『いい子』がキレた時が一番怖いのは、そいつが元々『化け物』である自覚がないからだ
ジノは男らに首輪の鎖を引っ張られる形で、豪奢な馬車に乗せられた。
猿轡はシャワーの際に外され、再びされることはなかった。
馬車に乗せられ走ること数刻、日が暮れ始めて到着したのは、うら寂しい古城だった。
エントランスでジノを出迎えたのは、先に到着していたらしい侯爵夫人その人。
首輪の鎖の先は夫人に手渡され、鎖を握られた形で対面する。
漆黒の髪、色白な肌、真っ赤な口紅が印象的だ。
そして、仮面を付けてても認識出来た、その赤い瞳。
(おいおい、隠す気もないのか……)
「……ようこそ」
「私はエリザヴェータ・フォン・クロムウェル。クロムウェル侯爵夫人と、人は呼ぶわね」
「……あなたの身の上は知らないけれど、私はあなたに非常に興味があるわ」
「だから1億で買ったのか?」
「ええ」
「……行きましょう」
エントランス中央の階段を登り、上階へ。
決して広くはない廊下には、赤い絨毯が敷き詰められている。
一際、大きな扉の部屋の前で夫人は立ち止まった。
「……ここが私の部屋なの。別荘だから、そんな広くはないわ」
通された部屋は、中央に大きな天蓋付きのベッド。
色味の統一された調度品が並ぶ部屋は、決して狭くはない。
田舎のあばら屋で暮らしていたジノからして、何もかもが規格外なのは間違いなかった。
侯爵夫人は、その場でドレスを脱ぎ始めた。
(……おいおい。勘弁してくれ)
背中をこちらへ向け、項を見せる。
「後ろを外してくださる?」
ジノは一瞬躊躇うが、言う通りにした。
夫人はあっという間に下着だけになり、ジノの顎に長い指をかけた。
「あなた、私の知ってる人によく似ているの」
「生き写しかと思うくらい」
(いや、近い近い)
そのままベッドに押し倒され、夫人が舌舐めずりした。
虫唾が走るが、まだ様子見すべきか悩む。
「とても美味しそう」
赤い双眸が、怪しく煌めいた。
夫人の手が、ジノの両頬を包む。
ゆっくり近付いて、首筋に唇が触れそうな瞬間──。
「くっ!!」
夫人の指にハムスターが噛み付いていた。
「姫さん!?」」
「このネズミめっ! 何処から入って来た?」
思い切り腕を振り、ルミナの小さな身体は簡単に吹っ飛んだ。
壁に打ち付けられ、もんどり打って落ちる。
「おい!」
ジノは我慢がならず、魔力を解放した。
場の空気が一瞬で変わり、身体中に力が巡る。
ルミナに向かって回復魔法をかける。
詠唱など、ジノには必要なかった。
「……待って、その赤い瞳は? まさか」
ジノは右手で、容易く鉄製の首輪を粉々に砕いた。
「何故、魔物が人間の貴族のフリなんかしているんだ?」
襟元のタイを緩めて、怯える夫人を見下ろした。
「答えろ」
それはあまりにも圧倒的な力の差だった。
「ジノ様!!」
いつのまにか人の姿に戻ったルミナが声を上げる。
「!」
ジノがそちらに気を取られた一瞬の隙をつき、侯爵夫人の身体が黒い霧のように溶け、その場から消えた。
(──逃げられたか)
読んでいただきありがとうございます。
ハムスターを逃してしまったことはあります。




