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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第42話 リナを餌にするな

辺境都市ラステルの南通り。

夕暮れ時、《からすの止まり木》の店番少女リナは、一人で買い出しから戻る途中だった。


(……おかしい。誰もいない)


普段なら、仕事を終えた労働者や、夕飯の準備に急ぐ主婦たちで賑わうはずの裏路地。

だが、今日はまるで潮が引いたように、不気味なほど人っ子一人いなかった。

かつて貴族家で虐待され、常に周囲の顔色と気配を窺って生きてきたリナは、本能的に「悪意の接近」を感じ取っていた。


背後から、足音を殺した複数の気配が近づいてくる。


(……逃げなきゃ!)


リナが駆け出そうとした瞬間、路地の前方からも、黒い外套を着た二人の男が音もなく現れた。

帝国諜報部《銀狼機関》の工作員たちだ。


彼らの指揮官であるカイゼル・ロートは、グレンの行動原理を「店に来る者を守る」と分析し、最も効果的にグレンの理性を揺さぶるための『餌』として、リナに狙いを定めたのだ。


「大人しくしろ。声を上げれば殺すぞ」


男の一人が冷たい声で脅し、懐から麻袋と猿轡を取り出した。


(捕まったら、店主さんの足手まといになる……っ!)


リナは恐怖で足がすくみそうになるのを必死に堪え、グレンから教えられていた『裏道の地図』を脳内に展開した。


「来い」


男がリナの腕を掴もうと踏み込んだ、その時。


バキッ!


男の足元で、腐った床板が派手な音を立てて崩れ落ちた。

リナは、この路地のどこを踏めば床が抜けるかを完全に把握しており、わざと男をその地点へと誘導していたのだ。


「チッ、小癪な真似を……!」


男がバランスを崩した隙を突き、リナは彼の視線から逃れるように路地の脇に積まれていた空の木箱の裏へと滑り込んだ。

ただ泣いて怯えるだけだった少女は、もはやいない。彼女は自らの意志と知識で、必死に『時間』を稼いでいた。


だが、敵は訓練された帝国の工作員だ。

すぐに体勢を立て直した男たちが、木箱を蹴り飛ばしてリナを追い詰める。


「無駄な抵抗だ。来い!」


男の手がリナの肩を掴んだ、その瞬間。


チリンッ。


路地の奥から、不自然なほど澄んだ『鈴』の音が響いた。


「あ……?」


工作員たちが一斉に音のした方向へ視線を向ける。

だが、そこには誰もいない。

彼らの意識が完全に音へ向いた、その一瞬の隙。


「……遅い」


工作員たちの頭上、建物の庇の陰から、黒いエプロン姿の男が音もなく舞い降りた。

グレンだ。


彼は着地と同時に、手にしていた『裁縫用の太い糸』を、リナを掴んでいた男の両手首に向けて無造作に放った。


「なっ!?」


糸は男の手首に二重三重に絡みつき、グレンが鋭く引き絞ると、男の腕が不自然な角度で拘束された。


「ぐあっ……!」


グレンは男の手を強引に引き剥がし、リナを自らの背後へと庇う。


「て、てめえ……黒縄か!」


残る三人の工作員が、一斉に短剣を抜いて襲いかかってきた。

グレンは無表情のまま、エプロンのポケットからさらに数個の『小さな鈴』を取り出し、路地の石畳に向かって連続して投げつけた。


チリンッ! チリリンッ!


路地のあちこちから不規則に反響する鈴の音。

狭く反響しやすい路地裏で、複数の鈴の音が同時に鳴り響くことで、工作員たちの聴覚による方向感覚が完全に麻痺した。


「くそっ、音が反響して……!」

「どこから来る!?」


敵の視線と意識が散った瞬間。

グレンは絡め取っていた男の手首の糸を強く引き、彼を盾にするようにして前へ押し出した。


「がはっ!」


盾にされた男にぶつかり、二人の工作員が体勢を崩す。

グレンはその隙を見逃さず、残る一人の男の懐へと滑り込み、持っていた糸の端に結びつけた『分銅』を、男の膝裏の関節に向けて的確に打ち据えた。


ゴキッ!


「ぎゃああッ!」


膝を砕かれた男が悲鳴を上げて崩れ落ちる。

グレンはそのまま反転し、体勢を崩していた二人の男の首元に糸を巻き付け、背中合わせになるように強烈に引き絞った。


「が、はっ……」


呼吸を完全に封じられ、二人の男も白目を剥いて石畳に倒れ伏した。

魔法も派手な武器も使わない。裁縫糸と小さな鈴、そして路地の反響音を利用した、冷酷なまでに完璧な処理。


「……リナ」


グレンは倒れた男たちを見下ろしたまま、背後の少女に声をかけた。


「よく稼いだ。お前が床板の罠を使って数分持ちこたえなければ、俺の到着は間に合わなかった」


グレンの静かな、だが確かな賞賛の言葉。

リナは安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになったが、必死に涙を堪えて頷いた。


「はい……! 私、泣きませんでした……!」

「ああ。……帰ろう」


グレンは糸を回収し、リナと共に路地を抜けようとした。


だが。

気絶したふりをしていたリーダー格の工作員が、血を吐きながらも狂気じみた笑みを浮かべてグレンを睨みつけた。


「……ははっ。手遅れだぞ、黒縄……」


男の言葉に、グレンの足が止まる。


「俺たちがここで時間を稼いだことで……カイゼル様の計画は完了した。あの御方は、すでにお前の店のすべてを『地図』にしたのだからな……」


グレンの目が、わずかに鋭く細められた。

カイゼル・ロート。

都市を数字で壊す男は、リナを誘拐することが目的ではなく、誘拐未遂によってグレンを店から引き剥がし、その隙に《からすの止まり木》の構造と防衛機構を完全に把握することこそが『真の狙い』だったのだ。


帝国最高の知将の冷徹な刃が、ついにグレンの聖域へと真っ直ぐに突き立てられようとしていた。

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