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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第46話 王国西端に黒縄あり

ガルディア帝国諜報部《銀狼機関》による見えない侵略は、冷徹な指揮官カイゼルの失脚をもって完全に瓦解した。

偽の避難命令は取り消され、大井戸の水質はセラの薬学知識によって浄化され、買い占められていた小麦や薪は商人組合を通じて正当な価格で市場に戻された。


辺境都市ラステルは、再び活気に満ちた朝を迎えていた。

だが、街の空気を満たしているのは、単なる安堵だけではない。


「聞いたか? 街を裏から乗っ取ろうとしていた帝国の連中を、南通りの雑貨屋の親父が一人で潰したらしいぞ」

「ただの親父じゃねえ。あの王都で都市伝説になってた『黒縄の執行人』だって話だ!」

「俺たちの街を救ってくれた英雄だ! これでもう、帝国も王都の腐った役人も怖くねえ!」


市場でも、井戸端でも、酒場でも。

人々は恐怖を忘れ、熱に浮かされたように『黒縄』の噂を英雄譚として語り合っていた。


その熱狂の中心地であるはずの《からすの止まり木》。

当の店主であるグレンは、カウンターの奥で深く、とても深くため息をついていた。


「……面倒なことになったな」


グレンは半分閉じた目で、店の外をチラチラと覗き込む野次馬たちを忌々しげに睨んだ。

彼は正義の味方でも、国を救う英雄でもない。ただ、自分の店に来る者を泣かせた悪党を『処理』しただけだ。感謝されるのも、持ち上げられるのも、彼の性に最も合わないことだった。


「仕方ないですよ、店主さん。街中が助かったんですから」


店番のリナが、売上帳に数字を書き込みながらクスクスと笑う。


カラン、と入り口の鈴が鳴った。

恐る恐る入ってきたのは、近所の貧民街に住む幼い子どもたちだった。彼らの手には、銅貨が数枚握られている。


「あ、あの……おじちゃん。飴、くれる?」


子どもたちもまた、街に流れる恐ろしい処刑人の噂を聞いて、少しだけグレンに怯えていた。

グレンは無表情のまま立ち上がり、ガラス瓶の中から色鮮やかな飴玉を取り出した。そして、子どもたちの小さな掌にそれを乗せる。


「……一人、一個だ」

「えへへっ、ありがとう!」


飴を受け取った瞬間、子どもたちの顔から恐怖が消え、無邪気な笑顔が弾けた。彼らは小銭をカウンターに置き、嬉しそうに店を飛び出していく。

街が日常を取り戻した証。子どもが泣かずに、ただ飴を買える場所。

そのささやかな光景に、グレンの口元がほんのわずかに緩んだ。


「ほらほら、そこをどきな!」


野次馬たちを掻き分けて店に入ってきたのは、焼きたてのパンを抱えたマルタ婆さんだった。

彼女はカウンターにドサリとパンの籠を置くと、腰に手を当ててグレンをねめつけた。


「街の連中は『黒縄の英雄様』だなんだと騒いでるがね、私にとっちゃ、あんたはただの無愛想な雑貨屋だよ」

「……婆さん」

「英雄でも雑貨屋でもいいから、今日のパンの代金はきっちり払いな。うちは慈善事業じゃないんだからね!」


マルタ婆さんの遠慮のない言葉に、リナが吹き出し、グレンは小さく肩をすくめた。

どんなに恐ろしい過去が暴かれようと、街の日常は変わらない。マルタ婆さんの言葉は、グレンをただの『雑貨屋のおっさん』の定位置へと強引に引き戻してくれた。


「……セラさん。いいんですか? そんなにたくさん」


店の隅では、リナが驚いたような声を上げていた。

薬師のセラが、大量の乾燥薬草と小瓶を詰め込んだ分厚い革袋を、カウンターの脇に置いていたのだ。


「ええ。解毒剤から傷薬、気付け薬まで、考え得る限りのものを揃えました。……これから、必要になるでしょうから」


セラは静かな瞳でグレンを見つめた。

カイゼルという指揮官の経路は潰した。だが、帝国がこの王国西端の街に『黒縄』がいると知った以上、必ず最大の戦力が差し向けられる。


「……あんたには、苦労をかける」

「気にしないでください。これは、私自身の戦いでもありますから」


セラは微笑み、グレンのために特別に調合した、ひどく苦い薬草茶を差し出した。

グレンはそれを一息に飲み干す。その苦さが、これから始まる本当の死闘へ向けて、彼の神経を研ぎ澄まさせていく。


「グレンさん」


王都監察官のイリスが、店の裏口から姿を現した。彼女の顔には疲労の色が濃いが、その眼光は鋭い。


「王都のミレーユから暗号通信が届きました。王都暗部と帝国が結託していた証拠は、少しずつですが固まりつつあります。私はこの街から、王都内部の内通者を完全に炙り出します」

「……ああ。頼む」

「それと、店主さん!」


ノアが屋根裏から身軽に飛び降りてきた。

彼は得意げな顔で、グレンの前に一枚の紙切れを広げた。


「あの銀髪の親玉からスリ取った地図の裏に、変な記号が書いてあったんだ。俺、前に赤鼠の連中が使ってた帝国の暗号に似てると思って、こっそり書き写しといたんだよ」

「……暗号?」

「ああ。全部は読めねえけど、『影』とか『王冠』とか『通信塔の同期』とか、そんな単語が並んでた。……これ、次に奴らが仕掛けてくる作戦のヒントじゃねえか?」


グレンはノアの書き写した紙切れを手に取り、半分閉じた目でそれを凝視した。

カイゼルは完全に退場した。だが、彼の残した爪痕と、帝国という巨大な機構の歯車は、すでに次の段階へと回り始めている。


王都と帝国の両方が、この小さな雑貨屋の存在を明確に認識した。

守るべき日常と、それを脅かす世界最大の暴力。


グレンは古いエプロンのポケットから、自ら断ち切った『黒い縄』の半分を取り出し、その感触を指先で確かめた。


「……処刑台は、先に組んでおくものだ」


静かな、だが確かな決意を込めた呟きが、店内に響いた。



アルヴェン王国の国境から遠く離れた、東の果て。

軍事国家ガルディア帝国の中枢、豪奢を極めた帝城の最奥。


大理石の床に赤い絨毯が敷かれた玉座の間に、重苦しい静寂が満ちていた。

玉座に深々と腰掛けているのは、ガルディア帝国皇帝、レオニス・ガルディア。


彼は手元に届けられたばかりの一通の報告書を、退屈そうに眺めていた。


「……銀狼機関のカイゼルが、全ての連絡網と記録を逆流され、社会的に抹殺された、か」


レオニスの声は低く、そして絶対的な冷酷さに満ちていた。

彼は自らを帝国そのものと思い込み、民や部下の命すらも、盤上の消耗品としか考えていない。彼を神格化する不死の魔法と影武者制度によって、永遠の統治を確信している男だ。


「たかが辺境の小さな街一つを落とすのに、随分と手間取っているではないか。相手は軍隊でも魔法使いでもなく、たかが雑貨屋の親父一人だというのに」


レオニスは報告書を玉座の傍らに設置された篝火に放り投げ、それが灰になるのを冷たい目で見つめた。


「王国暗部の元処刑人、『黒縄』。……面白い。私に逆らう者がどうなるか、その身をもって教えてやろう」


皇帝レオニスがゆっくりと立ち上がると、玉座の間に控えていた数十名の帝室近衛兵たちが一斉に傅いた。


「余が直々に命を下す」


レオニスの口元に、傲慢で残虐な笑みが浮かぶ。


「辺境の街ラステルを、地図から消し去れ。そして……その身の程知らずの処刑人を、帝国の処刑台へと引きずり上げよ」


王国西端の小さな雑貨屋と、大陸最強の軍事帝国の、全てを懸けた最後の戦いが、今、幕を開けようとしていた。

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