↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界支配―誰にも見られなかった俺、人の心が読めるようになったので、会社から国までぜんぶ乗っ取ることにした―  作者: みぎみみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/32

第18話 「蕎麦屋で、会長に三つの問いを出された」


 座敷の卓の上に、割り箸が二膳、並んでいた。


 『この男が先に箸を割るか、私が割るのを待つか』


 蕎麦屋の座敷で向かい合ったときには、会長の頭の中はもう宍戸を量りはじめていた。


 木曜の昼十二時。神田の裏通りの、間口の狭い古い蕎麦屋だった。暖簾をくぐると、出汁とゆでた蕎麦の湯気のにおいが顔を包む。土間の奥の座敷に四人がけの座卓が二つだけあり、障子越しの光が畳をやわらかく照らしていた。店の主人は会長の顔を見ると、黙って奥の座卓を指さした。注文も訊かなかった。


「ここは、私が二十八のときから来ている。最初の倉庫を借りた年だ。金がなくて、もりを一枚しか頼めなかった」


 会長は座布団に正座した。小柄な背中が障子の桟と同じくらい真っすぐだった。宍戸も向かいに正座する。主人がもり蕎麦を二枚と蕎麦猪口と薬味の小皿を置き、割り箸が盆の上に一膳ずつ並んだ。


 会長は箸に手を伸ばさない。待つか。割るか。


 宍戸は割り箸を取り、膝の上で静かに割った。ぱちん、と乾いた音が狭い座敷に響く。


「いただきます」


 先に割った。目上を待たない男か。……いや、待たせないようにしたのか。私が割らないのを見て。


 会長も箸を割った。しばらく二人とも黙って蕎麦をすすった。蕎麦は細く、つゆが辛い。宍戸はわさびを少しだけつゆに溶いた。


 三口ほど食べたところで会長が箸を置いた。


「宍戸。うちの会社の、一番の問題は何だと思う」


 来た。


 蔵の扉が少しだけ開いた。座卓をはさんで一メートル。楽に届く。


 『営業所の数でも、在庫でもない。人だ。私が育てた人間が、誰も私を超えなかった。峯岸も、秀明も』


 宍戸は答えを選ぶ前に一瞬だけ迷った。外してみせることもできる。だがこの老人の頭の中の答えが、そのまま目の前に置かれている。手を伸ばせば届く場所に。


「人だと思います。営業所の統合も在庫の整理も、数字の上ではもう答えが出ています。ただ、それを決めてやりきる人がいません」


 会長の箸が蕎麦猪口の縁で止まった。……そうだ。


「次」


 会長は蕎麦を一口すすってから言った。


「湊浜の件は、知っているか」


 宍戸は蕎麦猪口を持ち上げ、つゆを一口飲んだ。辛さが舌の奥にしみる。


 知っている。総務課であの請求書を通しているのはこの男だ。知らないはずがない。知らないと言ったら嘘をつく男。知っていると言ったら、それをどうしたいか訊く。


「請求書は、私が判子を押しています」


「中身は」


「三年で二億を超えています。本社のごみがそれほど出るはずはありません」


 正直に言った。


「それで、どうしたい」


 止めたいと言えば、湊浜の連中を甘く見ている。放っておくと言えば、会社の金を見捨てる男だ。正しい答えは一つしかない。今は動かず、峯岸の首と一緒に切る。それを、この男は言えるか。


 言えるか、と訊かれている。


 宍戸の胸の奥で、何かがぞわりと立ちあがった。この老人は宍戸を試している。四十四年、人を量ってきた目で。そして、その秤の目盛りが、宍戸には全部見えていた。


 言ってやりたかった。この老人が一番欲しい答えを、一番欲しい言い方で。量っているつもりの秤の上で、量られているのがどちらなのかを、見せてやりたかった。


「今は、動きません。専務を切るときに、一緒に切ります。先に止めれば、相手が騒ぎます」


 会長は何も言わなかった。箸を持ったまま、宍戸をじっと見ていた。障子の外を自転車が一台通りすぎ、ブレーキのきしむ音が遠ざかっていく。


 ……三問目。


 会長が老眼鏡を外し、座卓の端に置いた。


「では。私が死んだら、会社は誰に渡すのがいいと思う」


 宍戸は会長の目を見た。答えははっきりと書いてあった。


 秀明ではない。峯岸でもない。外から連れてくる。銀行の推薦で同業の大手から一人。もう、話は進めている。……誰にも言っていない。秀明にも、峯岸にも、榎本にも。


 喉の奥が熱かった。


 四十四年かけて作った会社の行き先を、この老人は誰にも言わずに決めている。その一番奥の秘密が、今、宍戸の目の前に置かれている。


 言うな、という声が、頭の隅でかすかにした。宍戸はそれを、蕎麦湯の湯気のように払いのけた。


「社長には、まだ早いと思います。専務も、違います。……外から、お連れになるのがいいかもしれません。同業の、大きな会社から」


 座敷がしんと静かになった。奥の厨房で、主人が鍋に湯を足す音がする。


 会長は老眼鏡を取らなかった。箸も持たなかった。両手を膝の上に置いたまま、宍戸を見ていた。


 会長の頭の中の一本の線が、初めてわずかに揺れた。


 風もないのに、ぴんと張った糸が、かすかに震えるような揺れだった。今のは。今のは私しか知らない答えだ。銀行の頭取と私と、二人しか知らない。書類も、どこにもない。それを、この男は言った。三問とも、私が考えていたとおりに。


 揺れた。


 四十四年、一度も揺れたことのない線が、宍戸の一言で揺れた。宍戸はその揺れを、目の前で見ていた。口の中に、つゆの辛さではない味が広がっていく。勝った、と思った。


 その直後に、首の後ろがひやりと冷たくなった。力を使ったときの冷えとは違う冷たさだった。


 正解しか言わない男は、信用できない。この男は何かを知っている。どうやって。誰から。


 会長はゆっくりと箸を取り、蕎麦の残りを、一口、二口、最後の一本まですすった。


「うまかったか」


「はい。とても」


 実際には、ほとんど味がしなかった。三問目のあとのつゆの辛さも、蕎麦の香りも、舌のどこにも残っていなかった。




 会社までの帰り道、会長は一言もしゃべらなかった。


 途中で一度だけ足を止めた。古い雑居ビルにはさまれた、小さなコインパーキングの前だった。黄色い精算機の看板と、白い線で区切られた六台分のアスファルト。会長はそこをしばらく眺めていた。最初の倉庫を借りた年。二十八歳。もりを一枚。蕎麦屋で聞いた話を宍戸が思い出したのは、会長がまた歩きはじめてからだった。


 宍戸は半歩後ろを歩いた。会長の頭の中は一本の線のままだった。その先に何があるのか、宍戸は聞こうとしなかった。聞けば指がまた冷える。冷えた指で、もう一度この老人の前に立つのは危ない気がした。


 ビルの前で会長が立ち止まった。昼休みの終わりで、自動ドアの前に煙草を吸い終えた社員が戻ってくる。誰も、会長の顔を知らない。小柄な老人をよけて通っていく。


「宍戸」


 宍戸は半歩前に出た。


「今日の三問。どれも、よく考えた答えだった」


 会長は宍戸を見ず、自動ドアのガラスに映った二人の姿を見ていた。


「よく考えた答えには、どこかに迷いが出る。君の答えには、それがなかった」


 自動ドアが開き、小柄な背中がエレベーターホールのほうへ消えていった。


 宍戸は歩道に立ったまま、人波に両側を流されていた。


 三問とも、正解した。それが間違いだった。


 会長が欲しかったのは正解ではなかった。宍戸という男がどこで迷い、どこで間違えるかを見たかったのだ。間違えない男は何かを隠している。会長はそう考える人間だった。


 わかっていた。三問目の前に、言うなという声は、確かに聞こえていた。


 それでも言った。言わずにはいられなかった。四十四年揺れなかった線を、自分の手で揺らしてみたかった。揺らせるとわかったとたん、手を止められなかった。


 宍戸はポケットから飴を出して口に入れた。今度はちゃんと甘かった。


 悔しさはあった。だがそれ以上に、舌の上の甘さが、あの一瞬の味を思い出させた。会長の線が震えた瞬間の、背中を駆け上がっていった熱を。


 あの味を、もう一度味わうために、次は、どこか一つ外す。外したうえで、最後に、あの老人の線を、根もとから切る。


 ビルの自動ドアが開いた。ガラスに映った男の口が、小さく笑っていた。


 眉は、下がっていなかった。




第18話 了

__________________________________________________________

ブックマークと、下の☆☆☆☆☆での評価をいただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。