第62話 ❄♡
夜の静寂が降りた頃。
エスダロスでの一連の対応を終え、怪我を負った騎士たちの治療を済ませたアスタリアは、自室へ戻った。
(疲れた……)
シャワーを浴びてベッドの上にうつ伏せになり、ベッドの端から手を伸ばして地図を広げたものの、気持ちは別のところにあった。
(今日の私の行動……ルーカスに事前相談しなかった。随行者の立場で、あれは適切だったのかな……)
ルーカスは私によくしてくれる。一緒にいるとまるで穏やかで深みのある風のような感覚になる。理想の上司だろう。
今日のことを思い返す。
仕事となると、ルーカスは「王家騎士としての顔」を見せる。
あの時、伯爵に対して動けるのは彼だけだって言ってた。だから、彼は自分の役目をちゃんと果たしていたのね。
騎士たちの鍛錬の合間、ナターシャが食事を運んでくるのをきっかけに、彼女と接点を持った。ナターシャから伯爵の関与を吐かせることで、事を解決しようとしていた?
ちょうど私が領主夫人を治療して夫人の部屋を離れた後、夫人と、身近に仕える使用人がその奇跡に気づいた。
夫人はその使用人を通じて、ナターシャに尋ねた。あのピンク髪の女は何者なのか、ただ者ではない、と。
私が王家騎士団副団長ルーカスに連れられてきた者だと知って、夫人はルーカスが地下室を探しているのだと考えたのだろう。
何しろ、あの時の私は地下室のことを何度も口にしていたもの。
慎重な夫人は、地下室のことを私には伝えなかった。
それを逆に交渉材料にして、ルーカスに取引を持ちかけようとした。
夫人は、この局面を動かせるのは彼しかいないと判断した。
そうすれば、自分は救い出され、領地の主導権を握ることもできる。そして、伯爵とその息子に復讐できる。
そしてルーカスにとっても、これだけ大きな利権を王家にもたらす功績になる。
騎士団副団長という立場である以上、彼だって名誉や金、地位を求める気持ちがないはずがない。私によくしてくれるからといって、そういう人間らしさを見ないふりはできない。
……そう考えると、少し距離を感じたけど。
ここまでは王家の利益と一致している。でも――もし伯爵を逮捕することが、王家の利益と食い違ったらどうなるんだろう?
心のどこかで、王家と領主の関係について、ルーカスと私では考え方が違うのではないかと、警戒していた。だから、あの計画を話さなかった。
ルーカスはどう思っているんだろう。自分のことを信頼していないと感じただろうか。それとも、随行者として越えてはいけない線を越えたと思っただろうか。
昼間は少しばかり派手にやりすぎた。
「うわぁ……」
アスタリアは地図を放り出し、さっきまで胸元に敷いていた枕を抱き寄せ、顔を埋めた。
(でも……昼の戦い、気持ちよかったんだよね。へへ。)
……そうだ、ルーカスは私と違って、男だった。
普通の男なら、多少は出世し、お金を貯めてお嫁さんをもらうのは、よくあることだ!
そのとき、二つの部屋を繋ぐ扉の向こうから、ルーカスの声がした。
「アスタリア、ちょっと話してもいいか?」
「あ、ちょっと待って。今、開けます。」
アスタリアは慌ててベッドから腰を上げ、扉へと向かった。
扉を開けると、ルーカスは静かに部屋へ入り、ベッドに座ろうとするアスタリアに気づき、部屋で唯一の椅子に腰を下ろした。
大樽はすでに部屋に運び込まれており、上にはカウボーイハットが置かれ、ベッドの上にはさっきまで見ていた地図が広げられている。
ルーカスは微笑みを浮かべ、自然に話を切り出した。
「地図を見ていたのか?『無境界の西荒野』や『無人の境』へ行くためかな?」
(え?仕事の話ではないの?あの地下室の本はサーベルに託して、あなたのもとへ届けてもらった。騎士たちの治療をしている最中、サーベルとロビンが城内の統制を図っているのを見て取れたからだ。王家が一時的に城を接収する、という体裁を整えているってことよね。
さっきまで地図を見ていたけど、頭の中では別のことを考えていた。)
「今回の仕事が終わったら、一度その場所を見に行ってみようかなって。仕事が終わったあとのご褒美の小旅行みたいな感じで。ウィンストン伯爵の件はどうなりましたか?あの闇商人を追う人員は出すんですか?」
(私が追いかけに行くのもアリかも。むしろそっちのほうが面白そうだし。)
アスタリアはひとまずルーカスの質問に答えて、自分が気になっていた話題へと、するりと話の舵を切った。
そして、胸の奥に引っかかっていたことを、一気に吐き出した。
「今日、私もヨナやレベッカたちと一緒に、子どもたちを無事に家まで送り届けたよ。
今日の計画のこと、あなたに話してなかった……」
「すべて、知っているよ。」
ルーカスはアスタリアをまっすぐに見つめ、落ち着きのある、耳に心地よい声で語りかけた。
「アスタリア、君のおかげで、たった5日で、すべてがスムーズに解決した。
伯爵の事後処理はロビンに任せればいい。ロビンは一見すると猪突猛進だけれど、書類仕事もちゃんとこなしてくれる。もともとここの王家騎士で、サーベルと一緒に働いている。
あの闇商人を追うことにはならない。闇商人の件は、僕から外交ルートを通じてエスダロス王家に連絡を入れておく。
これで仕事も、もうすぐ終わるよ。その後は、フラマリス王都へ帰る。それとも、君が一足先にエスダロスへ遊びに行ってもいいんだよ?」
(最後の一言、どういう意味だろう。)
ここ数日がずいぶん長く感じられ、いろいろなことに追われて忙しく動き回っていた。すぐに戻れると聞いて、身体も心も少しずつほぐれていく。
(……そうか。もう、全部終わったと思っていいんだ。)
アスタリアの表情が、ふっと緩んだ。
ルーカスは、その変化に気づいた。少し身を乗り出し、楽しそうに笑いながら問いかけた。
「君たちの意向に合わせると言っただろう。だからアスタリア、ただ自分の思う通りに動いていいんだ。僕はそれに合わせるだけだ。
僕、君に合わせるの、わりと上手いだろう?」
「……うん。」
アスタリアは頷いた。確かに、完璧なコンビネーションだった。




