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世界支配―誰にも見られなかった俺、人の心が読めるようになったので、会社から国までぜんぶ乗っ取ることにした―  作者: みぎみみ


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第23話 「何パーセントあれば、会社は奪えるか」


 社長室のソファの前のテーブルに、宍戸は株主の一覧の紙を広げた。


 『株。株って、何パーセントあれば勝てるんだ』


 秀明の頭の中は宍戸の説明を半分も聞いていなかった。


 十一月の最初の月曜、夜八時。社長室の応接セットのテーブルに、総務の金庫から出してきた株主名簿の写しが広げてあった。窓の外はもう真っ暗で、ガラスに二人の姿と天井の照明が映りこんでいる。隣の秘書室で榎本がまだパソコンを打っていて、キーボードの音が壁越しに小さく聞こえた。


「社長。取締役会で多数を取れば、会長に代表の権限を返していただくことはできます。ですがそれだけでは足りません」


 宍戸は名簿の上にボールペンの先を置いた。


「会長は、この会社の一番大きな株主です。取締役会で負けても、株主総会を開いて、取締役を全員入れ替えることができます。社長も、専務も」


 秀明の手がソファの肘掛けをつかんだ。全員入れ替え。……俺も? 親父なら、やる。親父はやる。


「ですから、先に、株主の過半数をこちらに揃えておく必要があります」


 伊庭興産は株を市場に出していない。持っているのは伊庭家の人間と社員と取引先と銀行で、名簿には、その全員の名前と割合が並んでいた。


 会長、伊庭源一郎、三十パーセント。社長、伊庭秀明、十二。会長の弟で相談役の伊庭康二郎、十。会長の長女で秀明の姉の柴崎典子、八。社員持株会、十。東都銀行、五。取引先が七社で合わせて十五。専務の峯岸、三。残りの七は古い役員やその遺族に細かく分かれている。


 宍戸は名前の横に、ボールペンで小さな印をつけていった。


 一つ印をつけるたびに、指先にかすかな痺れが走った。力のせいではない。この紙の上に並んでいる名前の全部が、いずれ宍戸の手の中に入る。その順番を、今、自分の手で書いている。


「社長が十二。専務が三。これで十五です」


 十五。親父の半分だ。


「社員持株会の十は、理事長の判断で議決権を使います。理事長は総務部長の小田切さんです」


「小田切は、こっちにつくのか」


「つきます」


 それ以上は説明しなかった。小田切の頭の中は、この一か月で何度も聞いている。蛭田の件で監督責任を問われるのを怖がり、野々村の件でも総務部長として名前が出て、次の春の異動でどこへ飛ばされるかを毎晩考えている。その小田切に、来年も総務部長をお願いしたい、と社長がおっしゃっています、と一言伝えれば済む。


 見ないふりをしていた、と小田切は頭の中で認めていた。蛭田が宍戸を怒鳴るのを、十二年ガラス越しに眺めていた男。その男が来年の椅子欲しさに、宍戸のために票を入れる。


 悪くない、と宍戸は思った。小田切の椅子はいずれ空ける。だが空ける前に、使う。


「二十五。東都銀行の五。銀行は会社の経営が安定するほうにつきます。会長が、外から社長を連れてくるお話を、本店の頭取とだけ進めていらっしゃることは、神田支店の支店長はご存じありません」


「外から?」


 秀明の声が裏返った。


「親父が、外から社長を?」


 聞いてない。そんな話、聞いてない。俺を外す気だったのか。親父が。俺を。


 秀明の顔から、すうっと血の気が引いていく。宍戸はその冷たくなった場所に指を置かなかった。置く必要がなかった。秀明は自分の力だけで、父親への怒りに火をつけはじめていた。三十八年。三十八年、親父の顔色ばかり見てきた。それで、最後は、外から。


 宍戸は黙って火の手が広がるのを見ていた。


 蕎麦屋の座敷で、あの老人の頭の中から盗んだ一行だった。外から連れてくる。誰にも言っていない。秀明にも。その一行を、今、息子の前に置いた。老人が四十四年かけて守ってきた秘密が、息子の胸に火をつけている。


 火をつけたのは宍戸の口だった。だが燃えているのは、秀明の中にもともとあった、三十八年分の薪だ。


「確かな話です」


 どこから聞いたのか、秀明は訊かなかった。訊く余裕がなかった。


「支店長がこれを知れば、頭越しに本店と話を進めた会長に、いい気持ちはしないはずです。……三十」


 ボールペンの先が、名簿の上の二つの名前で止まった。伊庭康二郎、十。柴崎典子、八。


「叔父さまと、お姉さま。ここで四十八になります」


「叔父さんと姉さんが、こっちにつくかな」


 叔父さんは親父と仲が悪い。昔から。でも、親父には逆らわない。姉さんは……姉さんは、親父の言うことしか聞かない。


「つくかどうかは、まだわかりません。来週の日曜、奥さまの七回忌の法事がありますね。お寺のあとで料亭に皆さまが集まられると、榎本さんから聞いています」


「ああ。母さんの」


 秀明の声が少しだけ小さくなった。


「私も、社長のお付きとして同席させていただけませんか。運転手と、荷物持ちを兼ねて」


 この男がいれば、叔父さんとも、姉さんとも、うまく話せる気がする。


「頼むよ」


 秀明はソファの背にもたれて天井を見上げた。照明の光が秀明の目の中で白く揺れていた。


「残りは、取引先だな」


「取引先の十五のうち、四取れば過半数です。三でも足りますが、余裕を持たせます。丸山梱包と、東和資材と、物流会社。この三社で七あります。三社とも、来月から消耗品の一本化で取引が大きくなります。社長から、来年以降も長くお付き合いを、と一言お伝えいただければ」


 丸山梱包。東和資材。蛭田が領収書の宛名に使っていた会社だ。蛭田の嘘の宛名が、今度は宍戸の票になる。


「わかった。電話する」


 この男の言うとおりにすれば、勝てる。親父に、勝てる。


 秀明は名簿の写しを取り、自分の目で数字を一つずつ確かめた。指で名前をなぞっていく。指は途中で一度、父親の名前の上で止まって、それからまた進んだ。




 秀明が帰ったあと、名簿の写しを金庫に戻しに、四階の総務課へ下りた。島は暗く、非常口の誘導灯の緑色だけが、机の上の書類の山をぼんやり照らしている。


 金庫の前にしゃがんでダイヤルを回した。かちり、かちり、という小さな音が、誰もいない島に響く。


 背中で足音がした。


「宍戸さん」


 島の入口に香坂が立っていた。上着を腕にかけ、コンビニの袋を提げている。


「まだいたんですね」


「香坂さんこそ」


「俺は仕事が終わらないんで。宍戸さんが抜けた分、こっちに回ってきてるんですよ」


 香坂の目が宍戸の手もとの金庫に落ちた。開いた扉の中に、株主名簿の綴りの背表紙が見えている。


 株主名簿? 社長室長がこんな時間に、なんで総務の金庫を。……何か、やってる。


「株主総会の準備ですか。来年の六月なのに、早いですね」


「社長に頼まれた資料です」


 名簿の写しを金庫にしまい、扉を閉めてダイヤルをぐるりと回す。


 香坂はそれ以上何も言わず、自分の机でパソコンの電源を入れた。起動の音が静かな島に響く。


 見たぞ。株主名簿。社長室長が夜中に。蛭田さんも、野々村さんも、宍戸の周りで消えた。……偶然か?


 宍戸は立ちあがった。膝の関節がぽきりと鳴った。


「お先に失礼します」


「お疲れさまです」


 香坂は画面から目を上げなかった。その頭の中で、名前が三つ、ゆっくり並びはじめていた。蛭田。野々村。宍戸。


 エレベーターを待ちながら、紙に包んだ角砂糖を一つ口に入れた。指は冷えていない。それでも、口の中に甘いものがないと、落ち着かなくなっていた。


 香坂。三十一歳。上に行きたい男。今はまだ使えない。


 だが疑いを持った男は、いずれ誰かにそれをしゃべる。小田切か、専務か、会長か。しゃべる前に、どこかへ置かなければならない。


 邪魔になる紙の、片づけ先を考えるのは、宍戸の得意な仕事だった。


 エレベーターの扉が開いた。乗りこむ前に一度だけ振り返ると、暗い島の真ん中で、香坂のパソコンの画面だけが青白く光っていた。宍戸はその光を見ながら、少しだけ笑った。




第23話 了

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