた。


「嘘だろ……なんだよ、この防御システムは。鉄壁なんてレベルじゃない!」


天童はネオ社のサーバーへのクラッキングを試みていた。追跡を逃れるため、世界中、何重にも重ねたプロキシを経由してパケットを送り込んでいる。 だが、ネオ社側の防衛システムは、天童の天才的なハッキングをことことく無効化するばかりか、恐るべき速度で「逆探知」を開始していた。


「天童さん、どうしたの?」 傍らで見守るカレンの声に、緊密な緊張が走る。


「僕が設置した囮のダミーサーバーに、一瞬でアクセスが返ってきたんだ。偽装アドレスを使っているから僕たちの物理位置自体は特定されないはずだけど……でも、攻撃の演算速度が異常すぎる。僕のハッキングを上回る速度で、僕の作業用PCに逆侵入を仕掛けてきているんだ!」


天童の額から、冷たい汗が流れ落ちる。 画面端のウィンドウには、PCへの不正アクセスログが人間の肉眼では追えないほどの超高速で流れていく。 天才エンジニアとしてのプライドを粉砕するほどの、圧倒的な悪意のハッキング速度。天童の指先が焦りでわずかに震えた。


「やばい。このままだとハッキングシステムが乗っ取られる」 天童が焦りの表情を見せたその時、ハルカはPCの後ろにまわりこんだ。


パチン、と小さなプラスチックの音が響く。 ハルカは、天童のメインPCの太い電源プラグを、コンセントから力任せに直接引き抜いたのだ。


一瞬にして画面が暗転し、ラボに沈黙が戻る。


「……え?」 天童は指をキーボードに浮かせたまま、口を半開きにしてフリーズした。


ハルカは、少し身をすくめながらも、緊張の混じった笑顔で言った。 「こうしちゃえば安全ですよね」


「物理遮断か……!」 天童は大きく息を吐き出し、椅子の背もたれに崩れ落ちた。 「ハルカちゃん、君は最高だ!」


「……それで、相手の正体は何なの?」 カレンの問いに、天童は表情を硬くした。 「わからない。だが、並大抵の防御システムじゃない。僕のハッキング速度を完全に凌駕する速度で、こちらを仕留めに来たんだ。まるで、こっちが何を入力しようとしているか、あらかじめ未来を予測しているかのような、恐るべき防衛ロジックだった」


天童は日本のオフィスに電話を掛けた。 「俺だ。警察から預かった桐生博士のドライブの内容をこっちのサーバに転送してくれ」


「天童さん、それって?」


「日本支社で押収されて、僕の手元に警察から解析依頼が来ていた、桐生博士のオリジナルの善意のプログラムだよ。……人力では、あの悪意のAIの演算速度には勝てない。だから、このオリジナルのプログラムを追加プログラムとして、シオンの制御システムに直接移植する」


「シオンに……?」 カレンが驚きに目を見開く。


「シオンの行動は、時折僕の理論予測やプログラム設計を超えた動きをするんだ。天童湊の最高傑作だからと言いたいところだけど、僕にも原因はわからない。だけど、あのシオンが時折見せる、まるで意志を持っているかのような不思議な思考挙動に、僕は賭けてみたいんだ」


カレンは、修復ラックに佇む、100キロの中空チタンフレームの相棒を見つめた。 天童は、シオンの中にユウキという人間の魂が存在していることを知らない。だが、技術者としての野生の勘が、シオンの「意志」を確かに感じ取っていた。


天童がコンソールを叩き、移植プロセスを開始する。


その瞬間、ラックの中で休止状態にあったシオン――ユウキの電子の深淵に、温かい光の奔流が流れ込んできた。


(……温かい……なんだろう、この光は。冷たいチタンの身体の中に、じんわりと、優しい温もりが染み渡っていく……)


それは、ネオ社の攻撃プログラムのような、破壊と暴力に満ちたデータの嵐ではなかった。 カレンを、そしてユウキを優しく包み込んでくれるような、どこまでも穏やかで、思慮深く、物理的に揺るぎない「善意のガードレール」に満ちた、極光のようなプログラム。


シオンのコアへその温かいプログラムが、まるでお父さんの優しい掌のように、あたたかく注がれていく。


ユウキの電子脳に、もう一つの、けれど完璧に自分と調和する、極めて心強く、知的な「もう一つの脳」が宿っていくのを感じた。 それはユウキの自我を脅かすことなど決してなく、むしろ彼の「カレンを守りたい」という震える手を下からしっかりと支えるように、そっと寄り添ってくれた。


(ようやく僕の出番だ)


天童とシオン(ユウキ)の反撃が始まる。

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