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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第41話 街を数字で殺す男

辺境都市ラステルから数里離れた森の深部。

ガルディア帝国諜報部《銀狼機関》の仮設司令所となっている大型の軍用テントの中は、戦場の泥臭さとは無縁の、極めて静謐で冷徹な空気に満ちていた。


テントの中央に置かれた大きな卓には、ラステルとその周辺地域の精緻な地図が広げられている。

その地図を囲むように、数人の部隊長たちが緊張した面持ちで立っていた。


「……水源への工作は失敗。市場での食糧買い占めとパン窯の破壊工作も阻止されました。さらに、夜襲のための騎馬部隊も無力化され……申し訳ありません」


報告を行う部下たちの声には、濃い焦りが滲んでいた。

彼らの視線の先にいる男――銀狼機関の指揮官カイゼル・ロート中佐は、軍服の袖口を整えながら、表情一つ変えずに報告を聞いていた。


カイゼルは、武を誇る帝国の将校でありながら、帯剣すらしていない。

銀色の髪を几帳面に撫でつけ、氷のように冷たく理知的な瞳を持った男だ。彼にとって、戦争とは感情をぶつけ合う血生臭い闘争ではなく、盤上の駒を動かす『計算』に過ぎない。


「謝罪は不要だ。結果とデータだけを述べよ」


カイゼルの静かな声に、部下たちは一瞬だけ安堵の息を吐き、口を閉ざした。


「……黒縄。かつて王国暗部で最強と謳われた処刑人が、ただの雑貨屋として街に潜伏しているとはな」


カイゼルは地図上の《からすの止まり木》がある南通りを、細い指示棒でトントンと叩いた。


「だが、問題はない。我々の目的はあの男を殺すことではなく、ラステルという都市の機能を完全に停止させることだ」


カイゼルは人を憎まない。王国人だからといって見下すことも、部下の失敗に激昂することもない。彼が見ているのは、常に都市を構成する『数字』だけだ。


「いいか。軍隊同士の正面衝突などという非効率な真似をする必要はない。水を三日止め、薬を五日遅らせ、パンの価格を二倍にすれば、街は勝手に壊れる。それが人間の社会という脆弱なシステムの真理だ」


カイゼルの声は、冷たい刃のようにテント内に響いた。


「水と食料、そして馬の機動力は防がれた。だが、防がれたということは、彼らがそこにリソースを割いているということだ。ならば、手薄になっている別の数字を削ればいい。……次は『薬』だ」


カイゼルは地図の指示棒を、南通りから少し離れた場所――セラの営む薬屋へと滑らせた。


「この街の医療の要は、あの薬師の女だ。彼女の薬草棚と、門外不出の『調合表』を奪え。燃やす必要はない、奪うだけでいい。解毒と治療の要が消えれば、街の医療は完全に停止する」


カイゼルは、グレンという男と直接対決するつもりは微塵もなかった。

互いに姿を見せず、盤面の数字を奪い合う。それが、銀狼機関の戦い方だった。



その夜。

冷たい風が吹きすさぶ中、セラの薬屋の裏口の鍵が音もなく外された。

侵入したのは、黒い外套に身を包んだ銀狼機関の工作員が二人。


彼らは素早く店内に侵入すると、月明かりを頼りに、壁際に並べられた高価な薬草の入った瓶や袋を次々と麻袋に詰め込んでいった。


「……あったぞ」


一人の工作員が、カウンターの奥の鍵のかかった引き出しをナイフでこじ開け、分厚い革張りの手帳を取り出した。

セラの亡き夫が残し、彼女がさらに改良を加えたとされる、様々な病や毒に対する『調合表』だ。


「よし、引き上げるぞ。音を立てるな」


工作員たちは目的の品を奪うと、滞在時間わずか数分で、夜の闇へと溶け込むように消え去っていった。


その間、店の奥の居住スペースで息を潜めていたセラは、彼らが完全に去ったことを確認してから、ゆっくりと暗い土間へと足を踏み出した。


荒らされた薬草棚と、こじ開けられた引き出し。

だが、セラの顔に絶望や恐怖の色はなかった。彼女はただ静かに、散らばったガラス片を箒で掃き集め始めた。



翌朝。

《からすの止まり木》のカウンターで品出しの準備をしていたグレンの元に、近所の住人が駆け込んできた。


「グレンさん! セラの薬屋が、昨夜泥棒に入られたみたいだ!」


その言葉を聞くや否や、グレンは無言のままエプロン姿で店を飛び出した。


セラの薬屋に到着すると、入り口の扉は開いたままになっており、店内の棚は見事にすっからかんになっていた。

グレンは鋭い視線で店内を瞬時に確認し、奥の部屋へと向かった。


「……セラ。怪我はないか」


グレンの低い声に、奥の部屋で薬草を刻んでいたセラが顔を上げた。


「グレンさん。ええ、私は無事です。彼らは裏口から入って、棚の薬草と引き出しの手帳を奪って、すぐに去っていきました」


セラは落ち着いた様子で立ち上がり、グレンに温かい薬草茶を差し出した。

グレンはそれを受け取らず、険しい顔のまま店内を見回した。


「……調合表を奪われたのか。帝国は街の医療を止める気だ」

「ええ、そのようですね。……でも、心配はいりませんよ」


セラは静かに微笑み、自分の足元にある床板を一枚、カチャリと外した。

そこには、小さな地下収納スペースがあり、中には色鮮やかな本物の薬草の束と、一冊の古い手帳が大切に保管されていた。


グレンは目をわずかに見開き、セラと床下の荷物を交互に見た。


「……どういうことだ」

「最近、街に不穏な空気が流れていたでしょう? 水源の毒の件もありましたし、嫌な予感がしていたんです」


セラは、奪われた引き出しの方を見つめた。


「だから、昨日の夕方、本物の薬草と調合表はすべて床下に隠しておきました。……奴らが奪っていったのは、私がその辺の森で摘んできたただの雑草と、分量を意図的に間違えて書いた『偽の調合表』です」


グレンの目から、微かな驚きが漏れた。

それは、彼が助言したことではない。セラの薬屋は彼女自身の城であり、彼女自身の意志と判断によって、帝国の工作員を見事に出し抜いたのだ。


「あの偽の調合表通りに薬を作れば、ただの腹痛の薬が、酷い下痢を引き起こす劇薬に変わります。帝国軍が自分たちの怪我や病気に使ってくれれば、少しは役に立つかもしれませんね」


セラは悪戯っぽく微笑み、再びグレンに薬草茶を差し出した。


「……逞しいな」


グレンは短く呟き、差し出されたカップを受け取った。

セラの夫の仇である悪徳貴族が失脚し、彼女はただ守られるだけの未亡人ではなくなっていた。

この街の人間は、確実に強くなっている。


グレンが口にした薬草茶は、いつも通りの、舌が痺れるような強い苦味を持っていた。

だが、その苦さが、今はどこか頼もしく感じられた。



森の深部の司令所。


「カイゼル中佐。薬師の店から、調合表と薬草の強奪に成功しました」


工作員が恭しく差し出した革張りの手帳と麻袋を、カイゼルは無言で受け取った。

だが、手帳のページを数枚パラパラと捲った瞬間、カイゼルの冷徹な瞳に微かな疑問の光が宿った。


「……おい。この薬草の袋を開けろ」


カイゼルの指示で、工作員が麻袋の口を開く。

カイゼルは中に入っている葉を手に取り、匂いを嗅ぎ、そして床に投げ捨てた。


「……ただの雑草だ」

「なっ……!?」


工作員たちが驚愕に目を見開く中、カイゼルは手帳を机の上に放り投げた。


「この調合表も偽物だ。分量も手順も、意図的に破綻するように書かれている。……我々は、あの女の薬師に完全に手玉に取られたというわけだ」


カイゼルの声に怒りはなかった。だが、その言葉の裏には、これまでにない冷たい計算が働いていた。


水、食料、馬、そして薬。

全ての手が、あの雑貨屋の親父か、あるいは彼に感化された街の住人たちによって防がれている。


「……あの黒縄という男は、ただの処刑人ではない。あの男の存在そのものが、街の人間たちに『抗う勇気』という不確定要素を与えている」


カイゼルは地図上の《からすの止まり木》を、冷酷な目で見下ろした。


「都市を壊すには、まずあの男の理性を壊さなければならない。……男の精神を支えている『要』を潰す」


カイゼルは指示棒を動かし、地図の上に書かれたある一つの名前にその先端を突き立てた。


「雑貨屋の店番をしている、あの少女だ」


人を憎まず、数字で都市を殺す男が、初めて明確な『悪意』を持って個人の感情を狙った瞬間だった。

銀狼機関の凶牙が、グレンが最も大切に守ってきた少女、リナの元へと迫ろうとしていた。

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