第54話 ❄♡
朝、約束を果たすため、生の鶏肉を買ってガーネットとベリルに届ける予定だ。
エスダロスの内陸まで行く必要はない。国境の検問所あたりまで行けば十分だ。上空から見張っているガーネットのカメラが私を見つけてくれるはずだから。
馬に乗っている時、ふと昨夜見た部屋の光景が脳裏にフラッシュバックする。
あの部屋、間違いなく領主の個人的な収蔵室だったんだ。でも、ガラス樽と生活用の鉱石が置かれているということは……あの樽の中身は酒ではなく、水なのでは?つまり、地下には人が住める条件が整っている?犯行が夕方に行われていた理由も、それを実行できる権力を持っていたことも――完全に辻褄が合う。全部繋がった!
三重の証拠。行動を起こすべきだ。
伯爵が留守の隙に、あの隠し扉の向こうを確かめよう。
城へ戻ったら、すぐにルーカスに「伯爵を狩りに誘ってほしい」と頼もう。
城に戻ったアスタリアは、こっそりと中庭へ足を踏み入れた。
中庭は城に四方を囲まれた広大な緑地で、鎧を纏った騎士たちが隊列を組み、互いに剣を交えて訓練していた。その数はゆうに百人はいるだろう。
その戦列の間を、ルーカスが颯爽と縫って歩いている。
(ルーカスは、こんな一面があるんだな。なかなか大変そうだ、王家の騎士としての仕事って。)
そう思った瞬間、誰かがそばに近づいてくる気配がした。
反射的に振り返る。
目の前にいたのは、淡い紫色のショートヘアに、屈託のない笑顔を浮かべた鎧姿の女騎士だった。
「やあ! あたし、騎士のヴィヴィアンって言うの!」
明るい声が耳に飛び込んできた。
(おかしい。なぜ彼女は私に声をかけてきたんだ?単に人懐っこいだけなのか、それとも城にいる人間の顔を覚えてるだけなのか。私が王家騎士の随行者だって、ちゃんと知ってるってこと?)
「……こんにちは。訓練には参加しないんですか?私はアスタリアです。」
その時、ルビーの念話が響いた。
『黒ずくめの家令がくる!中庭の入口の向こうだ!』
目立たないように、ルビーには上空から領主や家令の動きを見張っていてほしいと頼み、私は遠回りをして人目を避けることにした。
「向こう?」
アスタリアはその呟きを漏らすと、慌てて脱兎のように少し離れた階段の曲がり角の陰へと身を潜めた。
それと同時に、ヴィヴィアンは訝しげにアスタリアが指した「向こう」へと振り返った。
「え? 向こう……?
ええっ!? アスタリアさん!? なんで消えてるの!?」
その頃、休憩時間が近づいたようで、山のように大柄な女性が、水と食事を配りながら騎士たちの間を歩き回っていた。
ルビーの話によれば、その人は西側の老婦人の部屋の近くにも食事を運び、そこから別の使用人の手に渡って、老婦人のもとへ届けられているらしい。
(たぶん厨房のナターシャね。
ふふん、全部押さえてるんだからね。)
アスタリアはそのまま得意げに心の中でつぶやきながら、家令を避けるため、くるりと迂回路を駆け抜けた。
そういえば、午前の訓練のあと、ルーカスは部屋に戻って軽くシャワーを浴びるだろう。
シャワー上がりのルーカスを待ち伏せすればいい。なんだか少し響きが変だけれど。伯爵を狩りに誘うのは、やはり早いほうがいい。
自室に戻ったアスタリアは、明日の潜入計画を練っていた。
やがて、ルーカスが部屋に戻ってくる気配がした。窓枠に手をかけ、そっと声をかける。
「ルーカス様。」
「来たよ。アスタリア。」
ほぼ同時に、ルーカスの声が聞こえてくる。
窓から半身を乗り出したルーカスは、こちらへ体を向け、柔らかな微笑みを浮かべながら見つめている。
間髪を容れず返ってきた答えに、アスタリアは思わず微笑んだ。
「君が来るような気がしてたよ。」
ルーカスの視線の先には、ちょっと焦った様子のアスタリアがいる。
「あなたの部屋に行ってもいいですか?ちょっと手伝ってほしいことがあるんです。」
「もちろん。」
アスタリアはルーカスの部屋に入るなり、声を潜めて本題を切り出した。
「ウィンストン伯爵を城から連れ出す方法ってあるんですか?例えば、あの狩りの話とか……」
(伯爵を疑っていることは伏せたまま、狩りに誘ってほしいと頼んでみよう。)
「もう約束してあるよ。明日の早朝、ウィンストン伯爵とその息子と一緒に狩りに行くことになってるから、僕も同行することになるね。それで、サーベルには城の騎士たちの訓練を代わりに頼んである。君が何か手伝ってほしいときは、サーベルに頼めるようにね。」
ルーカスは軽やかに答えた。
「えっ、なんで私がこれを必要としてるって分かったんですか?」
「先読みしたんだよ。」
ルーカスがくすりと笑う。
アスタリアはホッと息をついた。
ルーカスはアスタリアを見つめながら、言葉を続けた。
「明日、サーベルは君の指示に従ってくれるし、とても頼りになる騎士だからね。」
(え……?何も聞こうとはしない。けれど、彼はすべてを知っているような気もする。信頼してくれている気がする……)
じっとルーカスを見つめても、彼はただ優しく微笑み返すだけだった。
一瞬、迷いが胸を過る。
伯爵が真犯人かもしれない、ということをルーカスに話すべきかどうか。
もし犯人が伯爵のような高位貴族だった場合、ルーカスを苦しい立場に追い込んでしまうのではないか。
今はとにかく、まずは地下室を確かめに行こう。
「伯爵について、知りたいことがあるんです。何か変わった様子とか、好みとか。特に最近のことで。」
(サーベルから伯爵に関する資料はいくつかもらっていたけど、ルーカスなら別の角度からの情報を持っているかもしれない。)
「ウィンストン伯爵は昔から狩りと剣術、それに体を鍛えることが好きでね。十年前に奥方を亡くしてから、髪がすっかり白くなったんだ。世間からは、一途な男として通ってるな。」
「奥方は、何の病気で亡くなったんですか?」
「表には出ていない。」
(私の知っていることと違うね。)
「ふうん。」
アスタリアの表情に、ふと眠たげな影が差す。(今夜はしっかり眠って、明日の戦いに備えよう。)
ルーカスの部屋を去った後、アスタリアはふとあることを思い出し、窓から飛び出してサーベルの元へと向かった。
自室の窓から、アスタリアの姿を眺めていたルーカスは、思わずクスリと笑みをこぼす。
「元気だなぁ、アスタリア。」




