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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第5話 黒縄の噂

辺境都市ラステルを裏から牛耳っていた『赤鼠商会』が、たった一夜にして壊滅した。


その事実は、冬の乾いた風に乗って瞬く間に街中を駆け巡った。

首領であるバルド・レックが、自身の悪事を記した帳簿と共に衛兵詰所前に吊るされていたという異様な光景は、人々の心に強烈な恐怖と、そして密かな痛快さを植え付けた。


商会の拠点はもぬけの殻となり、借金と焼き印で縛り付けられていた孤児たちは、誰に追われることもなく解放された。


雑貨屋《からすの止まり木》の裏手にある小さな生活スペースは、その日、ひときわ賑やかだった。


「ほら、お代わりはいっぱいあるから、焦らずに食べなさい」


リナが大きな木杓子で鍋をかき混ぜながら、柔らかく微笑む。

鍋の中で煮込まれているのは、野菜の切れ端と少しばかりの塩漬け肉、それに硬い黒パンをちぎって入れた温かいスープだ。


「うめぇ……! こんなにあったかい飯、いつぶりだろ……」

「ゆっくり食えよ。誰も取らねえからさ」


痩せこけた数人の孤児たちが、涙ぐみながら夢中で木皿のスープをすすっている。

その中心には、十二歳の少年・ノアの姿があった。

彼は孤児たちの中で年長者として振る舞いながらも、その手はやはりスープの温かさに小さく震えていた。


これまで彼らは、常に背後を気にしながら、奪い合い、怯えながら冷たい残飯をかき込む日々を送ってきた。

今日初めて、彼らは『明日も生きていける』という安心感と共に食事をしている。


店の奥の勝手口から、その光景を静かに見つめている男がいた。

古びたエプロンを身につけた無精髭の店主、グレンだ。


「……食い終わったら、裏の雑草を抜け。飯はその対価だ」


グレンが淡々とした声で言うと、ノアは勢いよく立ち上がり、口の周りを拭った。


「おう! 任せとけって! 俺、今日からこの店で働くからな!」


ノアはすっかりこの店に居着くつもりらしかった。

グレンは短く息を吐き、それ以上は何も言わずに店番へと戻っていった。



客の途絶えた昼下がり。

カウンターの奥で売上帳に数字を書き込んでいたリナは、ふとペンを止め、隣で古釘の錆落としをしているグレンを見つめた。


あの日、商会の下っ端が腕を外された時から、いや、もっと前から、彼女は薄々感じていた。

この無口で眠そうな目をした男が、ただのさびれた雑貨屋の店主であるはずがないと。


「……店主さん」

「なんだ」

「店主さんは……本当は、何者なんですか?」


リナの問いかけは、ひどく静かだった。

恐怖はない。ただ、自分を、そして子どもたちを救ってくれたこの男の輪郭を、少しだけ知りたかったのだ。


錆びた釘を磨いていたグレンの手が、一瞬だけ止まる。

彼は半分閉じたような目をリナに向け、いつもと全く変わらない、抑揚のない声で答えた。


「……雑貨屋だ」


それは嘘ではなかった。

少なくとも今の彼にとって、過去の肩書きよりも、目の前にある釘や石鹸の方がはるかに手触りのある真実だった。


「……そうですか」


リナは小さく息を吐き、再び売上帳へと視線を落とした。

それ以上追及するつもりはなかった。彼が雑貨屋であると言うなら、この店はこれからも雑貨屋なのだ。



しかし、街の人々はそうは思っていなかった。

赤鼠商会壊滅から数日が経つ頃には、尾ひれがついた噂が勝手に独り歩きを始めていた。


「聞いたかい、あんた。あの南通りの雑貨屋の親父の話」


通りに面したパン屋の前で、近所の主婦たちが声を潜めて話し合っている。


「聞いたわよ。なんでも、夜中になると『黒い縄』が蛇みたいに勝手に動き出して、悪党の首を絞めにいくらしいじゃないの」

「いやいや、私が聞いたのは違うよ。あの店の床下には、血に染まった巨大な処刑台が隠されていて、親父が夜な夜なギロチンを落としてるって話さ」

「恐ろしいねぇ。うちの亭主なんか、あの店で飴を一つ誤魔化して盗んだガキが、三日以内に跡形もなく消されたって酒場で聞いてきて、震え上がってたわよ」


そんな根も葉もない噂が、毎日のようにささやかれていた。


カラン、と《からすの止まり木》の入り口の鈴が鳴る。

噂話の中心人物の一人であるパン屋のマルタ婆さんが、籠を抱えて店に入ってきた。


「おい、グレン。あんたんとこの噂、もう街の端っこまで知れ渡ってるよ」


マルタ婆さんは、カウンターにどかっと籠を置きながら言った。


「縄が勝手に動くだの、床下に処刑台があるだの、子どもを消すだの……全く、暇な連中が適当なことばかり吹き回りやがって。営業妨害もいいところだね」


リナが困ったように苦笑いする横で、当のグレンは、木箱の中で埃をかぶっていた古びた分銅を磨きながら、完全に聞こえないふりをしていた。


「ちょっと、聞いてるのかい? 雑貨屋の親父が処刑人なんて、悪い冗談にもほどがあるってもんだ。あんたみたいなうだつの上がらない男が、そんな恐ろしいことできるわけないってのにねぇ」


マルタ婆さんがからからと笑う。

グレンは無言のまま、磨き終わった分銅を棚に戻し、短く呟いた。


「……パンの粉が落ちる。早く買って帰れ」

「はいはい、わかってるよ。今日は油を一本おくれ」


街の人々にとって、この「ちょっと得体の知れないが、基本的には無害な雑貨屋」という認識は、恐怖と日常の絶妙な緩衝材になっていた。

グレン自身も、噂を否定して回るような面倒なことをするつもりは一切なかった。



しかし、街の噂を単なる笑い話として片付けられない者たちもいた。


辺境都市ラステルの中心部に位置する、衛兵詰所。

その一番奥にある隊長室は、重苦しい空気に包まれていた。


「……なんだ、これは」


巨大なマホガニーの机に叩きつけられたのは、分厚い一冊の『帳簿』だった。

バルド・レックの遺体の足元に置かれていたものだ。

違法な密輸記録や児童売買の台帳、そして――衛兵隊に渡っていた賄賂の記録が、克明に記されている。


机の前に立つのは、ラステルの治安維持を一手に担う衛兵隊長、ドラン・メイザー。

常に仕立ての良い制服を身に纏い、力ではなく書類と権限でこの街を支配してきた男だ。


彼の顔は、怒りと焦燥で赤黒く変色していた。


「赤鼠商会が潰れたことなどどうでもいい。だが、この帳簿が明るみに出れば、俺の立場まで危うくなる……!」


ドランはギリッと歯ぎしりをした。

たかが辺境の雑貨屋の親父一人に、この街の裏の秩序をぐちゃぐちゃにされたのだ。

法と権威を盾にしてきたドランにとって、私刑を下す正体不明の存在など、決して許容できない脅威だった。


「隊長、いかがいたしましょうか。南通りの見回りからは、あの店は平常通り営業しているとの報告が上がっていますが……」


部下の衛兵が、おずおずと尋ねる。

ドランは血走った目で帳簿を睨みつけ、低く、しかし明確な殺意を込めて命じた。


「……あの雑貨屋を潰せ」


ドランの拳が、机の上の帳簿を強く叩き潰す。


「手段は問わん。法的な理由など、後からいくらでもでっち上げられる。あの薄汚い雑貨屋を、一日も早くこの街から消し去れ。……でなければ、次に首を吊られるのは俺たちだ」


ドランの冷たい命令が、隊長室に響き渡った。

平和を取り戻したかに見えた辺境都市の裏側で、法という名の巨大な檻が、静かに《からすの止まり木》へとその牙を剥き始めていた。

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